2019年5月15日水曜日

新しいもの好きなフランス人

パリのノートルダム大聖堂の火災から今日で1ヶ月とのこと。今朝のNHKニュースが、再建案に関してフランスでは論争になっていると伝えた。

フランスでの世論調査では火災前そのままの再建案と前代に囚われない新しい様式を取り入れた案では55対44で昔のままの再建案が支持されたという。予想通りと言いたいが、私はむしろ新しい様式との声が半数近いのに驚きを禁じえなかった。我が国では考えられないのではないか。

現在までに提案されている改築案として、1) 焼け落ちた尖塔をガラス製にする  2)屋根全体をステンドグラス製とし夜間に光り輝く外観とする  3)屋上に花や木を植えた「緑の庭園」とし、そこからのパリの展望を楽しめるようにする  の三案が番組で紹介されていた。まさかとは思うが.....。

フランス人の新し物好きは今始まったものではない。古くはエッフェル塔が芸術家たちの大反対にもかかわらず建設され、今ではパリの名所となっている ( 私も死ぬ前にもう一度見たい!)。30年以上前、ルーヴル美術館の入り口は国際コンペで中国人建築家のガラスのピラミッド案が採用された。それ以前は館内が複雑な上に案内表示が不備なためミレーの名画群など、私は二度目にはついに到達出来なかった。今では嘘のように便利になったが、外国人案の採用とともにミランス人の新しいもの好きを物語っている。

エッフェル塔が建ったのちも芸術家たちの不評は収まらず、小説家のモーパッサンは塔が目に入らぬという理由で塔内のレストランを利用したという。共産国時代のポーランドのワルシャワではソ連が寄贈したスターリン様式と呼ばれた武骨な「文化スポーツ宮殿」がそびえていたが、当時、現地の観光ガイドは「ワルシャワの最も眺めの良い場所は文化スポーツ宮殿だ。なぜなら文化スポーツ宮殿が目に入らないから」と客を笑わせた。モーパッサンの模倣かどうかは断定できないが、私はそれより30年以上前に『週間朝日』でワルシャワっ子のアネクドート ( 小話 )としてはじめて知った。30年後にも人口に膾炙していると知ってポーランド人のロシアに対する複雑な感情を再認識させられた。

2019年5月13日月曜日

休日の銀座

旧友数人で食事会をすることになり、昨日、久し振りに銀座に出かけた。以前は家内と休日に上野の美術展を覗いて昼食を銀座で取ることも稀ではなかった。しかし今や終活の季節となり、同地に何軒かある中古カメラ店を覗くのも無意味となったし、直接的には並木通りの北端に路上駐車して時間超過のため罰金を取られて以来縁遠くなっていた ( まだ女子警官が車を覗いていたところだった。男子警官だったら警告で済んでいた?)。

今回は東京の東郊と西郊に住むメンバーの中間点を会場に選んだ。尾張町交差点の銀座三越の入り口で集合し、予約してあった近くのRロシア料理店で昼食を摂った。半世紀近く前、渋谷にあったころ訪れたことのある店で、ロシア料理が特に好きではないが、雰囲気も良く満足だった。

何しろ全員が80歳台なので、健康は万全ではないが新旧の話題にこと欠くはずもなく、楽しいひとときだった。食後、私は以前の松坂屋の跡地に出来たGINZA  SIX を覗くつもりだったが、道路に面した欧米のブランド店や正面玄関のいかめしさに気圧されて結局入らずじまいだった (もともと買うものもなかったし!)。噂どうり銀座は外国人が溢れており、それ自体は結構なことなのだが、昔の銀座を惜しむ気持ちも多少抱いた。旧友たちとは秋の再会を約して東西に分かれた。

2019年5月6日月曜日

「ポツンと一軒家」の魅力

日曜日の夜のテレビ朝日の番組に「ポツンと一軒家」という旅番組??がある。まだ番組開始後いくらも経てないらしいが、最近、とくにNHK大河ドラマの「いだてん」が面白くなさそうなので ( 未見!) 、「一軒家」を見ることが重なった。先日のテレビ視聴率番付では何と5位?を占めており、費用対効果を考えればスタッフには金一封ものだろう。

番組は毎回制作スタッフが、衛星からの画像で発見した文字通りの山中の一軒家を2軒訪ねるというもので、ある意味他愛の無い番組ともいえるが、大都会のマンションの住民の対極とも言える山中の一軒家に住む老人たちが孤立し不便な生活をおくる理由には毎度感心させられる。

昨夜の場合、1番目のケースは和歌山県の奥地の道路の終点からさらに山道を2キロ歩く一軒家に孤り住む老人の場合だった。妻は足を痛めてもう20年?も麓の集落に住むが、当人は先祖の建てた家を捨てることもならず住んでおり、途中の五つの小橋は全て手作り。絶え間無い道路補修も自分でおこなっていた。

2番目の山口県のケースでは、他の多くのケースと同様に狭い山道が辛うじて住居まで通じているが、約300年前に先祖が開いた2000坪の田圃をイノシシやシカの被害を受けながら守って夫婦で住んでいた ( 冬には自力で道路を除雪!)。

番組に登場する人たちはたいてい「ポツンと一軒家」を見ていて ( そんな一軒家にも必ず電気はきている )、いつか取材されることを夢見た?ケースが大部分だった。かつては一帯に住んでいた隣人たちが家を捨てて麓で暮らす中で独り残留した理由の一端は立派な造りの家を見てある程度納得した。それにしても何を買うにも軽トラックで山道を往復する不便さの極致の生活に耐える人々には毎回尊敬の念を抱くことが多い。番組の人気の秘密もその辺りにあるのではないか。

2019年5月4日土曜日

皇室報道の洪水

新元号発表から新天皇就任まで1ヶ月あまり、与党贔屓のメディアも野党贔屓のメディアも多少の批判をにじませるか否かは違っても例外無く皇室関係記事のたれ流し?だった。新天皇に代わったからといって政治に関与しない象徴天皇制の下では国の指針に変りがあるはずも無い。そんなに騒ぐこともあるまいにと思うが、他紙にひけを取るまいとの一念としか思えない。毎日、運動不足解消を兼ねて駅前の図書館で各紙を読む私もこの2週間ほどはどれも同じような記事ばかりのため帰宅時間が早くなった!

そんな中で多少とも関心を持ったのは新旧の天皇皇后への人間的興味からだった。これとてもいずれも良く出来た方であることに異存は無いが、それでもそれぞれの個性は存在する。私としてはやはり新天皇夫妻が海外留学経験者であることに由来する変化に期待したい。皇后が常に天皇より半歩遅れて歩まれるのを見たくないし、全般的にもっと自然に振舞ってほしい。国民との間に時にはユーモアを交えたやりとりを見たい。

英国のチャールズ皇太子は品行優良とはいかなかったようだが、記者会見で「人類最古の職業である王族の一員として」と切り出して爆笑を誘った ( 「人類最古の職業」とは売春婦のこと )。我が国の皇位継承者にそこまでの自虐を期待しても何十年先か分からないが、平成天皇の口からウィットに富む発言を聞いた記憶が全く無いのは物足りなかった。無い物ねだりだったようだ。

今日の皇居への一般参賀は大変な人数のようだ。やはり新天皇夫妻が の清新さが大きいのだろう。

2019年4月27日土曜日

名歌を再現する歌碑

かなり以前から各地の観光地にボタンを押すとその地にちなむ歌謡曲や唱歌が鳴り出す碑のようなものが建ち始めた。特別に料金を取られるわけではないのでこれまで数箇所で試したことがある。

一番その場所にふさわしくなかったのは信州諏訪湖畔の、天竜川がそこから始まる釜口水門の傍の小公園にある「琵琶湖周航の歌」の碑である。作詞者の旧第三高等学校生の小口太郎の脳裏にあったのは故郷の諏訪湖畔の風景だったというのが長野県人の言い分なのだが、それで滋賀県人が納得するとはとても思えない。

美空ひばりの「みだれ髪」の碑は福島県の南端に近い塩屋埼灯台にある。観光旅行の途中に立ち寄っただけで私はひばりの持ち歌にその歌があることも知らなかった。数多いひばりの歌の中でも結構知られた歌らしく、確かに心に残る歌ではある。

東北地方の桜の名所の一つに北上展勝地がある。私が訪れた時はわずかに花の盛りは過ぎていたが、大河北上川の風情はあり、そこに「北上夜曲」の碑があった。往時そのあたりの物産品を河口の石巻まで運んだ和船が復元されて係留してあり、北上川の水運用としての価値をしのばせられた。

信州の小諸城址には以前から藤村記念館があるが、近年そこに藤村が教えた小諸義塾の記念館が加わった。その前に藤村の詩に藤井英輔が作曲した「惜別の歌」の碑があった。もともと作曲者の母校中央大学の学生歌であり、彼が、学徒出陣する友の無事を祈って作ったと聞く。そうした由来を聞けばいっそう心に染みる歌である。

2019年4月25日木曜日

博物館歴訪

40年ほど続いた奥多摩 (青梅市)の吉川英治記念館がこのほど閉館したとのこと。戦時中に吉川が疎開してそのまま住み続けた緑豊かな邸宅を歿後記念館としたもので、開館当時、近くに夫人が開いた和菓子店で夫人自身の笑顔の応対を受けた記憶がある。その後、学生の博物館学実習の視察 ( お礼参り?)のため再訪したが、入館者数の減少には勝てなかったとか。

いつ頃からか、博物館学実習という教科が導入され、教員が交代で一回は視察することになった。私はマイカー利用のため希望して遠い所を担当することが多く、山本有三記念館 ( 三鷹市。これは近い ) 、半蔵門のカメラ博物館 ( 我が家からは遠い!)、千葉県立関宿城博物館などを訪ねた。山本有三記念館は太宰治が入水自殺した玉川上水沿いの大正末期の典雅な洋館 ( 有三が住んだ ) だった。現在はそこから歩いて数分のジブリ記念館がポピュラーである。学生は本格的に学べる大規模施設よりも気楽な小施設を選びたがると感じた。カメラ博物館のことはこのブログで、「開運鑑定団」の常連の鑑定士に関連して触れたことがある。

千葉県立関宿城博物館は千葉県の北端の野田市のそのまた最北端の、利根川と江戸川の分岐点にあり、旧城跡の近くに再建された城にあった。担当の役職者が応対してくれたが、私の母が房総半島の突端の白浜町 ( 当時は安房郡長尾村根本 ) の出身で私も毎夏を母の実家で過ごしたと告げると、実習生の話題そっちのけで大いに話が弾んだ。博物館の直前には終戦時の首相の鈴木貫太郎の生家と記念館もあり、この日の私はすっかり行楽気分になった。千葉県の縁者だから贔屓するのではなく、一見に値するのでは?

2019年4月23日火曜日

日本は世界有数の安全な国!

スリランカで無差別テロが起き数百人の死傷者を出した。同国の国情は複雑で、わが国の南アジア専門家も直ちには犯人たちの推定が困難だったようだが、スリランカ政府はようやく宗教的マイノリティのイスラム教徒の犯行と断定した。専門家ではない私には憶測しか出来なかったが、キリスト教会と外国人がテロの目標ということなら仏教徒やヒンズー教徒よりも同じ一神教のイスラム教徒の犯行だろうと考えていた。

21世紀の世界で今回のような全く無関係な人々に対する凄惨な手口の犯行に弁解の余地はない。しかし、異教徒や異端派に対する蛮行は史上数多くあり、特定の宗教や民族に限られない。キリスト教世界にも中世以来宗教戦争は絶えなかった。本ブログで先日偶然言及したフランス南部の異端派 ( カタリ派 ) と正統派の宗教戦争もその残虐さは相当だったと聞くし、十字軍が聖地エルサレムで異教徒に蛮行を働いたことは事実のようだ。

それでも現代の欧米や我が国で今回ほどの凄惨な事件は考えられない。特定の宗教や民族性と蛮行との親近度がゼロとは私は思わないが、主たる理由は多くの途上国と欧米や日本との歴史的発展段階の差だろう。そしてその段階の差はまだまだ簡単に埋められないだろう。

あまり自覚されていないようだが、我が国とヨーロッパでは日本の方が人種や宗教に起因する暴力に対し安全度は高い。『東京新聞』(4月22日)の「ハーフと向き合う」という特集記事でスウェーデン人とのハーフの子育てをするノンフィクション・ライターの山本真弥氏は、「子育ては、しばらくは日本でする予定です。日本は子育てがしにくい国ではないし、医療体制も整っています。何より日本は安全です」と語っている。北欧諸国といえば人権が尊重される最も安全な国と思われがちだが、数年前、人種問題に発するテロで20~30人?の死者が出た。

何年か前、保育園に子供を入れられなかった母親が、「保育園落ちた。日本死ね」と発言して話題となった。私に我が国の母親の困難は所詮実感できないし、多少過激でも発言の自由は何よりも守られなければならないが、もう少し世界に目を向けて欲しいとは思う。