2024年3月28日木曜日

桜花の季節に

 例年、この季節になると桜の開花情報で日本人の心は落ち着かなくなる。無論私もその例外では無い。西行の昔からそうなのかも知れない。

 桜前線とも呼ばれるように、一般に日本列島の桜の開花時期は南から北へと北上するのだが、最近知られたように桜の開花時期は寒い時期からの温度差も左右する。私が大学入学のため4月10日ごろ上京したとき、熱海あたりの桜は満開間近の印象だった。ところが、下宿に近い井の頭公園の桜は落花が始まっており、不思議に感じた。

 その後というより最近になって河津桜ををはじめとして植えられる桜の種類も各地で増え、桜花の季節も以前ほどには短期間では無くなったようだ。私は日本を訪れる外国人観光客にはぜひ満開の桜を見てほしいと思うので、さらに多種の桜を植えてほしいと思う。

 戦前の世田谷の我が家にも桜の木はあった。しかし、戦時中に薪の入手が困難になり、切り倒され風呂の燃料となった(ガスは未だ台所にしか無かった)。そうした状況は我が家だけでも無かったろう。西行には見せたくない光景だった。

2024年3月24日日曜日

ケインズのヴェルサイユ条約批判

  昨23日の朝日新聞の土曜恒例の書評と新刊紹介のページに、J.M.ケインズの『新訳 平和の経済的帰結』の紹介がかなり大きく載っていた。ケインズと言えば戦後の一時期、「マルクスかケインズか」などとも評されたケインズ経済学の創始者であるが(並び称されるほどの人か素人の私には分からない)、本業で有名になる前に第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和条約が復讐的で将来に禍根を残すと警告した本書で一躍有名になった。

 ヴェルサイユ条約の「不平等性」(とくに過大な賠償金)がナチスの興隆に大きく貢献したことは否定し難く、本書が先見の明を評価されたのは誤りではない。しかし、パリ講和会議に出席した米国代表団の一人は回想録で、「ドイツが賠償金を全額支払うなどと信じた者は一人もいなかった」と記している。それなのに過大な賠償金額を定めたのは、そうしなければ国民の怒りに戦勝国政府は耐えられなかったのである。

 フランスだけではない。大戦中に英国では労働党を中心に「外交の民主的統制」という主張が叫ばれ、力を得た。君主国といえども国民の意志にもっと縛られるべきだとの主張はむろん真っ当だが、君主や取り巻きの一存で講和条件を決めることの困難を倍化させた。さらにフランスではドイツ軍により北部を占領されていた間に国土は荒廃させられ(末期に退却するドイツ軍は炭鉱を破壊して去った)、全期間外国領で戦ったドイツが賠償金を支払わないなど考えられなかったのは無理もなかった。ケインズのベルサイユ条約批判は正論ではあったが状況が許さなかったのである。

2024年3月23日土曜日

訂正

  前回、too small ,too lateと書いたが、too little ,too lateがベター。訂正乞う。

2024年3月22日金曜日

公定金利の引き上げ too small, too late ?

 ここ何年か懸案となっていた公定金利の引き上げ(と言っても たった0.1%)が実現したが、為替も株価も予想に反してむしろ上昇している。この程度では大勢に影響はないと軽く見られたのか。経済に疎い私には何とも言えないが、面白くない!

 安倍内閣と黒田日銀の超低金利政策が日本経済の長期停滞を打破するためであったことは分かる。しかし、その目標が2%のインフレと聞くと分からなくなる。戦後のインフレを知る小生の古い頭ではインフレなど無いに越したことはないし、今やわが国でも数多い年金生活者もそうではないか?

 しかもそのインフレを起こすための国債発行額が巨額(国と地方の債務残高1300兆円)に達している。奨学金の充実を始めとする教育費援助の充実には賛成したいが、まさにその年代の人たちが、のちに借金返済に苦労することにならないか?負債のない未来を残すことは我々の世代の努めではないのか?

 家計と国民経済の運営は違うと言われれば私に自信はない。ただし、与野党の違いを越えて政治のタガが弛んでいると感じるのは老婆心にすぎないか。

2024年3月12日火曜日

懐かしき人びと

 先日、ガザ紛争に関するテレビ番組にイスラエル研究家のI氏が出演しており、私の旧知の故人Iさんのご子息だと思った。のちにタブレット端末で調べたらどうやら別人らしいが、それがきっかけで今は亡きIさんら在外研究仲間を思い出し、無性に懐かしかった。

 1960年代後半に私が留学した英国の大学(university)は30余の学寮(college)から成り、後者の一つでは私より先に2人の日本人教授がおられた(私は院生)。その1人のIさんは当時は大阪市大の教授(のち東北大)だったが、海軍兵学校の最後?の卒業生で、『日本の海軍』という新書本をのちに書かれた。当時日本から持ち出せた外貨(700ドル?)を私が使い果たしたので、Iさんの分を使わせて頂いたこともある。氏の縁故で3人でダートマスの海軍兵学校の式典に招待されたことなど良い思い出である。

 もう1人のOさんは北大教授(政治思想史)で剛毅な人だった。帰国便の予約のためのロンドンの日航支店までのドライブに誘われ同行した。しかし、日航支店の近くの駐車スペースが先客で満杯で、閉店時刻が迫ってきた。するとOさんが、「平瀬君、行って閉店時間を延ばすように話してくれ」と言い出した。さいわいスペースが空いたので助かったが、いくら当時の日航支店は小さかったとはいえ驚いた。札幌では北大教授なら無理を聞いてもらえるのか(まさか!)。

 私の留学期間が1年を過ぎるとIさんもOさんも帰国され、SさんとNさんが学寮に入ってこられた。都立大教授のSさんは我が国の英国労働党研究の大御所であり、当時の民主社会党を支持する文化人で最も高名な人。のち参議院議員にもなられた。温厚そのものの人で、すでに大家だったのに、熱心に労働党関係の資料を読んでおられた。

 他方、Nさんは私より年少者で社会人類学を専攻する院生。毎日食堂で顔を合わせるのですっかり親しくなった(のちには家族同士も)。彼は私の帰国後、アフリカの原住民の部落に1年間住み、帰国後『××民族誌』として公刊した。大変多才な人で、英国の競馬史にも親しく、一度はNHKの競馬番組の解説者を務めた。ところが中継のカメラが大事なシーン(多分)を撮りこぼしたら、「だからNHKはダメなんだ」と叫んでしまった。やはり、その後の競馬番組に呼ばれることはなかったようだ。数年前、その後の彼の最近の住所(なんと同じ市内だった)を探し出し、20年前の拙著『英国の石造アーチ橋』を贈った。しかし返書はかなりの乱筆だった。一番に見てほしい人の1人だったが…。

2024年3月10日日曜日

訂正

  前々回のエッフェル塔の建造年は1898年ではなく、1889年の誤り。失礼しました。

ガザへの海上からの食料補給計画がやっと!

  イスラエル軍のガザ全面制圧が進むにつれ、住民への食料や医薬品の供給が急務となっている。先週あたりからやっと海上からの補給計画が動き出したようだ。

 イスラエル政府が壁を越えて攻撃を仕掛けたハマスをどれほど許せないにせよ、非武装の住民を飢えさせるのは人道に反するし、それだけで無く、犠牲者数の増大はハマスの侵攻目的に合致するから。

 私はガザ南端のラファの国境解放が実現しないのはイスラエル政府の意志なのか、エジプト側の意志なのか測りかねた。現在のエジプト政府はハマスの仲間であるイスラム同胞会系の政府を打倒した軍部政権でパレスチナ人の大量流入を警戒する動機はある。そのいずれでも無く単に港らしい港がガザ海岸には無いのか、不思議に思っていた。

 大型トラックの輸送力も船舶のそれには到底及ばない筈。今回ようやく特別に桟橋を新設するとのこと。もうサウジらの仲介によるイスラエルとハマスの協定成立を待つことなく、人道的措置として米軍単独でも行動すべきだろう(略奪阻止の必要も加わった)。我が国も求められれば資金面の協力を惜しむべきでは無いのは無論である。

2024年3月6日水曜日

大阪万博の「二億円トイレ」への批判は正しいか?

  ほぼ毎日、図書館で他紙(と言っても2紙ほど)に目を通しているが、夕刊までは対象外である。ところが今朝、偶然に昨夕の『東京新聞』を手にしたところ、「2億円トイレ 理念理解を」との見出しの大阪万博のトイレの記事が載っていて同感を禁じ得なかった。

 大阪万博当局が会場のトイレ8箇所の設計を若手建築家の競作に委ねた。そのうちの何箇所かは知らないが、1億9千万円のものもあり、壮大な無駄であるかのようにメディアの格好の批判の対象になっている。しかしこの記事によれば、1箇所の便器が数十器といった超大型トイレの話であり、「過去から学び、転用可能に」するなど工夫もなされており、設計者が「(2億円トイレといった)言葉が独り歩きしている」と反論しているという。

 大変妥当な記事で、日頃『朝日』以上に野党的な『東京』が? と驚いたが、同紙は他紙以上に日頃から文化面に力を入れている印象で、若手建築家たちの内々の批判を無視出来なかったのだろう。1898年のパリ万博に際して作られたエッフェル塔も同時代のボードレールやモーパッサンに手厳しい批判を浴びたが、今ではパリ屈指の名所となっている(自民党代議士もその前で浮かれてしまうほど!) 文化的価値評価は私の得意では無いが、エッフェル塔ほどパリ再訪を意識させる建築はない。

2024年3月1日金曜日

隣国の与える教訓

  韓国の少子化が我が国をはるかに凌駕するとは聞いていたが、昨日の朝刊各紙に同国の統計庁の最新の出生率の発表の数字が掲載されている。結果は、我が国の一昨年の1.26に対し、昨年の韓国は0.72とのこと。

 少子化は多くの先進国に共通の現象だが、0.72とは夫婦2人の後継者が1人に達しないということ。我が国も他国を心配する余裕などないが、これでは韓国は将来の小国化が避けられない(もっとも韓国には朝鮮半島の統一というウルトラC級の解決策がある)。

 先進国に共通する少子化の原因は女性の家庭からの解放や晩婚化が挙げられる。しかし、日韓の差はそれでは十分には説明できない。各紙の指摘するように韓国の首都圏に人口の半数が暮らすという異常さや、それと無関係では無い進学競争や就職難の激しさだろう。

 しかし、我が国も韓国ほどでは無いが、首都圏への人口の集中や進学競争の激化は顕著であり、対策を急がなければ韓国の姿は明日の日本の姿だろう。さいわいわが国には京阪神というもう一つの核が存在する。この地域の振興は待ったなしであり、万国博の開催は半世紀前ほどのインパクトは無いかもしれないが、大きな一助(形容矛盾だが!)ともなりうる。隣国はそれを教えているのでは無いか?