2017年3月31日金曜日

秀吉の一夜城趾

南熱海( 昔の網代、多賀などの呼び名の方が趣があるが ) を訪ね、帰りに小田原の一夜城趾に立ち寄った。これまでもその麓を何回も通り案内板を横目に見てはいたのだが、帰路の渋滞を恐れて素通りしていた。

今回は前日午後の往路は順調だったが、ウィークデイなのに逆方向の帰京する車列の渋滞は半端でなかった。子供達の春休みを利用した家族旅行が多かったのだろう。一月末から二ヶ月近く熱海桜をはじめとする各種の桜が交代で咲く熱海の桜も流石に葉桜に変わり、かと言って染井吉野にはまだ早く、けっして観光に最適の時期ではないのだが........。

一夜城は海抜170メートルの高さ。国道135号線から10分あまりで着いた。広い駐車場があり半分以上のスペースはすでに駐車されていた。しかし歩いて10分足らずの城址では数える程の人にしか会うことはなかった。駐車場わきの有名ケーキ店「鎧塚ファーム」( 先年亡くなった女優の川島なお美の夫君が経営する ) が目的の車が大半なのである。

城址からの展望は素晴らしいのだが当日は薄曇りで眼下の小田原城がやっと見える程度に霞んでいた。それでも城内の北条勢は上から見下ろされてさぞかし圧迫感を覚えたことだろう。一夜城は秀吉の悪賢さの産物のように思えた。

ケーキ店のケーキは下界の倍近い値段に思えた。周囲の花壇の中に川島なお美の墓があるが私は見なかった。死ぬまでまだ一度は訪れる機会はあるだろうと楽観して。

短歌とは全く無縁の私だが、相模灘を見て一句?浮かんだ。「いにしえの実朝詠みし伊豆の海   陽光浴びて波頭きらめく」。  実は写真に撮ろうとしたのだが、手持ちでわずか数十分の一秒のシャッターでは波のきらめきは半分も写らないので短歌で表現するしか無かっただけ。

2017年3月27日月曜日

外国語の日本語表記

テレビで松坂慶子がアイスランドを訪ねる観光番組を見た。どうせなら雪の無い季節の方が美しいのに惜しいと思ったが、その首都を終始レイキャビクと発音し、画面の表記もそうなっていた。しかし発音記号ではビ ( もしくはヴィ) にアクセントがあり、レイキャビークが正しい。外国の地名には文部省?が決めた標準的表記があるのだろうか。

以前にこのブログで言及し二番煎じかもしれないが、むかしロンドンのビクトリア・コーチ・ステーション ( 英国では二階建て以外のバスはふつうコーチと呼ぶ ) を探して老婦人に道を尋ねたが、三度目にようやく彼女は「オー、ビクトーリア!」と叫んだ。トにアクセントがあるとは私は知らなかった。たった百メートル先なのにと後でボヤいた。

トランプ大統領のおかげで最近の新聞にオルタナティブという言葉をひんぱんに見かけた。しかし、アクセントを重視しない日本語でも片仮名で5字以上ともなると何処かにアクセントを付けないと言いづらい。発音記号通りに「オルターナティブ」と表記してくれたら助かるのにと思う。以前ある自然科学者が「オルタネイティブ」と発音したのを聞いたが、私も迷ったことがあるのでとても批判する気になれなかった。

私も今さらビクトリア女王をビクトーリア女王と書けなどというつもりはない。しかし、改悪は御免こうむりたい。「主な」という意味でのメインは我が国でもメインイベント、メインダイニングルームなど正しい表記がなされていたが、私の購読する新聞はいつからかメーンと表記するようになっていた。もう社内で統一がなされていたのか、私の投書は掲載されなかった。しかし大半のメディアでは矢張りメインがメイン!だったためか、いつの間にかその新聞にもメインが復活している。しかし、オルターナティブと提案してまた不採用になるのも馬鹿らしいので投書はしない!


2017年3月23日木曜日

組織犯罪処罰法改正案への賛否

法案への賛否によってテロ準備罪 (『読売』)とも共謀罪 (『朝日』)とも呼ばれる組織犯罪処罰法改正案が閣議決定され国会に提出されたという。メディアで取りあげられてからかなり経つと思うのに今頃閣議決定なの?と思うが...........。

3月11,12日に実施された三大全国紙による世論調査は、法案が正式決定していなかったせいか賛否を問う質問はなかったようだ。18,19日におこなわれた世論調査ではNHKが賛成45%、反対11%、どちらとも言えない32%、『産経』が賛成57.6%、反対31.2%、その他11.2%だった (『産経』3月21日。NHKは記憶による )。両者はかなり相違するが設問の仕方により結果は動くということだろう。三大紙の調査結果も設問次第だろうが、私はNHKの結果に近いものとなるのではと予想している。「どちらとも言えない」が法律の素人の正直な気持ちだろうから。

『毎日』( 3月22日)は法案反対の日弁連の意見の他に、暴力団などの組織犯罪を扱ってきた弁護士グループの法案賛成の意見書に言及している。それによれば過去に、「暴力団対策法や組織犯罪処罰法が制定される際も危険性が指摘されたが、乱用されて市民団体や労働組合に適用されたことはない」という (逆に対策法以後、暴力団の構成員が大幅に減少したと別のテレビニュースで指摘していた )。法案反対運動がそうした結果を生んだとの想定は可能だが。

今回の法案の基礎になっている国際組織犯罪防止法は2000年11月に国連総会で採択され、これまでに187か国により締結されているとのこと。専門家ではないので国際版と国内版の細かい相違は知らない ( むしろ適用が限定的とも聞く )。しかし国際版はG7のうちの6か国 ( 日本を除くすべての国 ) が締結しているという。日本という国はそれでも政府の強権を心配しなければならない特殊で危険な国なのだろうか。

2017年3月21日火曜日

韓国人ジャーナリストの同胞批判

今日、朴槿恵前大統領が検察に出頭するという。偶然、インターネットで『朝鮮日報』の金大中氏 ( 同紙の元記者で現顧問。同名の元大統領とは別人 ) の「韓国大統領の『悲運』は朴槿恵で終るのか」とのコラム寄稿文を読んだ。以下はその抜粋である。

「韓国人自身が『自分たちが選んだ大統領でも政治を誤ったら引きずりおろして監獄に送る、そういう国民的な底力を持つ国」と自画自賛してきた。果してそうなのか」 
「なぜ歴代の大統領が悲運と不運と失望と呪祖の対象となる状況が続くのかーーについての、根本的なアプローチをすべきだ」。
「退陣する大統領に向かって拘束しろと叫び、退任する憲法裁判官に向かって『後で見ていろ』と脅す大衆の怒りに戦慄すら覚える。韓国人には『一歩引く』というものがない」。
「倒れた人を踏みつけ、死者をむち打ち、辱め、暴言を吐いて『勝った』と勝利に酔うのは、民主的市民の姿勢ではない」。
「韓国人は果たして民主的市民なのか、市民である以前に公正な人間なのかと振り返ってしまう」。
「もうそれくらいやったのだから、前を向いて進めばいいと思う」。
「韓国人もいつか、任期を終えた大統領が傷もなく無事に権力の椅子から降りる場面を見るようになるのだろうか」

抜粋では十分に意を伝えられたかどうか。私は金大中氏のジャーナリストとしての信念とそれを公にした勇気に敬意を表したい。それを掲載した『朝鮮日報』にも。

2017年3月18日土曜日

女性参政権運動とオランダ総選挙

昨日、20世紀初頭の英国の女性参政権運動を描いた映画『未来を花束にして』( 原題 Suffragette )を映画館で見た。映画『メリーポピンズ』で子供の教育係のメリーを雇う上流 ( 中流上?)銀行家夫人もその一員で、戯画的に描かれていたのをご記憶の人はあろう。しかし今回の女性たちは運動に参加した労働者階級の女性たちで、運動参加ゆえに社会から ( 夫からさえ ) 理解されず、やむなく破壊活動( 放火さえも ) に走り犯罪者扱いされた人たちを共感を込めて描いている。その破壊活動を是認するかどうかは別とし、英国映画らしい重厚な作品だった。

彼女らが参政権を獲得したのは1918年のことで、映画に描かれた彼女らの体を張った努力とともに第一次世界大戦中の女性の社会参加の拡大 ( 男性の戦争参加のため ) も一半の理由だった。なお、ニュージーランドなどの英連邦諸国や北欧諸国の女性はすでに大戦前から参政権を獲得していた ( フランスは日本と同じ1945年 )。

オランダの総選挙でイスラム教徒の排斥を唱え大躍進を予想されていた極右の自由党は中途半端な勝利にとどまった。トランプ政権下の米国の混迷を横目で見たこともその一因と見られているが、中道右派のルッテ現首相が「男女平等などの社会規範を尊重できない人はオランダから出て行け」と訴えたり、「在留トルコ人への選挙キャンペーンを意図したトルコ閣僚の入国を拒否するなど ( イスラム教に )強い姿勢を示した」ことが与党への支持を回復させた (『朝日』3月16日夕刊 )。言わばウィルダース自由党党首の主張を半ば横取りすることで人気を回復したのであり、昨夜のBSジャパンのニュース「プラス10」はこれをルッテ首相の「抱きつき戦術」と評していた。ウィルダース自由党党首のトランプ同様の人格不安 ( トランプのエンターテイメント性もないのに ) を避けながら実質的に似た政策を期待できるなら国民が現首相を支持したのは理解できる。首相の作戦勝ちだった。

そもそも移民が作った国である米国が移民に辛く当たるのは大きな矛盾だが、キリスト教文化を中心としたアイデンティティを持つヨーロッパ諸国がそれを守ろうとするのは不当とは言えない。先人の苦闘の末に獲得した男女平等を認めない国からの移民を歓迎しないのは、選挙戦術としてだけでなく原理としても間違っていない ( 難民の保護とは別 ) 。どの国も他国の宗教的文化的規範に安易に口出ししてはならないが、それを改める気が皆無の人たちの移住を拒む権利はどの国にもある。
P.S.  以前のブログでカムイワッカの湯の滝を紹介したが、落石などの危険のため上流の滝には入れず、下流の低温の滝しか入れないとのこと。残念なことである。

2017年3月13日月曜日

浅間山荘事件と連合赤軍

BS朝日の「ザ・ドキュメンタリー」という番組をこれまで見た記憶はないが、たまたま「浅間山荘事件  立てこもり犯の告白  連合赤軍45年目の新証言」というタイトルだったので見た ( 3月9日放映 ) 。前半の山荘立てこもり事件 ( 銃撃戦で警官3名、民間人1名死亡 )は当時テレビ中継 ( 何しろ10日間続いた!) で逐一見ていたので、後半の群馬県の山岳アジトでの「総括」という名の同志12名のリンチ殺人の方に関心があった ( 他に千葉県で2名リンチ死 ) 。

主犯格の森恒夫 ( 公判中留置所で自殺 )と永田洋子 ( 死刑囚として収監中病死 )以外の坂口弘らまだ死刑執行されていないメンバーは別とし、今回証言した数人 ( その中には27年間を獄中で過ごした植垣康博も ) の誰もいわゆる悪人タイプでない事は予想どうりだった。それまでの反安保闘争やベトナム反戦運動の中から武装革命闘争への道に進んだのは彼らの主観では正義の闘争であったろう。しかし、仲間の処刑に耐えきれず途中でアジトから逃亡した一人を除くと証言者たちは今でも真の反省には至らず、結果に戸惑っているように感じられた。

革命運動の同志のリンチ処刑は19世紀ロシアの「ネチャーエフ事件」が有名だが、当局のスパイと誤認してといった事情もあったようだ。しかし、連合赤軍事件の場合スパイと疑われたのではなく、革命戦士としての資格なしとされ殺されたという点で特異であり、世間を唖然とさせた。

事件への「識者」のコメントの紹介はあまり無かったが、特異な右翼人として知られる一水会代表の鈴木邦男氏 ( この人って本当に右翼?) の「愛と正義が一番おそろしい」とのコメントが一番的確だと感じた。愛も正義も本来は素晴らしいが、その実現を目指す人の中には自説を固執し寛容が感じられない人が少なくない。鈴木氏は ( 祖国 ) 愛や正義に身を捧げる決意をした右翼青年の中にそうしたタイプをよく見るのだろう。

番組でも文献でも現在は「山岳ベース」と呼ばれているらしいが、当時は「山岳アジト」と呼ばれていたと記憶する。アジトでは現在の人には通じないからか?  45年の歳月は用語にも越えられない壁を作ったようだ。

2017年3月11日土曜日

国家元首を刑罰の対象にすべきか?

「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」。 この明治憲法第3条を私は神政的天皇制を文章化した条文とひたすら理解していた。後になってこの条文が「君主無答責の原則」(君主は法的責任を問われないの意 ) を意味し、外国の憲法にも同種の条文は稀ではなかったと知った ( 成文憲法のない英国では「王は悪をなさず」(King can do no  wrong )との憲政上の慣習 ) 。この原則は共和制国家が増加すると「元首無答責の原則」に形を変えたようだ。現在のフランス国憲法 ( 第五共和制憲法 ) は「大統領は反逆罪の場合を除き、その職務の遂行中に行なった行為について責任を負わない」(68条)と規定している。法の前の万人の平等を世界に先駆けて宣言したフランスがである。国家元首とはそれほど重い職であろう。

韓国の朴大統領が憲法裁判所により大統領罷免を宣告された。もはや元首で無くなった朴氏は一介の市民として過去の「違法行為」を罰せられる可能性が生じたという。しかし彼女の犯した「罪」は大統領罷免に値するほど重大な罪だったろうか。米国のニクソン元大統領はウォーターゲート事件で大統領辞任に追い込まれたが、側近たちが実行した盗聴事件の隠蔽を企てるなどその罪は重かった ( 信じてはならない人を信じる罪を犯した朴氏とは違う ) 。それでも米国民は辞職以上の責任追及をしなかった。現在の韓国大統領は軍事クーデターで就任した大統領ではない。「国民の選んだ大統領がことごとく国民の罵声を浴びる末路をたどるのはどういうわけか」との「余録」の言葉( 『毎日』3月11日) に同感を禁じ得ない。大統領の非を責めるなら選んだ自分たちの不明も恥じるのが道理ではなかろうか。民主主義の勝利などと祝っているときだろうか?

2017年3月7日火曜日

森友学園問題と首相夫人

大阪の森友学園の問題は国有地払い下げ問題と首相夫人の行動の妥当性に一応分けて考えることができる ( 昭恵夫人が払い下げ問題に直接関与したとの疑惑はこれまでのところ無いので )。

国有地の払い下げ問題は日を追うほどに醜悪な様相を呈している。共産党の小池議員により与党政治家の暗躍が指摘された途端に鴻池参院議員が記者会見を開いて現金を投げ返したと影響力行使を否定したのがあまりにわざとらしく見え透いていると思ったら、やはり同氏への学園側の働きかけが25回?に及ぶとそのしつこさを議員の秘書までが揶揄していた。幼稚園児に教育勅語を教え込ませたり安倍首相を褒めさせたりの異常さを含めて、学園長の籠池理事長の教育者失格ぶりがさらけ出された。払い下げ問題の疑惑は徹底的に追求されてよい。

他方、首相夫人の学園との関わりは少なくとも軽率の批判を免れない。これまでの夫人は夫の政治姿勢に一見反する行動 ( 反原発候補支持、防潮堤批判、大麻栽培是認など ) を示してきた。それが「家庭内野党」とメディアで揶揄 ( 評価?)されていたが、あるノンフィクション作家によると ( 石井妙子「安倍昭恵『家庭内野党』の真実」 『文芸春秋』3月号 ) 、それほど深く考えた末の行動ではなかったようだ。それが今回明らかになったようだが同情すべき点もある。石井氏によると、秘書無しだった橋本元首相夫人は何の仕事もしないで首相夫人で居ることが申し訳ないと感じたとのこと。昭恵夫人の場合、理由は知らないが5人も秘書を付けられ、子供のない夫人としては何かしないと申し訳ない気持ちになったとしても無理はない。

近頃、テレビなどのメディアに対する政権側の規制強化を危惧する声が高いが、今朝の『東京新聞』は今回の事態でそれが必ずしも効果があるとは言えないことが示されたとしている。テレビ局にとって政権の反発への恐れよりも番組の高視聴率の誘惑には勝てなかったのである。それはまたそれで深刻な問題だとも言えそうだが..............。

P.S.  前々回に知床半島の露天風呂のことを書いたが、カムイワツカの湯滝のようだ。遊覧船から見える海際のカムイワツカの滝ではなく、逆に山側に10分あまり登ったところにある。夏季にはウトロからバスが出るとか。水着着用可というのは無しでも良いということか?持参した方が安全だろう!

2017年3月2日木曜日

貿易摩擦と「安全基準」

選挙中、日本の自動車産業叩きを口にしていたトランプ大統領はこのところ鳴りを潜めている。しかし、そのうち問題が再燃する可能性は小さくあるまい。

すでに指摘されているように、日本車が米国で大量に購入されているのに日本で米国車がほとんど売れない理由は、後者が大きくて燃費が悪いのが主な理由である。日本の道路事情に適した米国製小型車をわざわざ設計しても大量に売れる見込みはないし、小型車は一台あたりの利益率が低いから米国の三大メーカーは本気になれない。いわば自業自得でもある。

しかし、多くは誤解に基づくとは言え、米国の感情的苛立ちはまったく根拠がないわけではない。日本の軽自動車の税金は最近1.5倍ぐらい引き上げられたとはいえ、まだ低いし、その軽自動車が車種別売上ベストテンの6車を占めるのである。普通車の自動車税は米国 ( ナンバープレート税?)の何倍もすると聞く。多年、自動車イコール贅沢品ととらえてきた日本の役所の感覚の名残りは米国人には理解不能だろう。

新聞 ( 『朝日』3月2日 )に、トランプ氏とロス商務長官が日本の食品安全基準について、「 ( 食品が ) 清潔でないと送り返されている」「我々も同じやり方をすると伝えるべきだ」「制裁措置と言わずに米国の安全のためと言えばいい」と電話で会談していたことが米国のネットメディアから明らかになったとの記事が載っている。知日派と報ぜられたロス氏にしてこの事実である。

我々日本人も、韓国と中国が放射能を理由に日本産の水産物の輸入を今も禁止していると聞けば不快感を持たずにはいられない。しかし、かつて日本が狂牛病 ( BSE )を理由に牛肉輸入に国際基準とかけ離れた安全基準を設定していたことも事実である。安全重視は大事だが、安全基準が官僚の業界保護や閉鎖性の隠れみのにされやすいことも事実である。