2015年11月30日月曜日

ロシア軍機の撃墜

ロシアの軍用機の撃墜をめぐってロシアとトルコの対立はまだ鎮まりそうにない。対立を喜ぶのはイスラム過激派のテロリストなのに。

撃墜の理由とされるロシア機のトルコ国境侵犯の事実はまだ不明というほかない。こうした場合、一般には侵犯が事実である可能性が高いだろう。しかし、ロシア機の落下地点がシリア領だったこと ( だからと言って侵犯無しと言い切れないが ) 、侵犯の証拠としてトルコ政府が公表したトルコ軍機の警告は「国境に近づいている」と再三警告しているが「国境を越えた」とは言っていないので、侵犯の証拠として十分とは言えない。他方、ロシアがイスラム国 ( IS )に対してよりもトルクメン人反政府派への攻撃に熱心だった事実も明らかになった。 

国境を侵犯した航空機の撃墜事件と言えば旧ソ連時代のサハリン沖での大韓航空機撃墜事件が思い出される。私はソ連の参謀総長らがテレビ出演中あきらかに困惑していたこと、深夜に相手が民間航空機であることが分かったとは思えないことなどを考え、レーガン米大統領が口をきわめてソ連を攻撃したことに疑問を禁じ得なかった。しかし、米国は通信傍受 ( 自衛隊による? ) により戦闘機パイロットは目標が民間航空機と知っていたこと、それを報告したパイロットに対し上官が撃墜を許可したことを知った。そうであれば領空侵犯がかなりの時間続くと予想されたとしても撃墜は文明国の行動とは思われなかった ( それ以前に強制着陸を命じたケースもあったのに )。

今回のケースも仮にロシア機の領空侵犯が事実としても、報道によれば十数秒間の侵犯とのこと。相手は民間機ではないとはいえ旧ソ連と同様に荒っぽすぎるトルコの対応との印象は否めない。そのせいかトルコ大統領の発言には軟化の兆しもうかがえる。別の報道によればロシアとの会談でオランド仏大統領はロシアの攻撃目標をISに集中することを約束させたという。そうであればトルコ側の不満も大きく改善されることになる。遺憾の意を表明してもトルコの面目もある程度保たれることにならないだろうか。経済的にも有無相通じる両国の非難合戦は賢明ではない。

2015年11月29日日曜日

友人を見舞って

昨日、二歳ほど年長の旧友を介護施設に見舞った。脳梗塞で倒れて緊急入院してから三つめの施設だそうで、普通のマンションに一歩近づいた感じの施設。本人も左半身が不自由で車椅子が欠かせないが、頭の回転は以前と変わらず、同行した友人と三人積もる話題で思わず長談義となり、再会を期して別れた。

とはいえ、施設側は外出や館内のベランダに出ることはあまり歓迎しないとのこと。一度倒れたりしたら怪我をしたり、そうでなくとも自力で元どおりに車椅子に座ることが困難な人が少なくないとあれば、施設側が神経質になるのも理解できる。大勢の中には何かと他人のせいにするモンスターペイシェントもいるだろう。介護職員の苦労に報いる待遇であって欲しい。

帰りの私鉄はかつて11ヶ月だけ専任教員を勤めた都立高校の下車駅にとまった。60年近くのときを経て駅周辺はビルが林立し、昔の面影はなかった。たぶん学校も変わったろう。思えば当時常識を欠く若者で、今ならどうかと思う発言や行動をしたのに同僚も管理職も大目に見てくれた。恩知らずな言い方だがもっと厳しく注意してくれても良かったのにと思わないでもない。難しいところである。

施設の住所はひかえていたが区分地図を持参しなかったので途中の商店や配達人に頻繁に場所を尋ねる他なかったが、誰も嫌な顔をする人はなかった。さすがおもてなしの国。滝クリの言葉に嘘はなかった!

2015年11月24日火曜日

テロリスト集団との相互理解は幻想では

イスラム国ISないしイスラム過激派の蛮行に対して相変わらず「暴力に暴力で応ずるのは良くない」といった投書が新聞によく載る。掲載する側も含めて認識不足ではなかろうか。以前のブログに書いたことを繰り返したくないが、彼らは反西欧なだけでなく (それだけなら話し合いが可能だが ) 、同じ民族が相手でも宗教や宗派が異なれば殺戮を平気で犯す集団である。彼らが女子教育を訴えるマララを捕えたら必ずや殺すか奴隷にするだろう。

オランド仏大統領の「フランスは戦争をしている」との発言が過剰反応との印象を与えているが、第一次世界大戦中に首相になったクレマンソーが就任演説で「私は戦争をする」と三回?繰り返した故事に倣ったものだろう。上下両院の合同会議をわざわざベルサイユ宮殿で開催したのもフランス革命の発端となった「( 屋内 ) テニスコートの誓い」に倣ったのだろう。現在が第一次大戦やフランス革命と並ぶ危機だと訴えたかったのだろう。移民反対を叫ぶ国民戦線の伸長を防ぐという裏の動機もあろう。私には日本人が一撃で死者130名、負傷者350?名のテロ被害を受けたとき国民もメディアもフランスより冷静だろうとは思えない。

ロシア研究者の袴田茂樹氏はプーチン政権に厳しい目を向けるどちらかと言えば少数派のロシア通であり、未だにロシアを旧ソ連のように見なす誤りに取り憑かれている産経新聞のコラム「正論」の定期寄稿者である。しかし、今回のテロに関しては「( 軍事対応以外の ) 他の選択肢は思い浮かばない。過激派は確信犯であり、説得や和解策、経済的対応などでその活動をやめる相手ではない。報復を恐れての譲歩は相手を増長させ一層危険だ。『報復の連鎖』を批判する人で有効な代案を提示した人を私は知らない」と指摘している。私にはこれに付け加える言葉は何もない。私には瀕死の重傷を負っても主張をやめないマララのような勇気はないが、彼女や後に続く女性たちを危険に晒す言論に与してはならないと思う。

2015年11月23日月曜日

日馬富士の優勝を祝す

横綱日馬富士が二場所休場ののち二年ぶりの優勝を果たした。彼個人としても無論だが、相撲協会としても相撲人気回復のため万々歳ではないだろうか。

私は幕内最軽量と聞く小兵の彼が「全身全霊で」頑張っているのをこれ迄も応援してきた。今回も千秋楽でぜひ勝って優勝して欲しいと願ったが、対戦相手が稀勢の里となると心中は複雑だった。ファンの期待を裏切ってきた稀勢の里だが、十年間優勝者を出していない日本人力士の代表として負けて欲しくなかったから。

昨日うっかりして相撲中継を見損なったが、稀勢の里が勝って存在感を示し、しかも小兵の鶴竜が白鵬をやぶって面目をほどこすと同時に日馬富士に優勝が転がり込むというこれ以上ない好結果となった。亡くなった北の湖理事長も内心喜んでいると思う。

一昨日も相撲中継を見ていないが日馬富士が白鵬をやぶったとき場内は大いに湧いたらしい。白鵬としては面白くないだろうが、やはり白鵬ばかりが優勝では面白くないのは否めない。

白鵬が横綱として相撲界を支えて来たとの自負を持つのは当然だし、その結果相撲ファンが彼の一人勝ちを欲しなくなったのは彼の責任ではない。しかし、今場所の「猫だまし」は彼なりのファンサービスでもあったかと思うが、再三の張り手は矢張り横綱に求められる品格に欠ける。誰もが納得する大横綱として歴史に名を残して欲しい。

2015年11月19日木曜日

「世界一料理がマズイという国」

先日の民放テレビで表記の題のアンケート調査の結果、一位イギリス、二位アメリカ、三位ロシアとなった。娯楽番組なので出演者たちも自国の不評を笑い飛ばして結果に異を唱えなかった。(大国の度量?)  私の乏しい経験でもこの順位にあえて反対はしない。

英国人出演者も自国料理がうす味だと認めた。当然で、英国では各人が塩とコショウを自分の好みにしたがって振りかける。私はカレッジの食堂 (当時はウェィターがついた )以外では米飯を狙って中華やインド料理店を選んだので英国料理を食べる機会は乏しかった。30年後の1990年代にはスーパーでフランスパンがふつうに売られており、その後さらに英国料理は進化したと聞く。

米国料理の経験はツァー中の食事が主でとても大きなことは言えないが、量の多さとともに矢張り大味だったと記憶する。ボストンではロブスター料理の予定というので期待したが、オマール海老?にマヨネーズのようなものをつけて食べるだけ。フランス人なら美味いソースで食べるのではと思った。

ロシア料理はツァーで二度、シベリア鉄道の食堂車で一度、それぞれ一週間程度は食した。食堂車の品数が少ないのは仕方がないのだが矢張り単調で、途中からはボルシチ ( 食欲が無くても液体ならなんとか喉を通る ) でなんとかしのいだ。ツァー中の食事はそれほど単調に感じなかったが、日本人向きになっていた可能性はある。

トルコ料理の経験はないが、世界の三大料理は中国とフランスとトルコだとか。しかし日本のフランス料理はお上品で量が少ないが、フランスでも田舎の料理はそうでもなかった。本場の中国料理は美味しかったが、最近マクドナルドなどとんでもない悪質な食材の話を聞く。果たして私は何を食べたのか!


2015年11月16日月曜日

パリの同時多発テロ

パリで大規模なテロ事件が惹起した。イスラム国ISが計画実行したことは間違いないようだ。観光のハイシーズンではないとはいえ、世界一位を京都と競う?観光都市としては打撃は小さくない。何より市民の不安には同情を禁じ得ない。

今回はムハンマドを揶揄したメディアが襲われたのではなく、無関係の市民が被害者である。今朝の毎日新聞の第一面には「『西洋文化』が標的」との見出しで、今回の攻撃目標がロックミュージックの演奏会場やアルコールを供するレストランやヨーロッパの人気スポーツのサッカー場であった事実を指摘し、「テロは西洋の価値観を抹殺しようとしている」とのフランスの犯罪学者の発言を紹介している。事態は一層深刻であると言える。

イスラム国ISにすれば爆撃下のラッカの惨状はパリと同等ないしそれ以上だと言うかもしれない。しかし彼らは同じアラブ人を宗教や宗派の違いを理由に殺害したり奴隷化している。してみれば、西欧列強による植民地化への怨恨は彼らの蛮行の真の理由ではない。ほんらい中東が人類文明発祥の地であることを示す世界に誇るべき古代遺跡や遺物を破壊するに至っては、自らの文化遺産でもイスラム文化以外を許さないことを宣言するに等しい。

幸いわが国は中東から遠く、ヨーロッパほど脅威に晒されているわけではないが、かつてムハンマドを揶揄したラシュディの詩を訳した筑波大教授 ( 助教授?) が襲われ殺害された事実もある。政府もメディアもフランスへの連帯の表明を惜しむべきではない。テロの波及を恐れて曖昧な態度をとるなどあってはならない。

2015年11月10日火曜日

訂正

東京朝鮮の代表決定ニュースが読売新聞に載っていないと書いたのは誤りでした。多摩版に小さくですが載っています。

東京朝鮮が花園ラグビー場へ

全国高校ラグビー大会の東京代表二校の一つとして東京朝鮮が出場を決めた。心から祝福し、花園での大活躍を願う。朝鮮学校と在日コリアン全体との関係は知らないが、韓国系在日も心から応援すると思う。

在日コリアンに関してはヘイトスピーチや嫌がらせデモなどがしばしば報道される。それらが唾棄すべき行動であることは勿論だが、彼らが日本国民全体から遊離した存在であることも明らかである。今回、呉ラグビー部監督は、「日本の皆さんに支えられてここまで来ることができた。感謝の気持ちでいっぱい」と語った。単なる外交辞令とは思えない。

他方、韓国政府や韓国人はこれまで在日韓国人に対しけっして温かくなかったのではないか。韓国大統領が在日団体と正式に会談したのは確か金大中氏が最初だったと記憶するし、訪韓する在日コリアンは「半日本人」とさげすまれることも少なくなかったと聞く。在日の李良枝氏の1988年度の芥川賞受賞作のテーマ ( 少なくともその一つ ) は、在日が韓国人に侮蔑的な態度を取られる現実だった。慰安婦問題が長い間韓国で取り上げられなかった事実も、彼女らがむしろ対日協力者、反民族的存在と見なされ声をあげるどころではなかったからではなかろうか。

在日コリアンがヘイトスピーチやヘイトデモに脅威を感ずるのは当然である。しかし、京都の朝鮮学校への授業妨害は裁判所により有罪とされ、高額な賠償金が課せられた。また、街頭右翼の宣伝活動は在日コリアンだけでなく彼らの気に入らない同胞の日本人にも向けられている。個人的見聞でもなぜ警察は厳しく取り締まらないか (横で見ているだけ)と思ったほど彼らの行動は傍若無人だった。

今回、他紙が東京朝鮮の代表決定に全く触れなかったり ( 読売、産経 )、簡単にしか触れなかったり ( 毎日 )なのに対し、朝日新聞が「悲願達成」と詳しく報道したのは評価されて良い。


2015年11月8日日曜日

ロシア機の遭難に思う

シナイ半島でのロシア民間航空機の事故原因はイスラム国ISによる爆薬持ち込みの可能性が高まりつつあるようだ。まずフランスが機体の欠陥ではないと声を挙げたのはエアバス機の製造国として責任の無いことを指摘したかったのだろう。つぎに米英がISによるテロ説を主張したのに対しロシアとエジプトが原因断定には早いとしたのは、それぞれシリア介入がテロを生んだとされて政権への支持が失われることを恐れたり ( ロシア )、空港での所持品検査が不十分だったとの批判を逃れるため ( エジプト ) だろう。そこに驚きはない。

私にとって驚きだったのはエジプト一国に8万人のロシア人が滞在していた事実である。ロシアにもソチやヤルタなど冬も温暖なリゾート地はあるのに。やはり水着で甲羅干しが出来るリゾート地が求められるのだろう。わが国にも温暖な沖縄で満足せず、ハワイやグアムなどへ出かける人が少なくない。しかし、その全部を合計してもロシア人の半分 ( ロシアの人口は日本の2倍?)の4万人に達するだろうか?

この事実が意味するところは、政治的自由など問題を残しつつもロシア社会が我々と同じ大衆消費社会であるということではないか。そうした段階に達すれば国民は対外的冒険よりも自分たちの生活向上を求めるようになるだろう ( 大きな方向としては )。

中国も国民の一部に外国で買物に専念する人たちを生んでいるが、それを一般化できるほどではないようだ。我々は中国国民の大多数が大衆消費社会入りするまでは攻勢的ナショナリズムを予想せざるを得ないのだろうか。それとも中国の中華思想はそうなっても変わらないのだろうか。

半世紀近く前になるが、隣国として貧しい中国を持つよりも豊かな中国を持つ方が日本にとり安全で良いことであるとの意見を読み、そういうものかと思った記憶がある。私は中国の主張を全て否定するものではないが、現在の中国を見るとあの意見は何だったのかと思いたくなる。

2015年11月5日木曜日

台湾映画KANO

台湾映画KANOを見た。1931年の中等野球甲子園大会に初出場し、準優勝した台湾の嘉義農林チームの活躍を映画化したもので、いつか見たいと思っていたが機会を逸していた。今回はいつもの市内のシネコンではなく、NPO主催の映画祭のパンフで見かけたので他市に出かけた。

特に見たかった理由は現在の台湾の人たちが日本統治時代をどう描いているかも無論だが、私が中高校生時代プロ野球選手の呉昌征選手がレギュラーとして活躍し ( 戦前は巨人、戦後は阪神、毎日 で。野球殿堂入りしている )、その出身が嘉義農林だと記憶していたこともある。

嘉義農林はこの後も三年連続で甲子園に出場したという。この映画では呉昌征は野球に憧れる少年として顔を出す ( のち出場 )。

映画は弱小のKANOチームがまず台湾代表を、ついで甲子園優勝を目指して日本人監督のもと漢人2名、日本人3人、原住民4人のレギュラー選手が力を合わせて奇跡の活躍をする物語であり、日本の台湾統治への批判は皆無である。逆に作中、農業用の大ダムの建設で当地方が大きな恩恵を受ける挿話もチラリとだが紹介されており、特別に親日映画ではないとしても反日色は皆無である。一つの目標のために民族の違いを超えて協力し合う姿だけが描かれており、彼らの純粋さには心を打たれる。

台湾は時に世界一の親日国などと紹介される ( トルコとどちらが親日世界一かは私には何とも言えないが )。それでも同国の日本語世代が詠んだ短歌が『台湾万葉集』としてまとめられていると聞けば切なく申し訳ない気持ちにさせられる。わが国は旧植民地に世界一の親日国と世界一の反日国を持っていることになるのだろうか。