2017年3月11日土曜日

国家元首を刑罰の対象にすべきか?

「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」。 この明治憲法第3条を私は神政的天皇制を文章化した条文とひたすら理解していた。後になってこの条文が「君主無答責の原則」(君主は法的責任を問われないの意 ) を意味し、外国の憲法にも同種の条文は稀ではなかったと知った ( 成文憲法のない英国では「王は悪をなさず」(King can do no  wrong )との憲政上の慣習 ) 。この原則は共和制国家が増加すると「元首無答責の原則」に形を変えたようだ。現在のフランス国憲法 ( 第五共和制憲法 ) は「大統領は反逆罪の場合を除き、その職務の遂行中に行なった行為について責任を負わない」(68条)と規定している。法の前の万人の平等を世界に先駆けて宣言したフランスがである。国家元首とはそれほど重い職であろう。

韓国の朴大統領が憲法裁判所により大統領罷免を宣告された。もはや元首で無くなった朴氏は一介の市民として過去の「違法行為」を罰せられる可能性が生じたという。しかし彼女の犯した「罪」は大統領罷免に値するほど重大な罪だったろうか。米国のニクソン元大統領はウォーターゲート事件で大統領辞任に追い込まれたが、側近たちが実行した盗聴事件の隠蔽を企てるなどその罪は重かった ( 信じてはならない人を信じる罪を犯した朴氏とは違う ) 。それでも米国民は辞職以上の責任追及をしなかった。現在の韓国大統領は軍事クーデターで就任した大統領ではない。「国民の選んだ大統領がことごとく国民の罵声を浴びる末路をたどるのはどういうわけか」との「余録」の言葉( 『毎日』3月11日) に同感を禁じ得ない。大統領の非を責めるなら選んだ自分たちの不明も恥じるのが道理ではなかろうか。民主主義の勝利などと祝っているときだろうか?

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