朝廷の抵抗に追い込まれた慶喜は、内心は騒乱を避けたい諸藩の代表たちを御前会議に呼ぶという前例のない方法で世論の動向を示す一方、勅許が得られないならこの場で切腹すると脅して朝廷を屈服させた。番組の出席者たち ( というより司会の磯田道史氏!)はこの摂海侵入事件を幕末の最大の危機と捉え、もし列強軍が京都に侵入していればアヘン戦争後の清国のように我が国が列強の植民地になっていた可能性があると結論した。
たしかに、幕末史では薩英戦争や列国艦隊の下関砲撃事件が有名だが、それらは薩摩藩や長州藩にとって危機であっても日本国が列国の直接の目標だったのではない。むろん京都侵攻で必ず日本が植民地化したとまでは言い切れないが、いまや世界の観光都市京都が第二次世界大戦より80年早く焼け野原となる危険にさらされたことは確実だろう。
徳川慶喜の評価としては矢張り鳥羽伏見の戦いで劣勢となるや将兵たちを置き去りにして江戸に逃げ帰ったことの印象が強いし、私個人は吉村昭氏の『天狗争乱』を読んで慶喜を味方と信じて ( 誤解して ) 関西にまで攻め上った水戸藩士たちを見捨てた ( 彼らは虐待され処刑された ) 酷薄な人、しょせん臣下のことなど気にかけない殿様と考えていた。急に意見を改めろと言われても.........。
殿様には相応の貢献の仕方があるということか。歴史上の人物の評価はかくも難しい。