2022年3月27日日曜日

望んだ共生ではない!

  三日ほど前、我が家の庭をアライグマ(多分)がうろついていた。慌ててカメラを探し構えたが、丁度こちらに背中を向けた瞬間だったので毛皮を丸めたようにしか写らず残念だった。昔は多摩市のニュータウンはジブリ映画の『平成狸合戦ぽんぽこ』の舞台とされたが、最近は新参のアライグマに取って代わられつつあり、駅から我が家に来る途中の下水溝の蓋には美しい色絵にラスカルと書き添えられている。40年ほどの間には動物界では政権交代が起こっているのにわが国の政界は............。

 一年ほど前から我が家の庭の下にモグラが棲みついたようで、小さな塚のような土の盛り上がりがあちこちに見られるようになった。姿を見たことはないし、今のところ悪さをしないので駆除する気にもならない。「もぐらのたわごと」の筆者なら仲間だと思われているのかも?

 以前、庭に白猫があらわれ、小石を投げても動じなかったと書いた。もう二十日ほど前から数軒先の家や電柱に白猫が行方不明になり、見つけたら知らせてほしいとの張り紙が貼られている。野良猫どころか大層高価な猫とのこと。石が当たっていたら損害賠償となっていたことは確実。この世はどこに落とし穴があるか分からない。御用心を!

2022年3月23日水曜日

男女間の役割分担は有りでは?

  昨日の東京新聞に「全国137公立中高一貫校 36%なお男女別定員」との見出しの記事が載っている。私立の中高一貫校が大学入試で顕著な好結果を収めているのに危機感を覚え、公立も中高一貫校を創設していると聞いてはいたが、その総数が全国で137校に達したらしい。そしてそこでは非一貫校と同様に男女別定員が残存しているとのこと。

 その理由の一つは女子の入試成績が男子のそれより通常高いため均等化を図るためとのこと。不均等では困る教科が何なのか門外漢の私には分からないので発言を控えるが、一部の医科系大学で男女均等を図るため合格点を男女別にしていた事実が問題化したことは記憶に新しい。

 私は大学側が内密に男女の合格点に差をつけていたことは弁解の余地のない不公平な措置だと思う。しかし、男女それぞれの入学定員数を発表していたらどうなのか。ときに数時間以上かかる外科手術への適性が男女同一とは思えない。それでも男女の同数入学を厳守すれば体力を必要とする診療科への進学者が不足とならないだろうか。

 そんな疑問を感じたのは動物相手の獣医養成学校では問題が生じていると読んだ記憶があるから。牛や馬や豚を相手とする「産業医」が不足している一方、都会の犬猫病院(失礼!)の勤務医は増加していると聞く。牛馬豚よりもはるかに扱いが楽で都会中心の愛玩動物相手の獣医を女性が選んだら今後ますます産業医は減少し、畜産農家が困るのは当然予想できる。対策が急務だが、人間相手の医療にも似たことを生じさせない施策は必要ではないか?

2022年3月21日月曜日

プロ野球の名監督ベストテン

  一昨日の朝日新聞の付録beの恒例の「読者のRanking」は「プロ野球の名監督」10人で、納得できる者もあるがそうでない者もいる。

 野村克也監督の第一位に反対する人は稀だろう。行く先々でそのチームをリーグ優勝や日本一にさせた上に、全盛期を過ぎたと見られ他チームを解雇された移籍選手を復活させ「野村再生工場」と呼ばれたことは記憶に新しい。その最高の実例と自認する山崎武司は中日時代に一度本塁打王になったが、その後盛りを過ぎたと見られ中日ついでオリックスを解雇された。しかし野村に拾われ楽天で活躍し再度本塁打王(それも生涯最多の本数)になった。

 第二位の星野仙一は無論それなりの優勝実績(3回)を残したが、「女性人気が高かった」と評されるように実績以外の要素が働いたようだ。私なら「読者のRanking」には名が無いが三原修監督を第二位に推す。戦後間も無く巨人軍の監督を務めたが、元同僚選手だった水原茂がシベリア抑留から帰国すると何故かその地位を追われ西鉄の監督となり三連続優勝を成し遂げ見事に仇をとった。さらに大洋ホエールズに移り最下位チームを翌年優勝させた。名前にマジックが付いた最初の監督である。

 監督ベストテンに巨人軍からは川上(4位)、長嶋(5位)、王(8位)と3人が選ばれているが、私は3人をそれほど評価しない。川上が長嶋と王の活躍に大いに助けられたように彼等はいわば金満チームの監督故の常勝監督だったのではないか。毎年度下位だったチームを変身させた仰木(3位)や古葉(7位)や西本(10位)監督とは違うのでは。

 日本ハムの新監督となった新庄には大いに期待するが、最近の日本ハムは下位に低迷している。選手に地力がなければいくら監督が頑張っても苦しいかも.........。

 

2022年3月17日木曜日

葬儀考

  先々週と先週、2週続けてご近所の物故者の葬儀に出席した。どちらも仏式で、先々週は市内の葬儀社の会場、先週は我が家から駅に向かう途中の寺で執り行われた。故人はどちらも長患いの高齢者だし、ましてコロナ禍とあっては小規模の葬儀になるのではと勝手に予想したが、どちらもかなりの大きさの式場がほぼ満杯だった。自分の場合、雨天になると出席者が困るから自宅では難しいかな程度に考えていた私は甘かったのだろうか?

 いつの頃からか、棺の中の死者の顔を見せるのが普通になってきたようだ。私の場合それは願い下げにしたいが、希望が通るのかどうか。やはり生前の元気だった頃の記憶を保持してほしいのが人情ではないのか?

 四年ほど前にこの世にオサラバした高校以来の友人は、葬儀に使用する大型の写真を作っておいてくれと家族が要望すると不快そうに言うので、自分はもう用意してあると答えたら驚いた顔をした。いざと言う時には家族が多忙を極めるだろうからと考えた結果なのだが、作ってもう数年になるので、少しでも若い時の姿をとの下心があるのだろうか。

 いずれにせよ、長生きすればするほど嫌でも葬儀は簡単になる筈と、長生きに励んでいる。

2022年3月11日金曜日

ウクライナ紛争の行方

  ウクライナ紛争が首都キエフの攻防戦に近づいている。以前に本ブログで言及したことがあるが、前大戦に際しチェコスロバキアはナチスドイツ軍に抵抗せず、首都プラハは破壊を免れたが、ポーランドは徹底抗戦を選び、旧市街を徹底的に破壊された。どちらが正しかったなどと単純に軍配を挙げるつもりはない。大国に翻弄された歴史を持つポーランドにとってはワルシャワ攻防戦は輝かしい歴史の一部だろうし、「百塔の街」と言われ世界にとっての遺産であるプラハ市街が残されたことは後世への貢献である。

 伝えられるところでは、ロシアは休戦条件としてウクライナの中立化(NATO非加盟)と非武装化およびクリミア半島のロシア帰属を要求しているとか。以前に書いたように私はNATO非加盟は不当な要求とは思わないし、クリミア半島のロシア帰属も同様と考える。十九世紀中葉の露土戦争では同地のセバストポリでトルストイが英仏土連合軍と闘い、チエホフが晩年ヤルタに住み『犬を連れた奥さん』や『桜の園』などの名作を書いた。前大戦末にはロシア皇帝の離宮のリバディア宮殿でルーズベルト、チャーチル、スターリンの三巨頭が世界の今後を議した。

 紛争の最も望ましい解決はロシアの世論か軍部がプーチンを退場させることだが、世論にその力は無さそうだし、軍部の介入は内部対立から核戦争を引き起こす危険がある。ウクライナにとって欧米の軍事的支援は敵わぬ望みであり、戦争が長引くほど犠牲者は増加し、休戦条件はますます不利な「城下の盟」となろう。

 

 

2022年3月5日土曜日

昭和の鉄道旅

  前回に続いて恐縮だが、原武史さんの今日の『歴史のダイヤグラム』は「青春18きっぷ」を利用し門司から函館まで乗り継ぎにつぐ乗り継ぎの丸2日間の普通列車の旅の思い出である。私の大学生時代に「青春18きっぷ」は無かったが、原氏は函館到着時「精魂尽き果てていた」とのこと。単純な乗車時間ならシベリア鉄道でモスクワからナホトカ間9日間の方が長いが、私の場合乗り換えはハバロフスクの1回だけ。とても比較にならない。壮絶というべきだろう。

 私の大学入学時、自宅のあった愛知県から東京まで普通列車で8時間はかかった。一度だけ急行の『雲仙』を利用したが、九州からの夜行客はほとんど途中下車しないので立ちっぱなしの私は疲労困憊。沼津で湘南電車の東京行きに乗り換えた。2年か3年後、『東海』という準急電車が創設され、もっぱら利用した。当時は窓が自由に開閉でき、静岡駅で茶や冷凍みかんや土産のわさび漬けを買った。とくに丸ごとの冷凍みかんは楽しみの一つだった。

 当時は乗車券は1等から3等まで3等級あったが(一等車連結は稀)、ある年から特別2等(特2)という座席の背中がある角度まで倒れる等級が導入され、社会党の浅沼書記長がご満悦と新聞で読んだ記憶がある。しかし、我々庶民はそうもいかず、遠距離は夜行列車がふつう。運が悪ければ床に新聞紙を引いて過ごすことも稀では無かった。

 当時と比較して現在は在来線で満員となることは少なく(通勤時間は別)、鉄道旅は格段に楽になったが、車窓が開かない車体が大半となり、窓を開けて弁当や茶を買えた時代が懐かしくもある。

2022年3月2日水曜日

マッカーサーとトルーマン

  朝日新聞の土曜付録 beに政治学者で鉄道史家(何より鉄道ファン)の原武史氏の『歴史のダイヤグラム』と題するコラムが毎週載っている。今週は「列車に乗らないマッカーサー」との見出しで、戦後しばらく天皇以上の存在として日本に君臨したマッカーサーを取りあげている。

 日本での元帥の連合軍最高司令官の任期はほぼ私の中学から高校前半にあたり、原氏によると在日中鉄道を利用したことはなかったという。昭和天皇の方が日比谷の司令部を訪ねたとの指摘に当時の日米関係が読み取れる。

 まさに日本に君臨したマッカーサーが、不服従との理由でトルーマン大統領に突如解任されたとき、文民優位とはこういうことかと日本中が驚いた。元帥の帰国時には沿道に二十数万人が別れを惜しんだ?が、帰国途中に「日本人の精神年齢は十二歳」と語ったと報じられ、人気は一気に衰えた。実は同じ戦争犯罪でもドイツ人ほど悪質ではないという意味での発言だったのだが。

 本国でも人気絶頂だったマッカーサーをあっさり解任したトルーマン大統領はルーズベルトの突然死で副大統領から昇格した地味な大統領で、再選はないと予想した米国の某紙が選挙後共和党候補当選と早とちりして報道したことでも知られる。しかし、北朝鮮の攻撃で始まった朝鮮戦争に際し直ちに韓国への派兵を決断し、非凡さを見せた。

 30年ほど前、私たち夫婦は米国勤務の旧友に勧められラスベガスのショーを見物した。椅子が6脚の小部屋に当初は新婚?の日本人夫婦と4人だったがすぐ米国人の老夫婦が加わった。同室者がアジア人ばかりと知り米国人夫婦は失望を面に出した。しかし、彼らの故郷がミズーリ州インディペンデンスと知りトルーマンの故郷ではないかと返事したら一転喜色満面となり、話が弾んだ。ニューヨークを訪ねたことがないとのことで、同地やベニスなど世界の名所の模造品を内心馬鹿にしていた私は自分を恥じた。別れに際して2度も3度も感謝された。職業上の知識が実生活で役に立った稀な機会だった!そ