今朝の『東京新聞』に隣市 ( 前回のブログの豆腐屋の所在地!)の56歳の中学教師が、「生活指導の信念失うな」と題した投書をしている。「最近は、親子の過剰な被害者意識、権利主張に辟易し弱体化した学校現場が激増している」一方、「昔の生活指導が今は体罰と呼ばれることもある」との指摘に私は全面的に賛成する。
戦後教育では子どもの人権の尊重が叫ばれてきた。その一半の原因は近代の欧米の教育理論の影響にもあるだろう。そうした理論はヨーロッパで長年にわたり子どもが半人前ないしそれ以下の存在として遇されてきた ( フィリップ・アリエス『子供の誕生』)ことへの反動、修正だったろう。それに対し幕末の日本を訪ねた欧米人は住民が子供を大切に扱うと一致して指摘している ( 渡辺京一 『逝きし世の面影』 第十章 子どもの楽園 )。今さら欧米の教育理論に従う必要はなかったのである。
モンスターペアレンツの理不尽な要求に対してはせめて教育委員会が毅然としているべきだった。しかし、私の見るところ各地の教育委員会は問題化以前は事態を隠蔽し、それが不可能となると一転して教員を厳しく罰することが多かった。どちらも事なかれ主義という点では同じである。親の「過剰な被害者意識」におもねるメディアに対して、現場を知らぬ無責任な批判と一蹴する教育委員会や教育長がこれまで少なすぎたのではなかろうか。私は現場の教員たちの苦境に同情を禁じ得ない。