半信半疑だったが内容はタイトル通りだった。全長数センチの水中昆虫のタガメが先ず蛙を捕食するシーンがあり、ついでドジョウと格闘するシーンがあった。後者だけでも結構スリリングだったが、本当にマムシを捕食するシーンには驚きあきれた。何しろ約十倍の全長を持つ相手である。待ち構えるタガメはマムシの首の部分に取り付いて、それを振りほどそうと相手がどれだけ暴れても離さない。ごく最近知られた生態とのことだが、水槽の中ででも撮影したのだろうか。
「ダーウィンが来た!」以外にも近年野生動物を紹介する番組はよくあるが、それを見て痛感するのは動物界の弱肉強食の姿である。肉食動物なら生きるためそうせざるを得ないのは当然だが、そうした生存競争をみていると進化論の「適者生存」、「自然淘汰」の意味が納得できる。
しかし、それに対しては反論もある。帝政ロシアの公爵にして地理学者、アナーキズム理論家として知られるピョートル・クロポトキンの『相互扶助論』( 1904年 )は、自然界の進化は生存競争の結果ではなく相互扶助によってなされたと説いた。私自身読んでいないので誤解の可能性はあるが、ダーウィンの発見がそれによって大いに揺らいだとは聞かないし、動物界の弱肉強食の印象は否めない。
たかがテレビ番組を見て進化論の是非を云々するとはと言われそうだが、私はそうは思わない。真理は思想家の言説の中にだけあると考えるのは誤りである。プルードン、バクーニンと並ぶ三大アナーキズム理論家として知られ、その人格でも尊敬を集めたクロポトキンと雖もである。権力や政府の悪をえぐるアナーキズムに共感した作家のジョージ・ウドコック ( 『アナーキズム』1968年 紀伊国屋書店 ) も、「世論は、群れをなした動物たちの間の画一性へと向かう恐ろしい衝動のために、どんな法律体系よりも寛容ではない」とのジョージ・オーウェルの言葉を紹介して、「隣人の渋面が判事の判決と同じように恐ろしいものと化すといったことについて十分考慮したアナーキストはほとんどいない」と警告している ( 村落社会に住む人にとっては「判事の判決」よりも村八分の方が恐ろしいこともあり得る ) 。最近の政情にからんでオーウェルの『1984年』が我が国で顧みられているとのことだが、オーウェルの真意はそれほど底が浅くはない。
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