2016年9月27日火曜日

日本植民地化を阻止した徳川慶喜?

NHKの「英雄たちの選択   幕末秘録  京都に外国軍侵攻?」( 9月15日 放映 ) を録画で見た。幕末の1865年、我が国が開国の約束をサボタージュしているとの理由を挙げ米英仏蘭の四カ国の九隻の連合艦隊が大阪湾に集結し、開国の勅許を求めて京都に攻めのぼると威嚇した ( 摂海侵入事件 )。板挟みになった幕府は朝廷に勅許を求めるが狂信的攘夷思想の孝明天皇は抵抗し、攘夷派公家たちを背後で操る大久保一蔵 ( 利通 ) は幕府を窮地に追い込むため国難も意に介さなかった (革命家とはそういうものか?)。

朝廷の抵抗に追い込まれた慶喜は、内心は騒乱を避けたい諸藩の代表たちを御前会議に呼ぶという前例のない方法で世論の動向を示す一方、勅許が得られないならこの場で切腹すると脅して朝廷を屈服させた。番組の出席者たち ( というより司会の磯田道史氏!)はこの摂海侵入事件を幕末の最大の危機と捉え、もし列強軍が京都に侵入していればアヘン戦争後の清国のように我が国が列強の植民地になっていた可能性があると結論した。

たしかに、幕末史では薩英戦争や列国艦隊の下関砲撃事件が有名だが、それらは薩摩藩や長州藩にとって危機であっても日本国が列国の直接の目標だったのではない。むろん京都侵攻で必ず日本が植民地化したとまでは言い切れないが、いまや世界の観光都市京都が第二次世界大戦より80年早く焼け野原となる危険にさらされたことは確実だろう。

徳川慶喜の評価としては矢張り鳥羽伏見の戦いで劣勢となるや将兵たちを置き去りにして江戸に逃げ帰ったことの印象が強いし、私個人は吉村昭氏の『天狗争乱』を読んで慶喜を味方と信じて ( 誤解して ) 関西にまで攻め上った水戸藩士たちを見捨てた ( 彼らは虐待され処刑された ) 酷薄な人、しょせん臣下のことなど気にかけない殿様と考えていた。急に意見を改めろと言われても.........。
殿様には相応の貢献の仕方があるということか。歴史上の人物の評価はかくも難しい。

2016年9月25日日曜日

豪栄道 優勝!

大相撲秋場所は大関豪栄道の初優勝で終わる。まだ全勝優勝かどうか分からないが、たとえ14勝1敗で終わっても文句のつけようのない成績での優勝である。これが大関昇進いらい四度のカド番という惨憺たる成績だった力士の為せる業とは思えない。あれよあれよの間の優勝であり、誰もこの結果を予想していなかったろう。あまりの変身の理由はこれまで体調が不良だったせいか?  そうと聞いていないのは、それを理由にしたくない大関のプライドの故だろうか。それとも単なる偶然の変身なのだろうか。

二敗の遠藤 ( よくやった!)が負けての優勝決定でなく、日馬富士を敗って決めたのがまた良かった。私は日馬富士のファンでもあるので取組前の心境は複雑だったが、やはり今回は日本人力士に勝って欲しかった。負けた瞬間、日馬富士は照れたような表情を浮かべた。あれほど相手を圧倒しながら逆転されては苦笑する他なかったのだろう。しかし、彼の俊敏さはこれまで私が知る力士のうちでも随一であり、今場所もそれは十分発揮された。好漢の今後を期待する。

稀勢の里が今回優勝どころか期待外れに終わったのは残念だが意外ではなく、場所前あれほど期待を煽ったメディアがおかしい。これまでの彼は日本人故の期待を一方的に負わされていた。今回でその面での心理的負担はある程度解消したことは喜ばしい。今後はただ自身のためにだけ勝負して欲しい。今場所の豪栄道のように。仮に横綱昇進なしで終わったとしても、白鵬に双葉山の連勝記録を破らせなかった力士として私は忘れないだろう。

2016年9月22日木曜日

国際結婚と難民問題

卓球の福原愛選手が台湾の卓球選手と結婚した。彼女ほど同胞に愛されたアスリートも稀だろう。長嶋茂雄がいると反論されそうだが、確かに長島の人気は高かったが巨人ファン以外にも圧倒的人気とは言えなかった。それに対し「愛ちゃん」は20年近く国民の言わばアイドルだった。結婚相手も好青年のようだ。相手が中国や韓国の青年だったら私も心から祝福したか正直分からないが、最大の親日国 ( 国と言ってよいかは兎も角 ) 台湾の青年となら何のわだかまりもないし、台湾の人たちも ( 大陸中国の人たちも ) 喜んでくれると信ずる。今後の二人の幸せを願うばかりである。

現在開会中の国連総会の重要テーマが難民問題であり、安倍首相はシリアを中心とする難民に3年間で2800億円の人道支援を行う考えを表明した。それに対しメディアではこれ迄も、日本は資金は出すが難民受け入れには冷淡であると批判されてきた。ヨーロッパ諸国には日本への不満をかこつ向きもあると指摘する新聞もある。確かに今年上半期の難民認定が4人とも6人ともいうのは何とも少なすぎる。

しかし、2800億円が少額とは必ずしも言えないし、国民の税金、その中には外国で諸々の困難や危険にさらされている同胞の貢献も含まれていることを忘れるべきではない。それに何より中東やアフリカからの難民が故国から遠く西欧語も身につかない日本に本心から住みたいと考えるとは思えない。ヨーロッパで日本を批判する国があるとすれば、植民地支配の過去や労働力不足を理由にこれまで移民や難民を受け入れた国々の日本への妬みが主な理由だろう。我が国が難民として受け入れるべきなのは戦時中被害を与えたアジア諸国からだが、現在難民問題を抱えているのはミャンマーぐらいだろう。

シリアで日本語や日本学を学んでいる若者を受け入れるとの日本政府の意向は妥当であり、ぜひ全員を国費で招いてもらいたいが、一般論として移民難民には慣れない異郷で苦労するよりも安全が確保され経済が安定した故国で生活することが望ましい。一時の同情が本当に当人たちの幸せに貢献するとは限らないことは一匹狼のテロリストの頻発に明らかである。


2016年9月19日月曜日

『緑の魔境』?

昨年百數十個の収穫があった庭の温州蜜柑の木に現在実が皆無である。果樹に生り年と裏年があることは無論知っていたがこれ程のことになるとは思いもよらなかった。木からすれば休養のため、つまりは自己防衛のためだろうが。

収穫ゼロは仕方のないことだが、栄養が余るせいか盛夏も過ぎる今頃に20センチぐらいの新しい枝が次々に伸びてくる。現在以上に大きな木になると厄介になるので除去に努めているが、きりが無いという感じである。

蜜柑の木だけではない。住んで半世紀ともなると庭木の大きさも半端でなくなる。ヒマラヤ杉や樅など既に二、三本は切り倒したが、今でも柿やムクゲ、ハナミズキなどどれも植えた時は直径1センチくらいの苗だったのが切り倒すのも困難な高さになり、植木屋への支払いも増額を考えなければならなくなった ( 親の代からの家に住む友人からはそんな少額と笑われたが!)。除去したくとも植木屋にも迷惑視されそうである。

数年前に亡くなられた著名な農学史学者兼科学評論家の筑波常治氏は衣服はもちろん使用するインクや朱肉まで緑色で統一するという、ある意味で現在の自然保護運動の先駆者のような人だが、たまたま私が読んだ著書の中では普通の人は植物の旺盛な生命力を知らないと書いておられた。アマゾン川流域の原生林がプランテーション農法で急速に失われつつある現在、自然保護運動の重要性、緊急性は論をまたないが、極小単位の個人の側からすると樹木の旺盛な生命力を強調したくもなる。

1954年に製作されたイタリア映画に『緑の魔境』というのがあった。題名を覚えているだけで私は多分見ていないが、未開のアマゾン奥地の動植物や原住民の紹介の映画だった (  ピラニアの凶暴さはこの映画で世に知られたという )。その頃とは何もかも様変わりしたアマゾン地方である。しかし私には題名が妙にリアルに感じられるようになった!

2016年9月15日木曜日

『東亜日報』の気骨

今朝の『産経』に「慰安婦像移転し日本と協力を   韓国有力紙 異例の『正論』」との見出しで『東亜日報』紙の論説主幹が「北朝鮮の核に対していくために、ソウルの日本大使館前に設置された少女像 ( 慰安婦像 ) を移転させるべきだ」と同紙のコラムに書いていると報じている。

『東亜日報』は1936年のベルリンオリンピックのマラソンで孫基禎選手が優勝した際、孫選手のゼッケンの日の丸を韓国旗に写し変えた写真を掲載し、当時の総督府から11ヵ月の停刊処分を受けた有名なエピソードの他にも9年間に300回の販売禁止を受けた硬骨のジャーナリズムである ( ウィキペディア )。「韓日合意の精神と国際社会の基準に従い、少女像を日本大使館から移転させ....」、「軍事大国の中国がアジアで中華覇権主義で疾走するなか、核兵器もない日本の再武装を憂慮するのは、過去にだけとらわれた見方だ」との主張は間然するところのない正論である。想像だが、これまでも主筆は慰安婦像設置を行き過ぎた行為と考えており、「北朝鮮の核」への対抗は名目なのではなかろうか。何れにせよ同紙の伝統に違わぬ勇気ある発言である。日本の他紙、特に『東亜日報』と特約関係にある『朝日』がこの記事を報道しないのは理解できない。

6月10日の『毎日』に戦時中米軍が三人の朝鮮人捕虜を尋問した調書が記事になっている。「日本支配の過酷さ、米で確認」との見出しだが三人は、「太平洋で目撃した朝鮮人慰安婦は、志願したか親に売られた者だった。( 軍による ) 直接的な徴集があれば暴挙とみなされ、老若を問わず朝鮮人は蜂起するだろう」と答えた。「『金もうけができる』と言われて徴集された就業詐欺が多かったことが判明している」との調書の結論を「植民地支配された朝鮮の貧困」「民族・女性差別の深刻さと同紙は解説しているが、ちなみにイザベラ・バードの『朝鮮紀行』は李朝末期の朝鮮人の生活の貧しさ、不潔さに驚いている。しかし、それが民族性と無関係であることはロシア支配下の沿海州の朝鮮人が見苦しくない生活をしていることにバードが着目していることから明らかである。李朝末期の政治に原因があったということだろう。記者たるものもっと勉強して記事を書いて欲しい。もっとも調書を紹介しただけ他紙よりましとも言えるが。

2016年9月12日月曜日

歌枕の旅

先日、芭蕉の『おくのほそ道』をたどるNHKの番組があり、久しぶりに森田美由紀アナに再会?し懐かしかった。むかし外国からの帰国時、機が日本に近づくとニュース番組の彼女の穏やかな声が流れ、帰国を実感したものだった。

番組は二回のうちの前半なのか山形県に入ったところで終わった。芭蕉の旅が各地の西行ら先人の歌枕の地 ( と義経関連史跡 )をたどることが大きな目的だったことは全く知らなかったわけではないが、よく分かった。那須の殺生石や遊行柳、白河の関、義経の忠臣佐藤兄弟ゆかりの飯坂温泉周辺、松島、平泉、尿前の関、月山をのぞむ山刀伐峠と、白河の関以外は曽遊の地だったので懐かしく見られた。個人的には平泉の義經堂が最も印象深かったのはやはり日本的な判官贔屓と「夏草や兵どもの夢のあと」と、北上川を眼下に束稲山をのぞむ風景と三つそろっていたことが大きいのだろう。

国内で歌枕を意識して訪ねたことは無いが、外国の歌にうたわれた名所は多少意識して訪ねた。結果としてヴェネチア、ナポリ、ソレント、カプリ島とやはりイタリアが多くなったが、パリを含めて幾つかある( ライン川とドナウ川の船旅は案外大味だった ) 。

パリは、そのものを題名にした戦前の『パリの屋根の下』や戦後間も無くの『パリの空の下、セーヌは流れる』しか思い出せない。前者の方がどちらかといえば知られているが、私は後者の曲が好きである。首都クラスの都市として昔は犬の糞の多いパリは特別好きではなかったが (同胞のパリ滞在記はなぜそれに触れぬ!)、いま振り返ればやはりもう一度訪ねられたらと思うのはパリが一番である。ヒトラーのパリ破壊命令に従わず降伏した駐留ドイツ軍のコルティッツ将軍は世界の人々の感謝に値する。パリを訪れる観光客は彼を想起すべきである!

2016年9月8日木曜日

映画『シン・ゴジラ』を見て

私のゴジラ映画歴?は初期の二、三篇を見た程度で、むしろ無関心派に近かった。それが今回、『シン・ゴジラ』( シンは新、真、神など解釈自由だとか ) を見る氣になったのは、本作が怪獣ものであると同時に怪獣に対する当事者 ( 政官界など )の危機対処もテーマであるかのような評を目にしたからである。

結果は、男たちが怒鳴り合い聞き取れない場面が多かった往年の黒沢映画のように、今回は官庁用語入りの硬い内容が大声で叫ばれるので、内容を十分理解できたか自信はない。昔の『日本沈没』もやはり国難への対処という同じ内容だったのに十分理解できたのは世の中全体がせっかちになって来たからか、私の理解スピードが加齢で衰えたためか。

突発した異常事態の正体を先ず理解しついで対処するため複数の協議体が急遽設置されるが、それらの組織名の長たらしさは官僚主義を皮肉ったものだろう。また我が国では首相をはじめとする組織の長は下からの意見具申を承認するだけで自分で判断を容易に下せないこと、つまりは実質的にこの国を動かしているのは中堅クラスの人材であることを想起させる内容となっていた。世界各国の指導者が米国やロシアの大統領からトルコやフィリッピンの大統領まで、その判断の良し悪しは別とし果敢に判断し行動するのは我が国の流儀とは対照的である。この映画が福島原発事故での民主党政権や東電の混乱ぶりを念頭に置いているとしても、我が国のdecision makingの行動様式まで遡って考える必要があるのだろう。

作中でゴジラの世界的危険を排除するため米国が東京の中心部での原爆の使用を日本政府に迫る場面があった。幸い別の対策でゴジラは死ぬが、こうした場合米国なら自国民に対しても原爆使用をためらはないかもしれない。そのことの善悪は私にも判断が困難である。そうしたことが無いよう願うばかりである。

2016年9月4日日曜日

日露交渉の行方

日露間の領土問題交渉はひとつの山場を迎えつつあるようだ。安倍首相とプーチン大統領との交渉の内容は不明だが、通訳以外の余人を交えず二人だけの密談が前回 ( ソチ )を併せ二度目ともなれば相当程度本音の話し合いに入っていると考えられる。

それに対する各紙の社説だが、『産経』は四島返還方針の堅持を、『日経』は領土に触れず単に交渉促進を ( つまりは領土放棄もあり ) 主張しているが、全国紙三紙は明確な態度表明を控えている印象である。いくら会談内容が不明と言っても、四島一括返還 ( 時期はともかく ) と返還なしの間の何処かで話し合いがなされていることは明らかであるのに。

これまで、専門家の予想も、袴田茂樹氏のようにロシアは一島も返還の意志なしというものまであったが、今回のプーチンの公開発言から推測すると二島返還まで譲る用意があるのでは ( あくまで推測 )。私も日本人として四島返還、少なくとも三島返還を切望するが、『産経』のようにそれ以外は無しとまでは言いたくない ( 仮に返還されても北方領土に移住する日本人が多いとは思えない ) 。『日経』の指摘するように石油輸入の中東依存 ( 8割とか ) からの脱却やロシア極東地方の経済基盤強化への協力も重要だが、日露提携は中国に対する両国の立場を強めるとの認識が肝要ではないか。

確かに四島ともポツダム宣言に言う、過去に日本が他国から奪った領土ではないが、それを言うなら千島全島が1875年の千島樺太交換条約で日本が正当に獲得した領土だろう。しかし可能性のないものを求めても仕方が無い。ウクライナ問題に発する現在のロシアの経済的苦境は日本にとり最後の機会かもしれない。米国の反対は予想されるが、中国主導のアジア・インフラ投資銀行に西側諸国で米国とともに唯一加盟せず、同じく米国の要請に応じて新安保法制を導入したのは今回のためでもあったのではないか。日米同盟は日本のためだけでなく米国のためでもあるはず。安倍首相には毅然として説得に務めてもらいたい。

2016年9月2日金曜日

辻政信の評価

この夏、私の知る限りで二度、辻政信の『潜行三千里』( 1950年 )の復刻新書版の広告が毎日新聞に載った。他紙の広告ページには載らなかったので現在の出版元が「毎日ワンズ」であるためだろう。辻政信と言っても記憶にない人が多数だろう。旧陸軍の参謀として縦横に腕を振るい、戦後は連合国の戦犯追求を逃れて国内ばかりか外国にまで潜伏し、さらにその後衆議院や参議院で議員を務めた伝説的軍人である。

広告には「ノモンハン、シンガポール、ビルマ戦を指揮した伝説的軍人の決死行!」と、米国主導の戦犯裁判を拒否した英雄であるかのような文言が踊っている。しかし日ソ間の「ノモンハン事件」は多くの将兵を失った無意味な敗北戦であり、シンガポール攻略は勝利したとしてもその後の占領下で多くの中国系住民を対敵協力の疑いで虐殺したことで知られる。ビルマで展開したインパール作戦は太平洋戦争で最も悲惨な愚行の一つだった。

作家として日本ペンクラブ副会長も務めた杉森久英氏が1960年代初めの『文芸春秋』に「日本怪物伝」という題 ( たしか ) で辻政信や徳田球一 ( 日本共産党書記長 ) の伝記を連載した ( それぞれ単行本にもなった )。杉森は豊かでない出身の辻が刻苦勉励して大人物になったと当初考えて書き始めたが、しだいに自分の名声のため兵士の犠牲など何とも思わない人物と考えるに至ったと書いた。
逆に徳田球一については批判的伝記を書くつもりで始めたが、徳田がのちに受けた「家父長的支配」との批判を正しいものと認めながらも、「獄中十八年」を耐えた信念や一種愛すべき人柄に惹かれ、次第に評価を改めたと語っている。そして米占領軍の共産党弾圧を逃れて共産党下の中国に渡った徳田はほとんど軟禁状態で生涯を終えたと結んでいる。毛沢東の目には、ソ連共産党に批判された徳田は同志としての扱いに値しない用済みの人間でしかなかったのだろうか。