2016年10月13日木曜日

「聖地巡礼」

映画やドラマの舞台となった場所を訪ねる「聖地巡礼」は以前から話題になっていたが、今回は新城誠監督の『君の名は』がブームの火付け役のようだ。私も過去に「聖地巡礼」をしたことがあるので思い出を記したい。海外の「聖地」ばかりとなったのは過去の名画の存在を知って欲しいから で自慢のためではない!

ジョン・フォード監督の名画の一つに『わが谷は緑なりき How green was my valley 』(1941年 )がある。南ウェールズの炭鉱町の坑夫一家の思い出を息子の目で描いた映画で、炭坑事故をきっかけに敬虔で誠実な一家の生活は過去のものとなる。リチャード・レウェリンの原作小説 ( 邦訳 ) も印象的だったので、その舞台とされる南ウェールズのロンダを訪ねた。すでに炭鉱は閉鎖されたのか人影はまばらだったが、石造  (煉瓦?)の家々は道沿いにひっそりと佇んでいた。  

『ローマの休日』の「聖地」はそれほど珍しくもない。主演のグレゴリー・ペックも好演だったが、清末の中国に赴任し妨害に耐えて布教する牧師を演じた『王国の鍵』(1944年 )の彼もこれ以上の適任は考えられないほどぴったりの役だった。当時の主演者はペックにせよジェームズ・スチュアートにせよ出て来ただけで好感を持たれてしまうタイプ?なのに、最近のジョニー・デップなど何でこんな汚ならしい男が人気なのか理解できない!

『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台のザルツブルク市街やミラベル庭園は映画の通りの美しさだったが、私の第一の関心は近くのベルヒテスガーデンのヒトラーの有名な山荘だった。ヒトラーの見たドイツアルプスの絶景を私も見たいとの低俗な願いは十分満たされたが、山荘でのヒトラーと愛人のエヴァ・ブラウンとの満足げな写真と異なり、高所恐怖症だったヒトラーはあまり来たがらなかったという。

映画ではないが、韓国ドラマ『冬のソナタ』ファンの「聖地」春川や南胎島を、放映後の人気絶頂の頃訪ねたのはたまたま韓国ツアーに参加したため。テレビで欠かさず見ていたので結構楽しかった。訪韓の本来の目的は元同僚の韓国人の友人と再会するためソウルで自由行動日のあるツアーを選んだのだが、けっきょく私たち夫婦しか参加者はなく、済州島からソウルまでミニヴァンでの贅沢な旅となった。日本では『冬のソナタ』といえばペ・ヨンジュンが話題の中心だったようだが、私はチェ・ジウのファンだった。

私は冬ソナファンではあるが、その後の韓流ドラマはヒロインがこれでもかこれでもかとイジメられる『宮廷料理人チャングム』を途中まで見ただけで疲れてしまい、一切見ていない。信じてほしい!


2016年10月10日月曜日

グローバリゼーションの功罪

三、四年前に購入した柱時計が動かなくなった。随分早い故障だが、もともと安物の上に保証期間を過ぎており、修理代が原価を超える可能性を考え新規購入することにした。最寄駅の周囲にはニトリ、小売店の集合ビル、デパートと ( 数種類しか置いていないビックカメラを除いても ) 三店舗あるが、この順に千円未満 ( 柱時計が!) から数万円の物まで見事に販売店の格に応じた?価格帯で並べられていた。結局、ニトリでは高額の品を購入した。やはり中国製だった。

経済のグローバリゼーションの結果、昔なら考えられない価格で各種商品が入手可能になった。百円ショップを訪れた友人が何でも売っていると驚いていた。発展途上国の製品を経済先進国の国民が買うことは相互に利益であり、一見万々歳である。しかし、物を大切にする習慣は確実に廃れるだろう。痛し痒しである。。

刊行されたばかりの講演再録集『問題は英国ではない、EUなのだ』( 文春新書 ) でエマニュエル・トッドが英国のEU離脱の原因を、先進国共通の「グローバリゼーション・ファティーグ ( 疲れ )」に求めている。国境を越えての物品や人間の自由な移動が経済の活性化を生み、人々に物質的満足をもたらすとの新自由主義的教義が誤りとは言い切れない。しかし、米国の製造業従事者が全雇用の10%程度と聞けば、かつて米国製品が輝いていた時代を知る私には健全なこととは思えない。トランプ人気の一因が矢張り米国民の「グローバリゼーション疲れ」であることは否めない。その結果、政治家の品性が二の次、三の次となる時代が来るのだろうか。

それも困るが、トッドは別のインタビュー記事で、「この大統領選挙でグローバル化の神話は終わり、国家回帰に拍車がかかるだろう」と予言している ( 『朝日』10月4日 ) 。

2016年10月5日水曜日

死刑廃止論の行方

日本弁護士連合会が国連の勧告に応じて死刑制度廃止 ( 2020年迄に ) の提言を七日の「人権擁護大会」で決めるという記事が載ったと思ったら翌日、犯罪被害者の支援に取り組む弁護士たちが反対声明を出した。反対理由は基本的には「犯罪被害者の人権や尊厳に配慮がない」ということだが、手続き論としても強制加入制の日弁連が会員の思想・良心の自由を損なう決定をすべきでないこと、大会出席者は会員の数%に過ぎずそうした決定をする権限はないということである。

私は「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」の主張に全面的に賛成である。手続き論としてもそうだが、それを離れても死刑制度を止むを得ないと考えるから。高名な廃止論者に元警察官僚にして元自民党幹部の亀井静香氏がいるが、氏の著書 ( ブックレット ) にも冤罪の可能性など聞き慣れた反対理由しか挙げられていない。

廃止論者が真っ先に挙げる冤罪の可能性が絶無とは言わないが、戦後しばらくはともかく現在のわが国では、死刑囚がしばしば再審を認められている事実が示すように、犯行をあくまで否定する死刑囚が刑を実行されることは先ず考えられない。国連加盟国の中には政治的反対者を死刑にする国が少なくない ( 国連の人権擁護組織のメンバーにはそうした国の国民が少なくないようだ ) が、わが国ではそうしたことはあり得ない。死刑の犯罪抑止効果はあまり期待できないとしても、逆に国によっては犯罪者と見なされた者を裁判の手間を省くため射殺する誘惑は強まる。

しかし私が死刑を是認するのはそれが正義に叶うと思うからである。前にも紹介した気もするが、オバマ大統領はビンラディンの殺害に成功した際 、Justice has been done! と叫んだ。一人でも他人の生命を奪った者は原則として自分の生命で罪を贖うべきだが同情すべきケースもあろう。複数の生命を奪うと死刑判決という現在のわが国の慣行は妥当なのだろう。EU諸国の犯罪者の人権擁護のための死刑廃止論に私は偽善の匂いを感じてならない。

2016年10月3日月曜日

戦時中の日本知識人たち

一昨日終了した朝ドラで花森安治がモデルとされる花山編集長が、雑誌『あなたの暮らし』の今後の重要テーマとして戦時中の庶民の暮らしを取り挙げるとの決意を表明していた。庶民の暮らしではないが、当時の知識人たちは戦時中どんなことを考えていたのだろうか。さいわいドナルド・キーンが彼らの考えていたことを『日本人の戦争   作家の日記を読む』( 文春文庫 )で詳細に教示している。  

本書に取り挙げられている日記作者は引用や言及の回数順( 大略 )に記せば、高見順、伊藤整、山田風太郎、永井荷風を主として、清沢洌、内田百閒、渡辺一夫、大佛次郎、徳川夢声、古川ロッパ、高村光太郎、野口米次郎と多彩である。

戦争の評価に深入りせず、生活とくに食生活に関心を集中している荷風は特異であり、銀行員として米国やフランスで生活した彼には「鬼畜米英」的風潮にページを割く気になれなかったのかもしれない。逆に熱烈に「大東亜戦争」を肯定している作家 (将来の )の代表は伊藤整と山田風太郎である。米国で激しい人種差別を経験した高村光太郎や野口米次郎が戦争を肯定しているのは理解できるが、伊藤整と山田風太郎に海外体験はない。とくに伊藤はジェームズ・ジョイスの翻訳者として抜群の英語力を有し、小樽高商生時代には英米人教師に接した筈なのが信じられないほどの対米戦肯定者だったし、山田も当時医学生だったことが信じられないほど既にフランス文学やロシア文学に通じていたインテリだったのに伊藤と五十歩百歩の反米派であり、戦後しばらくも見解を改めず、復讐戦を熱望したのは驚きである。

結局、最もバランスの取れた見解を書き記しキーンが最も多く言及や引用をしているのは高見順である。戦前の左翼運動に参加して特高に「転向」を強いられた彼が「大東亜戦争」に批判的なのは自然だし、従軍作家として中国戦線に送られ皇軍兵士の蛮行を目撃した。だが、それを指摘しながらも特攻機に涙し、戦後の同胞の苦難には深く心を痛めている。また、戦後直ちに米兵向けの売春施設を用意した日本人、戦時中の英語全廃でバットやチェリー ( 分かるかな?)を廃止し、戦後あたらしいタバコにピースと名づけた日本人には「極端から極端へ。日本の浅薄さがこんなところにも窺える」と批判している。他方、ロッパはGHQの指令で歌舞伎が全面的に禁止されたことを評して「アメリカ人の芸術の分からなさが、先づ嘆かわしい。............敗戦国のみじめさは、地理歴史の廃止の次に、かういふものが控えていた」と評している。

2016年10月2日日曜日

関係者の責任の取り方とは?

横浜の大口病院の患者不審死事件は犯罪の気配が濃厚になって来た上に、まったくの素人に可能な犯罪とも思えない。まだ推測に過ぎないが病院関係者の手による犯罪の疑いは小さくない。

同病院の四階は終末期の患者の収容施設になっていたようだ。そうでなければ一日に5人の患者が死亡しても ( 2か月で50人とも )病院が意に介さなかった理由は説明困難である。あくまで想像だが、病院側が不自然死と感じていたとしても事件となれば厄介であり、まして終末近い患者の死では目をつむりたかったのかもしれない。

もし病院内の犯罪ということになれば相模原の県立障害者施設「やまゆり園」での大量殺人事件の影響は当然考えられる。他人の介護なしには生活できない人たちという点で両者には共通性がある。「やまゆり園」事件の犯人植松は麻薬の影響下にあったらしいが、抵抗できない人の命を奪う行為が悪であることは明らかである。ただ、そうした施設で働いた経験に欠ける私には自分がその場合どう感ずるかは予想困難なので、軽々に他人を糾弾したくはないが。

「やまゆり園」の障害者 ( の父兄 )の会の要求に応じて黒岩神奈川県知事は、園の建物を60~80億円をかけ撤去し新築することにしたという。危うく難を逃れた入居者の保護者としては無理もない面はある。しかし、こうした施設への入所希望者は数多いのではないか。同じ規模の施設を新設し、「やまゆり園」は残して新規希望者を収容すべきではないか。既入居者の要求だからといって同意するのは安易に過ぎる。知事は県の施設での職員の犯罪の管理責任を取ったつもりだろうが、知事のすべき第一の仕事は入所を希望する人を可能な限り多く収容することではないか。立派な施設を撤去する必要があるとは思えない。

2016年9月27日火曜日

日本植民地化を阻止した徳川慶喜?

NHKの「英雄たちの選択   幕末秘録  京都に外国軍侵攻?」( 9月15日 放映 ) を録画で見た。幕末の1865年、我が国が開国の約束をサボタージュしているとの理由を挙げ米英仏蘭の四カ国の九隻の連合艦隊が大阪湾に集結し、開国の勅許を求めて京都に攻めのぼると威嚇した ( 摂海侵入事件 )。板挟みになった幕府は朝廷に勅許を求めるが狂信的攘夷思想の孝明天皇は抵抗し、攘夷派公家たちを背後で操る大久保一蔵 ( 利通 ) は幕府を窮地に追い込むため国難も意に介さなかった (革命家とはそういうものか?)。

朝廷の抵抗に追い込まれた慶喜は、内心は騒乱を避けたい諸藩の代表たちを御前会議に呼ぶという前例のない方法で世論の動向を示す一方、勅許が得られないならこの場で切腹すると脅して朝廷を屈服させた。番組の出席者たち ( というより司会の磯田道史氏!)はこの摂海侵入事件を幕末の最大の危機と捉え、もし列強軍が京都に侵入していればアヘン戦争後の清国のように我が国が列強の植民地になっていた可能性があると結論した。

たしかに、幕末史では薩英戦争や列国艦隊の下関砲撃事件が有名だが、それらは薩摩藩や長州藩にとって危機であっても日本国が列国の直接の目標だったのではない。むろん京都侵攻で必ず日本が植民地化したとまでは言い切れないが、いまや世界の観光都市京都が第二次世界大戦より80年早く焼け野原となる危険にさらされたことは確実だろう。

徳川慶喜の評価としては矢張り鳥羽伏見の戦いで劣勢となるや将兵たちを置き去りにして江戸に逃げ帰ったことの印象が強いし、私個人は吉村昭氏の『天狗争乱』を読んで慶喜を味方と信じて ( 誤解して ) 関西にまで攻め上った水戸藩士たちを見捨てた ( 彼らは虐待され処刑された ) 酷薄な人、しょせん臣下のことなど気にかけない殿様と考えていた。急に意見を改めろと言われても.........。
殿様には相応の貢献の仕方があるということか。歴史上の人物の評価はかくも難しい。

2016年9月25日日曜日

豪栄道 優勝!

大相撲秋場所は大関豪栄道の初優勝で終わる。まだ全勝優勝かどうか分からないが、たとえ14勝1敗で終わっても文句のつけようのない成績での優勝である。これが大関昇進いらい四度のカド番という惨憺たる成績だった力士の為せる業とは思えない。あれよあれよの間の優勝であり、誰もこの結果を予想していなかったろう。あまりの変身の理由はこれまで体調が不良だったせいか?  そうと聞いていないのは、それを理由にしたくない大関のプライドの故だろうか。それとも単なる偶然の変身なのだろうか。

二敗の遠藤 ( よくやった!)が負けての優勝決定でなく、日馬富士を敗って決めたのがまた良かった。私は日馬富士のファンでもあるので取組前の心境は複雑だったが、やはり今回は日本人力士に勝って欲しかった。負けた瞬間、日馬富士は照れたような表情を浮かべた。あれほど相手を圧倒しながら逆転されては苦笑する他なかったのだろう。しかし、彼の俊敏さはこれまで私が知る力士のうちでも随一であり、今場所もそれは十分発揮された。好漢の今後を期待する。

稀勢の里が今回優勝どころか期待外れに終わったのは残念だが意外ではなく、場所前あれほど期待を煽ったメディアがおかしい。これまでの彼は日本人故の期待を一方的に負わされていた。今回でその面での心理的負担はある程度解消したことは喜ばしい。今後はただ自身のためにだけ勝負して欲しい。今場所の豪栄道のように。仮に横綱昇進なしで終わったとしても、白鵬に双葉山の連勝記録を破らせなかった力士として私は忘れないだろう。