2024年10月25日金曜日

映画『ゼロの焦点』の時代

  NHKテレビのドキュメンタリー番組『映像の世紀』を欠かさずでもないが見ることも少なくない。選挙報道に食傷し(すでに不在者投票)、7月8日に放映された「東京 戦後ゼロ年」を今ごろ見た。終戦直後の東京の「惨状」としか言いようのない記録で、上野駅?に住む孤児たちや闇市、パンパン(米兵相手の売春婦)などなど。あらためて圧倒された。父の転勤で一年前に地方に移っていた私には旧知の知識でもやはり衝撃的だった。

 松本清張には『砂の器』など汚辱に満ちた過去を隠すため他人を殺してしまう作品が少なくないようだが、『ゼロの焦点』も前者に次いで有名で、のちに再映画化もされた。久我美子扮する主人公は金沢の営業所長を務め最近本社に勤務することになった男性と見合い結婚するが、残務整理のためとして夫は結婚8日の後に金沢に出張し行方不明になる。真相究明を依頼された夫の兄は、元パンパンで今は地方の名流夫人と戦後の一時期に風紀取締の警官だった夫とは旧知の仲だったと突き止めるが何者かに毒殺される。久我扮する主人公は名流夫人と名勝の能登金剛で対決し、相手を投身自殺に追い込む。

 前の戦争は310万人の直接犠牲者の他にも多くの人を悲惨な運命に陥れた。大学の研修旅行の付き添いで訪れた能登金剛の「ヤセの断崖」には清張の歌碑「雲たれてひとりたけれる荒波を かなしと思えり能登の初旅」がある。私の場合、訪問は晩春だったが、一瞬で厳冬の能登に引き戻される想いだった。

2024年10月20日日曜日

赤道下の旧フランス植民地ガボン

  昨日、「行くぞ! 最果て!秘境x鉄道..........ガボン」を見た。本来は続き物の鉄道紹介番組らしいが、日本人、と言うより私がほとんど知らないアフリカ西海岸の赤道直下の旧フランス領の国の実情がうかがえて興味深かった。

 番組は私が初めて名を聞く日本人の若者タレントが、大西洋に面した首都のリーブルビルから600キロ余りの世界的マンガン鉱山の町フランスビルをつなぐ鉄道の沿線紹介がすべて。最初は大河沿いの村で魚を取って生活する人々の紹介。私には村人の生活よりも、多年の独裁者が追放され新しいリーダーが生まれたが、彼の国内視察のため8時間も列車の運行が取りやめという国情が印象的だった。ついでジャングルの中の村で鉄骨の両端にコンクリートの塊というフランス式の鉄道用枕木の輸出向けの近代的工場を訪ねた。

 最後は終点の世界第4位の産出額のマンガン鉱山の町フランスビル。近代的な大精錬工場で、ここで初めてフランス人の姿を見た。あまり日本人の目に元植民地母国人を晒したくなかったのか。かつてシュバイツァーが住民の医療に尽くしたこの国は今は石油の大産出国とのこと。鉄道紹介番組にそうした言及がなかったのはやむを得まい。ともあれ、独立後数十年を経てもフランスとの経済的つながりは大きかった。産業技術の差を考えればフランスの利益は大きくとも共存共栄の関係なのだろう。

2024年10月16日水曜日

昭和天皇の戦争責任

たいへん大袈裟な題を付けたが、昭和一桁生まれで日米戦争中に小学生であった者には此の問題に全く無関心ではいられない。とは言っても最近公刊された田島道治初代宮内庁長官の全7巻の『昭和天皇拝謁記』を読むほどの熱意も根気もない。

 ところが今年8月、20世紀後半生まれの7人の若手研究者たちによる『昭和天皇拝謁記を読む』が刊行されたので入手して読んでいる。しかし、一巻全4部のうち天皇の前大戦観を扱ったのは第1部だけ(「天皇は戦争をどう認識していたか」)。残る3部は戦後の「象徴天皇制」への昭和天皇の対応などでやや失望した。

 第一部の「天皇は戦争をどう認識していたか」も戦前の昭和天皇の心の葛藤を十分に理解しているか疑問に思った。私は明治憲法上の天皇の地位や権限を詳しく知るわけではない。しかし、絶対王政時代の君主ではなかったとは考える。英国の君主政を理解し、訪英中にジョージ5世(名君と言われる)から直接に君主の道を説かれた昭和天皇にとって対米英戦争が不本意そのものだったろう。それでも宣戦の詔書を発した以上むろんその責任は免られない。しかし、戦後のマッカーサーとの会見で開戦の全責任を負うと語り、元帥の天皇への深い敬意を生んだ。

 日米開戦の直前に昭和天皇とルーズベルト米大統領のハワイ会談が計画された。グルー駐日米国大使はその回想録『滞日十年』で述べたように本国政府に対し会談の実現を悲痛なほどの調子で訴えた。彼は日本の上層部が日米開戦を望んでいないことを知っており、さらにこれが最後の機会であることを知っていた。しかし、ヨーロッパでの対独戦参加を重視した米国政府は此の要請を顧みなかった。米国自身が此の選択で大きな犠牲を払うことになる。

2024年10月10日木曜日

大学の国際的順位再論

  前々回にタイムズ・ハイヤー・エデュケーションの「世界の大学ランキング」を朝日新聞にもとづき論評した。その記事は我が国の読者向けに最上位の数校の後は日本に関係の深い米国やアジアの諸大学がアト・ランダムに挙げられていた。その後端末で調べたら20位までが順位通りに紹介されていた。ところが、その中にはドイツの大学もパリ大学も挙げられていない。それによると「国際性」(教員や学生の割合だろう)の評価は全体の5%どのことだが、19世紀に世界の大学の模範であったドイツの大学(ゼミナールはドイツ語)や世界最古の大学の一つのパリ大学が20位に入らないとは! ドイツ人やフランス人は到底受け入れない順位である。やはり英語が大学でも国際語となりつつある現状の反映と断じざるを得ない。割り引いて考える必要がある(一愛国者から!)。

2024年10月8日火曜日

軍部独裁より恐ろしい宗教独裁

  ガザの戦乱が始まり昨日で一年経ったという。ヨーロッパ諸国もわが国も宗教的目的の追求を国家目標としてはいないが、中東諸国ではイスラエルも含めてそうではないと今回改めて思い知らされる。今朝の東京新聞にガザのハマスのメンバーが4万2000人のパレスチナ人の犠牲を「後悔していない」と語ったと読んだ。これでは4万人の死はハマスとイスラエルの共作と言うべきではないか。宗教目的を国家目的とすることの恐ろしさである。他方イスラエルは近代国家ではあるが、ユダヤ教のある極端派は兵役を免除されていると最近読んだ。ヨーロッパでも絶対平和主義者が個人として兵役を免除されることはあるようだが集団として兵役免除とは驚きである。

ガザの戦乱は最近ではレバノン南部に拡大しつつある。イスラム教徒のヒズボラとイスラエルの武力抗争は今に始まったわけではない。しかし、私が不思議に思うのは関連報道の中でレバノン政府への言及が皆無であること。もはや同国政府の威令はゼロなのだろう。他方、レバノンと同様にイスラエルの隣国である王制国家のヨルダンは戦乱とは全く無縁。軍人独裁のエジプトも同様である。同国はナセル大統領が第三次中東戦争に敗れて失脚したのち、サダト、ムバラク、シーシと穏健な軍人大統領が続いて宗教独裁を免れ、戦乱とは無縁である。王制や軍人独裁というと遅れていると決めてかかる人が少なくないだろうが、イスラム国ではトルコのケマルパシャ以来むしろ進歩的役割を果たしてきた歴史がある。

 ヨーロッパのキリスト教諸国でも近世には新旧のキリスト教徒の間で戦争があった。その間に寛容の重要性を学んだ結果、脱宗教化を実現した。中東諸国に宗教的寛容が受け入れられるのを期待する。

2024年10月6日日曜日

世界の大学の格付け

  各紙に東京工業大学と東京医科歯科大学の合併の記事が大きく載り、それに関連してか、英国のタイムズ紙の「世界大学ランキング表」が改めて紹介されている。現在の医療技術の進歩、とくに電子化、AI化などを考えれば両校の合体は意義があるだろう。しかし、政府が最近進めている「国際卓越研究大学」(現在10校程度)に認められれば研究費が大幅に増額されるので、それを狙ったということもありそうだ。いずれにせよ研究水準を大幅にアップして欲しい。

 ところで「世界大学ランキング表」で1位オックスフォード、2位スタンフォード、3位マサチューセッツ工科大、4位ハーバード大はともかく、東京大29位、京都大55位はいくら何でも低すぎるのでは? シンガポール国立大19位より低いとは!

 何故こういう結果なのか。たしか、大学の国際性(教員や学生中の外国人の割合)も考慮されていると記憶する。その点なら日本の大学は不利になるだろう。前にもブログで触れたが、私は1960年代に英国の海軍兵学校の式典を見学したことがある。遠目にもアフリカ系の生徒が目立った。旧英領植民地では軍関係の学校の整備が遅れていたのだろう。兵学校でそうなら有名大学の場合それ以上に外国人( カナダなど白人英連邦諸国も含む)は少なくないはず。英語が共通の米国の大学も同じ。

 だからといって清華大12位、北京大14位より下位とはよく分からない。文系以上に理系では研究費が貧弱ではどうにもならないの場合が多いのでは。ともあれ、29位や55位を早く脱してほしい。

2024年10月1日火曜日

ロシア・ウクライナ戦争の行方

  発生以来2年半にもなるロシア・ウクライナ戦争は我が国でも絶え間なく報道されている。しかし、開戦以来私が気づいたのは、これまでロシア関係の報道に際して紙上でよく見かけたロシア研究者たちの名が稀にしか目につかず、二世代ほども違う若い研究者たちの発言ばかり紹介されていることである。古い世代はもう亡くなっている場合も多いだろうが、そればかりでもないのでは? 想像だが、彼らが一方的なロシア断罪に合流出来ない、したくないからでは?

 ゼレンスキー大統領はウクライナの独立以来ロシアに奪われた全領土の回復なしには終戦はないと断言している。しかし、例えばクリミア半島は19世紀に帝政ロシア(当時はウクライナも含むが)がトルコから獲得したもので、第二次世界大戦末期にここの美しいロマノフ時代の離宮でヤルタ協定がつくられた。フルシチョフがソ連末期にクリミアをウクライナ領に移管したとき、ソ連の崩壊など誰も予想していなかった。20年ほど前にウクライナ東部がロシアに奪われたのはウクライナがロシア語を排除して国語をウクライナ語に統一したことが紛争の発端で、ウクライナは国連が勧告した「東部の特別の地位」への2国間交渉にその後応じなかったと記憶する。

 無論ウクライナだけを責められない。ソ連解体時、ロシアとともに冷戦終結を誓った西側大国がNATO加盟国を15から30に倍増させたことが賢明の筈がない。今のままではバルカン半島の小国の行方が全ヨーロッパに拡大し誰も止められなかった第一次大戦の経過をたどりかねない。いかに小国に同情しても原水爆戦争に近づいてはならない。今のままでは取引(ディール)上手を自称するトランプが米国大統領に選ばれるのが世界にとって安全、などということは無いだろうが.............。