2014年5月27日火曜日

EUへの不満の高まり

いつの時代でも世界が平穏だったことなど無かったかもしれないが、ヨーロッパの平穏のシンボルのような存在だったEUの選挙で極右派の台頭が著しい。その理由としてメディアでは、1 ) 超国家機関に自国の重要政策を決められることへの反撥、  2 )  移民増加への反発  の二点が主に指摘されているが、私に異論は無い。

最近の日本で地方自治の拡大が諸政党の共通のスローガンになっているように、誰しも遠く離れた場所で馴染みの無い政治家に自分たちの問題の解決を委ねたくないのは当然である。米国や日本に対抗するヨーロッパの単一市場の必要はこれ迄は重要だったにせよ、それが実現してみると、通貨問題一つとってもユーロの存在で得をする国(例えばドイツ。マルク高を回避できる)と、ユーロ維持のため厳しい財政運営を強いられる国とでは利害は必ずしも一致しない。EUへの失望が高まるのも理解できる。

移民の増加も経済的必要や人道的理由から一定程度許容されてきたが、国境での入国管理まで廃止された現在、不満は高まる。食用のため集団住宅の中庭で羊が屠殺解体されたり、授業中もスカーフが着用されたりすれば、単なる生活習慣の違いと目をつぶっていられなくなる。(同じアジア人同士の日本の移民とは深刻度が違う)。そんな中で移民の権利擁護につくす人たちは立派としか言いようが無いが、感情の絡まる問題は理性的解決が難しい。この問題が社会全体の保守化、さらには非寛容化をもたらす可能性は大きい。リンカーンの「だれもが抱いている感情というものは、正しくても正しくなくても、無視してはならない.....」(本間長世 「リンカーン」)との言葉が正しいとすれば、移民の一定の制限は避けて通れないだろう。

2014年5月26日月曜日

政府もメディも冷静に

中国の戦闘機が日本の偵察機に異常接近した事態を小野寺防衛相が「常軌を逸した」(読売新聞 )危険な行為と批判した。確かに危険な行為ではあるがメディアの報道の仕方も含めてそれ程大きく取り上げる程のことだろうか。
そもそも人命への危険に対して日本と中国では感覚が全く違うことを忘れてはならない。他国も自国と同程度と考えては過剰反応となる。森本前防衛相がテレビで、異常接近がパイロット個人から政府中枢までのどの意向の反映なのか、なんとも言えないと語っていた。現閣僚と元閣僚の立場の違いは大きいが、私は前閣僚の冷静さに軍配を上げる。

昨年始め(?)、中国の艦船が我が国の自衛艦にレーダーの照準を定めたとして大きく報道されたことは記憶に新しい。これとてもそれほど重大視する事態かと私は疑問を感じていた。やはり中国艦の館長から政府中枢までのどの段階の決定によるのか全く不明だったからである。大砲の方向は自衛艦に向けられていなかったと聞く。自衛艦に数時間(数十時間?)至近距離で追尾されれば中国艦の艦長(または司令官)が冷静さを失うことはおおいにあり得る。

私は何でも下手に出るべきだと言っているのではない。民主党内閣当時、中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件で中国政府は高飛車な態度を取り、損害賠償を請求するとまで言ったのに、日本政府は撮影した映像を公開しなかった。(今日我々が知っている映像は保安官個人が法を犯して(?)公表したもの)  政府は未だに公表していない。当時、政府は穏便に済ませたいと思った故の事だったろうが、相手の不当な態度をそのままに済ませてはならなかった。逆に直ちに映像を公開したベトナム政府は国際世論を味方につけている。事態に応じた対応は一様ではない。

2014年5月20日火曜日

富岡製糸場と「あゝ野麦峠」

旧富岡製糸場が世界遺産に選ばれる公算が大となり、見学者が激増していると聞く。百年以上も原型を大きく変えなかった関係者とくに片倉製糸には感謝して良い。
此処で本格的に開始され全国に展開した我が国の製糸工場や、そこで働いた工女たちの作る絹糸は、何と戦前期昭和まで日本の輸出品金額のトップの地位を失ったことはなかったという。日本の近代化の担い手の第一は製糸工女達だったのである。

製糸工女と言えば、山本茂美の「あゝ野麦峠」、と言うより大竹しのぶ主演の映画が知られている(平成の現在もそうかは分からないが)。大竹の演ずる政井みねが故郷の飛騨を恋いながら病死する野麦峠には数年前(?)に飛騨工女の記念館が出来、諏訪盆地の工場との間を往来した工女たちの資料が展示されている。そこの老職員が私に力説したのは、映画の与える印象と異なり、工女たちは自らの体験を良い思い出としていたということだった。
気になったので原作を読んで納得した。原作者が調査した元工女数百人のうち工女として働いたことを後悔した者は一人もなかったという。

よく考えれば納得がゆく。厳冬期の峠越え(むろん徒歩)も、岡谷での厳しい労働も原作に詳しいが、山国飛騨での農作業も糸繰リ作業に負けず厳しかったし、それで得られる現金収入は乏しかった。工女としての賃金とて十分にはほど遠かったが、彼女らの稼いだ現金を仏壇や神棚に供えて手を合わせる両親たちを見れば、工女たちが満足感を覚えたとしても何の不思議もない。

原作の「ある工女哀史」との副題のように、彼女らの苦難も原作の重要なテーマだが、山本茂美は過去の著作者たちへの明確な批判を記している。著書名は挙げていないが、細井和喜蔵の「女工哀史」が念頭にあることは当然予想できる。「女工哀史」と異なり「あゝ野麦峠」は女工哀史であると同時に、それ以上に工女たちへの讃歌であり、その栄光を顕彰する書物なのである。

追伸。5月5日の本欄に中国の交通ルールは「度胸優先」だと書いたが、正しくは「勇気優先」でした。訂正します。

2014年5月13日火曜日

世論調査は各社の隠れ蓑!?

政府が提案しつつある集団的自衛権の行使についての朝日新聞と読売新聞の世論調査が発表されたが、賛否が正反対(真逆などという辞書にもない言葉を使うな!)となった。朝日によれば行使に反対が63%、賛成が29%。読売によれば賛成が71%、反対が25%となる。

両社の社論が対照的であることは知っているし、それ自体は何ら問題ではない。(不偏不党を謳わなければ)   しかし、客観的なはずの数値まで、これほどまでに相違するのには、驚く(呆れる?)他ない。両者の実施時期には約一ヶ月の違いがあるが、この間、世論に影響を与えるような大事件(韓国のフェリー事故のような)が日本にあったわけではない。

疑問はNHKの世論調査の発表(読売と同時期)により或る程度解消した。それによると容認が30%、反対が23%、どちらとも言えない(よく分からない)が37%だった。さもありなんと言える数字であり、新聞二社の数字は質問が誘導的だったと解せられる。私はNHKに対してもいくつか不満があるが、この問題に関しては新聞二社よりも「不偏不党」だったと考えざるを得ない。

そもそも世論調査で分かるものは何かも問題である。以前、ある専門家が世論調査で分かるのは「意見」ではなく「気分」だと語っていたが、言い得て妙である。まして最近のように各社がひんぱんに世論調査を実施して、僅かな変化を鬼の首でも取ったように取り上げ、社論が国民世論であるかのように言うのはやめてもらいたい。今はNHK万歳を叫びたい気分である!!

2014年5月10日土曜日

ウクライナ正常化の道

恐れていたようにウクライナ情勢は悪化の一途をたどっている。二月にキエフに出現した戦闘服に覆面の若者たちとウリ二つの戦闘服の若者たちが東ウクライナの都市に出現し、同じように我が物顔に振る舞っている。動あれば反動ありは真理だった。

ドネツクに派遣された朝日新聞の記者はキエフの新政権を支持する「ファシスト集団」を暴くロシア・メディアに対し「映像の信頼性はどう調べたのだろう」と疑問を呈している(8日夕刊)。この記者は二月下旬(三月上旬?)のNHKテレビ(フランスのF2)で、キエフの若者たちが戦闘服の腕や彼らの事務所の扉にナチのカギ十字ではないがよく似たマークを付けていたのを派遣前に見なかったのだろうか。また、確か同じ番組で、それまで広場の若者たちを支持してきた若い女性が、彼らがロシアテレビの報道をそのまま流したディレクターに暴行し辞表を書かせている場面を見て以来、もう何が正しいのか分からなくなったと嘆いていたのを知らないのだろうか。キエフの新政権は戦闘服の若者たちをどうすることも出来ない無力な人たちなのである。

どんな欠点があれ仮にも自由な選挙で選ばれた大統領を変えるのは次の選挙でなければならない(事実上自由な選挙が無かった嘗ての東欧共産圏と同一視は出来ない)。その一線を越えて暴力で政権を打倒すれば、反対派が同じ手段に出ることは当然予想される。西側諸国の指導者は戦闘服の彼等への共感を示してはならなかったのである。プーチンの言うことも聞かぬ親露派の若者を止めるにはウクライナの現政権が正当性の無い者同士の彼等を交渉相手と認めることから始めるしか無いだろう。それがどれほど不愉快であっても。無論ロシアもこれ以上の事態の悪化を防止するため力を尽くさなければならない。しかしひとたび大規模な流血事件になればプーチンといえども座視は出来なくなろう。手下たちを抑えられなくなった第一次大戦の再現ともなりかねない。

2014年5月7日水曜日

馬肉とゴルバチョフ

「馬肉に景気の追い風」と題して新聞に、最近高価な馬肉料理が人気を集めているとある。戦後しばらくは、あるいは戦前から馬肉は牛肉より一段低く見られていたと記憶する。それが逆転しているとすれば希少価値故としか思えない。

十数年ぐらい前、アイスランドへのツアーに参加した。地熱発電所の温水を利用した大規模な温泉ブルーラグーンや大間歇泉ゲイシール(英語のガイザーgeyserの語源とか)などの観光地めぐりもさる事ながら、寒冷地のためか自然林は殆んど無く(あるのは住居のまわりに植えたものだけ)、広い原野は放牧地となっていた。それも半分は馬の放牧に使われており、アイスランドの子女は子供の時から乗馬に親しむとの説明があった。しかし子女の乗馬にこれほどの数の馬が必要なわけが無い。むかし、アイスランド人は馬肉を食するのでその点だけは他のヨーロッパ人にうとまれて居ると読んだ記憶があったので、乗馬のためにこんなにたくさんの馬が必要かと日本人添乗員に詰問(?)したら、現地ガイドと二言三言相談して意を決したように、食用でもあると認めた。しかし、日本にもたくさん輸出していると逆襲された。私には馬肉食をうとましく思う気持は無かったのに.....。

小国としては見どころの多いアイスランドの近年の観光スポットはレーガン大統領とゴルバチョフ書記長のレイキャビーク会談(1986年)の開かれた瀟洒な住居(迎賓館?)であった。冷戦解消の一里塚となった記念すべき会談で、建物の中には入らなかったが、ゴルバチョフを尊敬する私には感慨ががあった。彼を打倒する保守派の失敗したクーデターの第一報を私は新潟から小樽に向かうフェリー上で知り不安に駆られた記憶もある。冷戦解消という難事を血を流すこと無く実現した彼に対するロシア人の評価が極めて低いのは不当としか思えない。

無論かれ一人の功績と言うつもりはない。ジスカールデスタン仏大統領の回想録を読むと、前任のブレジネフの意中の後継者だったらしいロマノフも立派な人物だった。野たれ死に同然の旧ソ連の崩壊だったが、幹部たちの全てが建国時の理想を忘れていたわけではない事実は評価できるのではなかろうか。

リーマン・ショック後のアイスランドの経済危機も過去のものとなったようだ。同国の馬肉も鯨肉も大いに消費して、冷戦解消に協力した小国を助けたい!?

2014年5月5日月曜日

路線バスの降り方?

新聞に「バスはそっと発進・停車して」と題する77歳の女性の投書が掲載されていた。それによると日本バス協会がこれ迄の「バス停に着いてから」席を立つようにとの呼びかけを「扉が開いてから」に変えたという。投書者はそもそも他人に迷惑をかけたくないから早めの準備として立ち上がるので、「扉が開くまで」立つなでは「余計に焦ります」とのこと。同じ高齢者として気持ちは理解できる。
しかし、バス会社としてはあくまで乗客の事故を防止するために規則を改めたのであろう。(それも理解できる)  だが、モタモタしていると他の乗客が感じているのではないかとの高齢者の「引け目」までは予想できなかったということだろう。

それで思い出したが、むかし通勤途中のバスが急ブレーキをかけ、立ちかけていた老婦人が二、三メートル吹っ飛んだことがあった。原因は、交差点の信号はバスに対して青なのに、自転車を押す人が横断の気配を見せたことだった。結局横断しなかったが、バスのフロントガラス越しに見ていた私もあっと叫びそうになった。老婦人とバス会社の間で何かが起こりそうだと予感したので、下車するとき運転手に名刺を渡し、証言する用意があると告げた。同じドライバーとして彼を処罰対象にさせたくなかった。

予想より遅く数日経ってから、バス会社からの電話があった。警察はブレーキ痕がないと言っているので急ブレーキではなかったのではないかとの質問だった。老婦人の自己責任説とも取れる発言だったので、急ブレーキでなければ老婦人が吹っ飛ぶわけが無い。ただ言いたいのは、運転手として人身事故を避けようとしたら他に方法がなかったと感じると答えた。

その後のことは不明だが、狭い道路に自動車、自転車、歩行者があふれている現状では、簡単な正解は無さそうだ。
以前、同じように自動車、自転車、歩行者があふれている中国江南で、来日経験もある通訳兼バスガイドが、日本で一番印象深かったのは歩行者優先がきっちり守られていることだったと語り、中国では三者間のルールは「度胸優先」ですと言った。(中国に行った人は、これが名言だと分かるだろう)   ところが数年後の中国で別のガイドから全く同じ言葉を聞いた。自嘲の言葉としてガイド仲間で知られているのだろう。しかし、自嘲は自惚れよりもよほど大人のしるしである。隣国が国家関係でもさらに大人になることを願うばかりである。

2014年5月1日木曜日

配慮過剰はストレスの素

今日の新聞によれば、東北大震災直後(四月下旬)天皇陛下が「原発を見たいとおっしゃ」るので川島侍従長が「それは無理です」と答えると、陛下は「自衛隊の飛行機で上空から見るならいいだろう。それでもだめなのかとおっしゃった」という。無論その願いは実現しなかった。

侍従長を始め宮内省関係者が万一の時の責任追及を恐れたとまでは言うまい。陛下の安全を心から願ったと思いたい。しかし、既に自衛隊(警察? 消防庁?)のヘリコプターは原発に低空で放水していた。放射能の危険は一応防止出来ていた筈。「国民統合の象徴」の天皇と庶民の生命の価値が全く同じかどうか私には分からないが、両陛下がそこに差があると考えておられないことは確かだと思う。国民と苦難を共にしたいとの両陛下の思いは優先されて然るべきだったのでは。

むかし、知床半島の道路の最先端の岩尾別温泉(ホテル地の涯)への道を両陛下(当時は皇太子夫妻)のため完全舗装したとバスガイドが説明した。これとても両殿下が最もして欲しくなかったことだろう。皇族ならそのぐらいは我慢しなければならないということか。ストレスのたまることではある。

それより後のことになるが、三笠宮殿下も参加されたある集りで温厚な殿下が気色ばまれたことがあった。全く異例と言うべきで、司会の学生は何故なのか理解できずとまどっていた。理由は殿下を特別扱いしたことにあった。(他に理由が考えられない)  殿下は教師仲間の一人として参加していた。司会者に何の悪気もないとはいえ、特別扱いは殿下が最もして欲しくない事だったと思う。 

皇族全員がそうかは知らないが、少なくとも両陛下と三笠宮殿下は国民の一人でありたいと願っていると思う。御三方に無用なストレスを与えないことが関係者の優先課題であって欲しい。