2022年10月27日木曜日

野田氏の安倍氏追悼演説

  国会での安倍元首相への追悼演説が一昨日野田元首相によりなされた。野田氏のたっての希望によると聞き、同じ首相の重責を担った者として思いを語りたかったと推測した。ところが最初に眼を通した{朝日』の演説要旨を読み、私はそれほど心を動かされなかった。通り一遍の演説では決してなかったが、感銘を受けたとまでは言えなかった。次いで読んだ他紙は『朝日』の倍近い演説全文であり、心を打つものがあった。野党の元首相として立場は違っても共に重責を担った者として哀惜を禁じ得なかったのだろう。

 『読売』や『産経』が全文を報じたのは日ごろの論調から不思議ではなかったが、『東京』がそれに倣ったのは意外だった。同紙の野党色はこれまで『朝日』以上に目立っていたからである。今朝の同紙のコラム『筆洗』は「重圧と孤独の職に耐えた心情を思いやる。敵が消えればいいという態度はない」「分断に荒れた時代を癒やす言葉があった」と演説を評価している。

 『朝日』は森友事件で自殺した赤木さんの遺書も要旨しか紙面に載せなかった。他紙に載った全文には土地の大幅値引きの元凶は大阪の代議士の働きかけだったと記されていた。全文が載ったら不都合だったと解するほか無い。

2022年10月22日土曜日

小室圭さんの受難に終わりを!

  最近の週刊誌記事で大変不愉快だったことの一つは小室圭さんと秋篠宮一家をめぐるものだった。小室さんの母親に多少の問題があろうと、若い二人に何の責められる点があるというのか。さいわい昨日、小室さんが米国の弁護士試験に合格した。有名国立大の大学院生だった同氏はそれなりに優秀な人だろう。これまでに2回試験に不合格だったといっても、日本人にとって外国語による資格試験に合格することは誰もが出来ることではあるまい。

 それなのに「追求」とでも評したくなる週刊誌の論調は2人だけでなく秋篠宮家、とりわけ紀子さんにも向けられた。皇族という立場上反論ができない相手に対して、私には「不当」というよりも「卑劣」としか感じられない執拗な記事が続いた。雑誌の売れ行きのためなら出版人の矜持を捨て去ったとしか思えない。あるいは最初から持ち合わせないのだろう。

 小室圭さんの弁護士試験合格で、民間人だったら名誉毀損の連続の記事に終止符が打たれることを望む。

2022年10月19日水曜日

マイナンバーカードへの不安

 最近、政府がマイナンバーカードの取得を国民に呼びかけ、取得者には2万円?のボーナスを支給すると宣伝している。我が夫婦の様に早々と取得した者にはその恩恵はないらしい。不公平だが、国家としてマイナンバー制度が必要ならその程度の事にあれこれ言いたくない。

 政府の主張を信ずれば各種の証明書の取得など大変容易になる。例えば遠隔地でも取得できるのは便利だ。最近、銀行で身分を証明する必要に迫られ、マイナカードと運転免許証を持参したら後者は見向きもされなかった。どちらも写真入りの政府や自治体発行の証明書なのだが......。

 それでも政府の推奨にも拘らずマイナンバーカードの取得率はやっと5割になったばかり。国民としては政府や自治体の仕事の簡素化に協力したいが、とりわけ高齢者からすると「何にでも使える」と言われると紛失したときいろいろに悪用されないかと疑ってしまう。むろん対策はつくってあるのだろうが、「落としたのが悪い」と言われたら如何にも正論で、それ以上反論できるだろうか。マイナンバー制度が正くとも便利でも、この不安を分かりやすく解消してもらわないと、高齢者はなかなか応じようとしないだろう。

 

 

2022年10月14日金曜日

英語のスピーキング・テストの導入への疑問

  しばらく前から大学入学共通試験(正式名称はよく変わるので覚えられない!)に現行のヒヤリングテストだけでなく、スピーキングテストの導入が新聞などで報道されていた。今回はそれを高校入試にも導入しようという事のようだ。

 日本人の英語が読解能力に比べて会話能力や意見発表能力で著しく見劣りすることは間違いないだろう。だから後者の能力の改善を経済界の要望の反映だなどとする批判には私は与しない。しかし、私はヒヤリングテスト導入には賛成するが、スピーキングテストには賛成できない。

 私の狭い経験かもしれないが、海外の大学でのゼミなどで我が同胞の発言は少ない。これはテーマが欧米から選ばれがちだからではない。日本やアジアの政治や文化を研究対象とするゼミには他の研究分野の日本人の訪問教授や学生も興味を感じて出席することが多かった。しかしそこでも発言を促されるまで黙っている日本人(私を含めて)は多かった。ヒヤリング能力の不足でとんちんかんな意見の開陳となることを恐れるのである。

 ヒヤリング能力がしっかりしていればスピーキングも流暢でなくても時間はかかっても通用するものである。高校入試でも大学入試でもスピーキングテストは出身校の教育レベルの差は勿論、本人の性格(寡黙か多弁か)などの問題を容易には克服できないことを心配する。

2022年10月11日火曜日

休戦は遠のくばかり

  ロシア本土とクリミアを結ぶ道路橋が攻撃された。被害は甚大というほどではないようだが、プーチン大統領にとっては面目を潰された形となった。彼はこの攻撃をテロ攻撃と決めつけウクライナの首都をミサイル攻撃した。同地の歴史を物語る建築物の破壊が危惧される。

 プーチンがクリミア橋の破壊を「テロ攻撃」と決めつけるのは当たらない。ロシアが「特別軍事作戦」と名づけようと両国が戦争状態にあることは明らかである。橋の破壊作戦はその一端に過ぎない。橋を開通させたプーチンの面目失墜など自業自得に過ぎない。

 しかし、ロシアの言論界でのプーチンの強力な支持者だった人物の自動車が爆破され、彼の娘(同じくプーチンの支持者)が爆死したことは些細なことではない。ロシアもウクライナの指導者やその家族に同じことをしたら凄惨なテロの応酬となろう。それを予見しなかったのか。

 戦争開始以来、ロシア軍による数々の戦争法規違反がなされたことは事実だろう。しかし開戦直後、ウクライナ側が作った火炎瓶の映像を見て私は危惧を抱いた。正規軍が火炎瓶を使用するとは考えられないとすれば、民間人によるロシア軍攻撃のためだろう。しかしその瞬間から彼は民間人ではなくなり、正当な攻撃の対象となる。ウクライナ政府がそれを知らないとは考えられない。そうとすれば戦争法規違反は一方だけではなくなる。

 ロシア軍の侵攻を阻止するため学校などの公共施設は貴重だろう。しかしその瞬間からそれらは民間施設ではなくなるだろう。ひとたびそこで戦闘行為が始まれば残虐行為は避けられない。相手を10人、100人殺しても自分は生きたいのが戦争である。一晩で10万人が殺された3月10日の東京空襲は戦争法規の重要性とその限界を示している。

2022年10月7日金曜日

日米プロ野球あれこれ

  今年のプロ野球のペナントレース(リーグ優勝)は私の願いどうりヤクルト・スワローズとオリックス・バファローズの優勝で終わった。両チームとも2年続けて勝つことで前年の優勝がまぐれでないことを証明できたことが嬉しい。そしてジャイアンツとソフトバンクという金満チームが優勝を逃したことも!

 ところが何時からか、チャンピオンシリーズなるものが導入され、日本シリーズは両リーグの覇者同士の戦いとは限らなくなった。リーグ優勝が見通せるシーズン末期の試合が客を呼べないための改変と聞くが、半年を超える激闘の末の優勝チームが日本シリーズに出場出来ないなど納得できない。そこまで米国野球の真似をするのか!

 他方、彼の地のプロ野球は大谷翔平が今年も大活躍でペナントレースが終わったようだ。昨年と比較して投手としては前進、ホームラン打者としては後退ということでホームラン新記録のジャッジとのMVP争いはやや不利か?  それでも前人未到の活躍なら立派の一言である。来シーズンもエンゼルス残留と決まったが、チームのオーナーは有望選手の補強によるチーム力アップを目指してほしい。私の願いはわが国の新聞がエンゼルスの毎試合の記録をより詳しく報道してくれること!

 今年気づいたことは広島だけがカープと単数で呼ばれること。米国のデトロイト・タイガースのユニフォームの綴りがtigresであること。centerとcentreなど辞典では両方が記載されているが、少なくとも研究社の英和大辞典(第5版)ではtigreはなかった!

2022年10月4日火曜日

国葬再論

  いまや日大総長(総理?)となった作家の林真理子氏が『週刊文春』に連載しているコラム『夜ふけのなわとび』の最新号(10月6日)で安倍元首相の国葬問題にふれている(家人の指摘でiPadで読んだ)。その趣旨は「非業の死を遂げた元総理」を悼もうということで、「国葬で心が一つになったイギリス、日本は真っ二つ。 これでまた国運が下がるはず。間違いない。」とこの問題でのメディアの論調に疑問を呈している。

 私はテロを弁護する者ではないが、元総理の統一教会との癒着が山上徹也の犯行の原因であることは明らかであり、犯人には法の許す限りの軽い刑を望む。しかし、元総理が自らの横死である意味で罪をつぐなったとも考える。日本的感性では「死者に鞭打つ」ことは心無いこととされる。その意味で私には林氏の弔い心に同感する部分はある。

 ともあれ、野党やメディアの支配的論調に敢えて不満を表明した林氏の侠気?には爽快感のようなものを感ずる。