2015年4月29日水曜日

災害への備え

ネパール地震の被害は日を追って拡大しており痛ましい。同国の建物の大部分は私の記憶では鉄骨や鉄筋を使用しているようには見えず、大地震には弱かろう。今はカトマンズの被害の報道が中心だが、交通も通信も途絶した地方の被害が判明するのはこれからだろう。ヒマラヤ山麓のトレッキングの基地で同国第二の?都市ポカラも震源地からの距離はカトマンズと同程度。列国の支援を得て一日も早く復旧し観光客を迎えて欲しい。

天災の被害を完全に防ぐことは不可能なので、その極小化に努める以外の途はない。東北大震災以前、私は日本各地の空港は乱立ぎみと理解していたが (例えば、新幹線も東名高速道もある静岡空港 )、地震に続く津波で仙台空港が使用不能なとき山形空港や福島空港の存在は貴重だったようだ。静岡県も東海地震が予想される地域。天災大国の我が国ではそうしたことも計算に含めて経済性を考える必要があるようだ。

他方、施設とともに災害への日頃の心構えも重要である。東北大震災のとき航空自衛隊松島基地ではヘリコプターを含めて二十数機が流されたと聞く。これでは被災地救援どころではない。戦闘機や輸送機なら津波襲来までの短時間で滑走路の損傷を調べる困難もあったろうが、ヘリコプターまで失ったのは失態と呼ぶべきである。戦場は想定外の連続が珍しくないだろう。厳しいようだが基地司令の責任は検討されただろうか?

2015年4月26日日曜日

春の信濃路

高齢者がゴールデンウイークの混雑に加担するのは申し訳ないと考え? 一足先に先週、安曇野に一泊二日の旅をした。

春の松本平が美しいことは良く知っているが、それには背景の北アルプスの眺望が必須なので天候が鍵となる。好天気が二、三日は続きそうだったが (それが先週を選んだ本当の理由!)、珍しく気象庁の予報通りとなり、山肌が雪でおおわれた後立山連峰が美しかった。半世紀前、爺が岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳と続く縦走路を仲間と歩いたのは盛夏だったが、その頃は元気だったと感じ入った。

桜は染井吉野の満開と八重桜の満開とのちょうど狭間だったが、同じ八重桜でも仲間より早く咲くつむじ曲がりも結構あった。最近人気の大王わさび農場は四回目?の訪問だったが、やはり今回がベストの時季だった。午前早くだったせいか見物客は九割方中国人 (多分!)で、日本人は完全な少数派。しかし一人でも多くの中国人が雪の北アルプスと八重桜を楽しんでくれることは素晴らしいことである。二回ほど中国人ペアに声をかけてシャッターを押してあげ感謝された (はず )。

帰路は姥捨から戸倉に下り、上信越道を利用した。堀辰雄は古今集の詠み人知らずの歌「我が心慰めかねつ更科や、姨捨山に照る月を見て」(母親を山に棄てた息子の悔悟の歌とか。大和物語 )をこじつけて、この地に赴任した国司の妻 (菅原孝標女 )が都を恋うる望郷の歌としたが (『姥捨』 『更科日記』)、その気持ちは分かる気がする。ともあれ、数時間で帰宅した私には悲しいかな特別の感慨の歌は思い浮かばなかった。高速道が悪いのか!

2015年4月20日月曜日

プレミアムな時代

「プレミアムな時代」という言葉がある。BSジャパンの同名の特集番組 (2014.11.22)あたりが元祖なのだろう。要は「並み」より少し高級なもの (ワンランク上!)を求める時代ということだろう。ともかく、その辺りからプレミアム製品の流行が始まったようで、それはそれで良いのだが、プレボス (プレミアム・ボスコーヒー?)のように一読して分からない短縮形も出てくる。さらに食品だけでなく広範な商品やサービスにまで拡大するだろう。

自分の金でより高級なものを求めるのは個人の自由に違いない。ブランド品志向も同様である。しかしバブル景気の前後、パリのブランド品店に日本人旅行者の行列ができ、店員は軽蔑したようなぞんざいな対応だったとの記事を読み情けなかった。同胞にあまり恥ずかしいことをしてくれるなと願うのは余計なお節介なのか。

第二次大戦中のインドネシア方面軍の司令官で戦後戦犯に問われた今村均大将は、日本で十年の刑期を果たすよりも部下たちが刑期を果たしている悪条件のマヌス島 (インドネシア ) での受刑を希望して同地に赴いたことで知られる数少ない昭和期の良心的な将軍だった。彼は若い頃駐在武官として? 英国に滞在したが、帰国の列車が動き出したとき、滞在中の自分の振る舞いが日本の名誉を傷つけることなく終了したことに安堵の涙を流した。彼の場合、英国でも多分軍服を着用していたので滞在中の緊張は人一倍だったのだろうが、戦後の1960年代でも、心の片隅にでも自分のかく恥は日本の恥だとの感覚でいた留学生はいたと思う。

プレミアムの時代、外国に赴かなくともブランド品は自由に入手できるようになった。海外でブランド品店に行列する日本人はもう居ないと思いたい。

2015年4月18日土曜日

報道ステーションの「内ゲバ」

自民党がNHKの「クローズアップ現代」のやらせ問題とテレビ朝日の報道ステーションでの元官僚の古賀茂明氏の官邸批判を理由に両局幹部から「事情聴取」したと報道されている。推測だが、政府与党にとって問題なのは後者で、NHKのやらせ問題は「付けたり」ないし「隠れ蓑」なのではないか。「やらせ」が小さい問題だとは言わないが、定義次第では民放局では稀ではないと感ずる。

私は報道ステーションをたまにしか見ないが、問題の場面を偶然目にしていて驚いた。ただ私が驚いたのは古賀氏と、その発言 ( 自分の番組下ろしが官邸の意向を忖度したテレビ局幹部の圧力によるとの ) を否定する古舘キャスターとの思いがけない「内ゲバ」に対してであって、政府与党に対する古賀氏の発言内容ではなかった。

私は古賀氏が自己の信念に忠実な人であることに日頃感心する一方、その主張がときに極端に走りがちであるとも感じていた。しかし今回に限って言えば氏の主張には一定の根拠があると感ずるので、それを否定するキャスターの発言には疑問を持った。舞台裏で古舘氏が古賀氏に「あなたを守り切れなくて申し訳ない」と謝っていたならば、キャスターの表の発言は視聴者への裏切りであろう。古賀氏がキャスターとの裏のやりとりを密かに録音していたというのにも驚いたが、自分が嘘つき呼ばわりされるのは耐えられないと氏が考えたのは同感できる。氏の発言には疑問の余地はない。週刊誌によれば古舘氏のプロダクションに30億円 ( 氏個人にはそのうち13億円 )がテレビ朝日から毎年支払われているとのこと。事実なら古舘氏はテレビ局への恩義を重視したのだろう。氏はその程度の人間なのであり、テレビ業界から追放される覚悟で真相を暴露した古賀氏の方がずっと立派であるとも言える。

自民党が古賀氏や報道ステーションに日頃から不満を抱いていたとしても、今回の「聴取」は大人気ないと感ぜざるを得ない。局側には「不偏不党」との放送法の規定は守って欲しいが、正しい政府批判ならば表明して当然である。もっとも、自説の主張の前に事実の公平な提示を優先して欲しいとは思うが。

2015年4月14日火曜日

粗雑な世論調査

今朝の朝日新聞のトップ記事は「被害を与えた国と「うまくいっている」 日本46%. ドイツ94% 
本誌・日独世論調査」とある。粗雑で誤解を生む記事という他ない。

既に指摘されていることだが、東京裁判ではドイツを裁いたニュルンベルク裁判と異なり、「人道に対する罪」との訴因は採用されなかった。まだ冷戦が本格化していなかった当時、米国を主とする連合国に日本に寛容になる理由は全くなかった。それに該当する大規模な事態はなかったとされたのである。

私はかねてから現代史における蛮行は 1 ) 戦場の狂気、2 )戦争の狂気、3 )イデオロギーの狂気 の三種があると指摘してきた。1 が国家の決定 ( 国策 ) によるとまでは言えない (南京虐殺など )のに対し、2 は国策に基ずく蛮行 (無差別爆撃など 。日本も重慶や広東で実施 )であり、3 は特定の人種的イデオロギーや政治的イデオロギーに基ずく蛮行である。敵対したから反抗したからとの理由ではないので子供まで対象となる ( ナチスのユダヤ人虐殺やカンボジャの自国民虐殺など )。実際に一つしかない命を奪われた被害者にとっては三種の違いは何の意味もない。しかし、国家の犯罪を問題とするなら大きな違いである。

日独の比較で言えば、南京虐殺ののち慌てた日本政府は学者を動員して中国文明が如何に優れているかを記した二冊本を日本軍に配布した (『史学雑誌』の連載コラム「歴史の風」。手元にないので日付やコラムの題名は未確認 )。そんなお堅い本が軍の末端まで配布されたとも思えないが、再発を防ぐための一定の努力があったことは認められる。他方、ナチス・ドイツでは独ソ戦開始に当たり親衛隊員たちに、この戦争は通常の戦争の枠にはまらぬ凄惨なものになるので不参加を許すとした。最後までこの通告通りだったとはとても思えないが、スラブ民族に対しては国際法も人道も無視した戦争にすることを政権幹部は自覚していたのである ( それと比較して身内への配慮の厚さ! )。

メルケル独首相はドイツが寛容な隣国を持ったことも幸運だったと語った。周恩来や毛沢東が中国の指導者だった時代には日本国民も日本帝国主義の被害者だったとされ、私などそこまで言ってもらえるのは有難いと思うとともに、国民も被害者の面だけでもなかったと面映ゆい気持ちを持った。その後、江沢民の中国は反日教育で、韓国は自国のメディアの偏向で対日関係を刺々しいものとした。朝日新聞の調査では、我が国が謝罪や償いを十分して来たかとの質問に2006年には十分が36%で不十分が51%だったのに、今回は十分が57%で不十分が24%だった。朝日新聞はこの国民意識の変化の意味をもっと深く考えるべきである。


2015年4月11日土曜日

「忘れ得ぬ往年のハリウッド女優」

今朝の朝日新聞の付録beに上記の表題のランキング記事が載っている。20位中10位以下は流石に私もそれほど関心の無い女優たちだし、5位から10位はベスト5 ( オードリー・ヘプバーン、ビビアン・リー、イングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、ソフィア・ローレン )とは矢張り実績や人気で見劣りがする。

断トツ1位のヘプバーン (2位の倍以上の票差 ) はむろん「ローマの休日」の人気の故だろう。妖精の語がピッタリの女優で、私が見た他作品は多くないが、「シャレード」がその音楽とともに記憶に残る。

ビビアン・リーの2位は「風と共に去りぬ」の印象が強いためだろう。私個人は「哀愁」( 原題ウォータールー・ブリッジ )の彼女の美しさに匹敵する作品はないと思う。第一次大戦で引き裂かれた男女の悲しい物語である。

バーグマンも「カサブランカ」人気が与って3位なのだろう。知的な美しさで私は断然1位に推すが、作品としては「誰がために鐘はなる」「聖メリーの鐘」などに彼女の魅力が発揮された。実生活では母国スウェーデンの医師?との理想のカップルと思われたが、突然ロセリーニ監督との不倫事件を起こした。やや幻滅したが、自分の心に忠実だったのだろうと、彼女なら許せてしまう!

モンローの映画は見たことが確かなのは「ナイアガラ」、「帰らざる河」ぐらい。演技の上手下手を論ずるのは野暮なのだろうが好感は持てたし、もっと幸福な人生を送ってもらいたかった。

ソフィア・ローレンはマルチェロ・マストロヤンニとの共演作を複数見ている筈だが、「ひまわり」の彼女しか記憶にない。好きなタイプの女優ではないが、「ひまわり」の彼女はヘンリー・マンシーニの哀切なメロディーとともに忘れられない。

考えれば5名全て故人だった。冥福を祈る。男優のランキングもぜひ報告して欲しい!

P.S. 前回のブログの「フランスより高い出生率」は「フランス人.....」の誤り。「小樽ゆかりの人たち」の「白砂の」は「白砂に」の誤りです。

2015年4月9日木曜日

フランスの非ユダヤ化

昨夜のNHKBSの「国際報道」で、フランスからのユダヤ系市民の出国が増加し年間一万人に達したという。移住先はイスラエルである。この事実は私にとって初耳ではなく、シャルリー・エブド事件のころ確かロバート・キャンベル氏が民放局で深刻な事態だと指摘していた。

ヨーロッパ各地での最近のユダヤ施設襲撃事件もきっかけとなっていようが、出国の大部分はそれ以前の決定のはず。むしろ、数百万人と言われるフランスのイスラム系住民が今後土着のフランスより高い出生率で増加すれば、いつかフランスはユダヤ系市民にとり安住の地ではなくなるとの見通しによるものだろう。イスラエル人記者がわざとユダヤ帽 (皿形の帽子キッパ )をかぶりパリの街を歩いたらイスラム系住民が多い地域で侮蔑の言葉を浴びた。また、既にイスラエルに移住したユダヤ人の父親は、自分の子供がパリの街角でイスラム系住民に出会ったときそっとキッパを脱いだのを見て、もうこの国には居られないと決心したという。

前大戦中フランスのユダヤ人はナチスとそれに協力させられた傀儡政権によりフランスから追放されたが (強制収容所行き ) 、今度は命令によらず同じ結果が起こりつつある。「イスラム国」の掲げる地図ではスペインやバルカン半島など嘗てのイスラム圏が領土として真っ黒に塗られている。それは軍事力で阻止できるとしても、自由や人権を誇りとする国で同国人の行動を阻止することは事実上不可能だろう。

ネタニヤフ政権のユダヤ人入植地の拡大がアラブ人にとって許せないのは当然である。しかし、ユダヤ系フランス人にその責任を問うのには無理がある。諸民族の共存や多文化主義を口にするのは容易だが、イスラム系住民の問題はフランスだけでなくEU諸国にとりジレンマである。

2015年4月5日日曜日

米国知日派の限界

用事で東京を留守にしていた (物見遊山ではない!)のでいささか旧聞に属するが、3月30日の朝日新聞の第一面の見出しは「安保法制  米提言に沿う    知日派作成、 首相答弁にも反映」だった。内容は、安倍内閣が執拗に実現を目指している新安保法制が「アーミテージ・ナイ・リポート」と呼ばれる知日派の対日政策の提言書の線に忠実に沿っているというものだった。

アーミテージ元国務副長官やナイ・ハーバード大教授は米国の代表的な知日派であり、その対日政策の評価は人により異なるだろう。しかし、知日派イコール親日派と見るのが誤りだとまでは言わないが、所詮彼らが米国の立場を離れないことは事実だろう。それは当然である。彼らにとって米国第一、日本第二だからと言って不満は言えない。アーミテージが日韓関係をめぐって日本は慰安婦問題に頑なな態度を取るなと「忠告」していることでそれは明らかだった。日本にとっては真実がどうだったかが問題だが、アーミテージにとっては台頭する中国を前にして日韓関係の修復だけが関心事なのである。

しばらく前の「声」欄に日本は米国の保護国だとの投書があった。帝国主義全盛時代の植民地の別名 (偽名?)の再現に私はたじろいだが、よく考えればまんざら見当外れでもない。少なくとも戦後、本質的な問題で日本が米国に逆らったことがあったろうか。建前上かもしれないが自国兵の一つしかない命を他国のために提供する用意があると言われれば、提供される側の自主性に限界があってふしぎではない。それでも他国人の生命を一人も奪わなかったし、自国民の生命を一人も失わなかったことを重視する立場も当然あるだろう。どちらの代償を止むを得ないと考えるかの問題である。