2021年12月30日木曜日

私の2021年回顧

  多彩(多難?)だった2021年も残すところ一日となった。 振り返ってみると私にとってはコロナ禍と東京オリンピック・パラリンピックと大谷翔平の活躍が記憶に残る年となりそうだ。

 前年から続くコロナウイルスとの闘いは未だ総括の時期ではないかもしれない。幸い高齢者の特権で6月初旬までに夫婦とも2回のワクチン注射を受けることができたが、夕方のテレビで今日の感染者数を確認するのが現在も続く習いとなった。幸いコロナ禍は他の先進諸国と比べても軽症で済んできたが、その理由はハッキリしないまま。島国で国を閉ざしやすいこと、従順な国民性などいろいろ考えられるが、どれも決定的な理由とは思えない。菅内閣の対策遅れへの批判も多く聞かれたが、福島原発事故の際の菅直人(こちらはカン)内閣の慌てぶりと同様、全く予想外(スペイン風邪から百年)とあれば対処に戸惑うのは無理もない。

 そうした状況下でのオリンピック開催に反対や疑念の声が高まったのは自然だが、観客ゼロやバブル方式(選手団の厳重な隔離)となどの対策のおかげか、結果論ぽくなるが開催は間違ってなかったと思う。現在のオリンピックの巨大化、商業化へのブレーキはパリ大会までの大きな課題として残るが。

 米国のプロ野球界での大谷翔平選手の投打盗の三重の大活躍は野球ファンの日本人としてこころ躍るし、彼の野球への真摯な姿勢がコロナウイルスの中国起源を宣伝したトランプ以来のアジア人への一部の米国人の敵意を緩和する効果は小さくなかったのではないか。一個人の活躍の効果として抜群だったと思う。来年も今年に劣らない活躍を期待するのはファンの身勝手とは思うが、そうでないとしても今年の彼の活躍は米国プロ野球史に燦然と輝く。

2021年12月25日土曜日

死刑廃止論者の不思議な沈黙

 大阪市の精神科医のクリニックが放火され、医師や看護師を含めてほぼ全員が死亡した事件がメディアに連日取り上げられている。自殺希望者によるか否かは別とし京都アニメーション社への放火事件をはじめ大量の巻き添えの死者を生んだ事件が絶えない。
 今朝の朝日新聞に「死刑 その現実」と題する三人の識者の死刑制度への発言が載っている。しかし、死刑を是認する一人を含めて絞首刑という方法や告知時期への疑問を指摘するだけで(私も現行の絞首による刑執行には反対)で、死刑そのものの是非は論じられていない。
 現代の日本には日弁連会長をはじめ死刑廃止論者は多いと聞くのに、なぜこの機会に彼らはだんまりを決め込むのか。メディアが今は時期が悪いと「忖度」してかれらに発言を求めないからか? それとも彼ら自身が時期が悪いとして発言したがらないのか。彼らの廃止論はその程度のものなのか。
 私は身内や知人が今回のように何ら正当な理由もなく殺害されたら当然に死刑を望む。それ無くして正義は回復されないと思うから。極言すれば、国家が義務を果たさない場合、近親者による私的報復さえあり得る。
 昨日あたり死刑囚3人が刑を執行されたが、死刑囚は200人前後?もいる由。そのこと自体、速やかな刑の執行を定める法律に違反していると聞く。国家が明白な法律違反を重ねて良いとは言えまい。

2021年12月21日火曜日

人口激減の韓国

  私が中高生だった頃でも正規の学校教育以外のいわゆる家庭教師やピアノを始めとする習い事は皆無ではなかったが、現代日本の学習塾や習い事の盛況ぶりは老人の予想を超えているようだ。しかし、お隣の韓国の大学入試や企業入社のための競争は日本のレベルではないとも漏れ聞いていた。その結果韓国では経済事情と子供の将来とを考慮して出生率が異常に低いとも。

 NHK BS1の「ママにならないことにしました。韓国ソウル出生率0.64の衝撃」(12月19日)を見た。それにより、「反出生主義」や「非婚」の原因は単純ではないと知った。番組によると韓国の出生率は0.84、ソウルなら0.64 (日本は1.34)。 2以下なら人口は減少するし、韓国の人口は2100年には半減。2750年にはゼロになる。それでも反出生主義や非婚が増加するのは現政権の下でソウルのマンション価格が倍増という経済的理由もあるが、1)「自分を磨くこと」を優先、2)「子どもが幸せになれない社会」への失望 も大きいという。

 1)は、育児退職を迫られたり、弁護士のようなハイクラスの職業人でも出産と育児の数年間の空白は不本意だし、2)は、現代日本以上の競争社会への反発や失望があるという。しかし、孫の誕生を望む両親の失望、とりわけ儒教道徳の残る地方の両親の反対を押し切るばかりでなく、子を持ちたい夫君の反対も乗り越えて0.84や0.64という低い出生率が記録されているとは..........。我韓国女性の強さが印象的である。我が国の女性もやがて韓国女性の後を追うのだろうか。

2021年12月19日日曜日

欧米化と孤独

  多摩市(当時は町)に私が住み始めたころ駅周辺にスーパーは無く、日常の食材調達は八百屋、肴屋、肉屋でなされた。そのため家人が店主らと顔見知りになることが多かった(とりわけ肴屋は我が娘の同級生の家だった)。 しかし数年後駅前に電鐵系のスーパーが開業し、食品の個人商店はほぼ消滅した。客がスーパーの店員と顔見知りになることはほぼ皆無。いまや支払いも精算機相手となりつつある。人間関係はいやでも希薄になった。

 近年、1ページ全面の新聞広告が多くなったが、コロナ禍と関連するかどうか食品とくに生鮮食料品の広告がその仲間入りをしつつあり、今朝の全国紙はほぼ3ページが魚類を中心とする食料品の広告だった(『朝日』は3ページ半)。最近の冷蔵輸送技術の進歩が可能にしたのだろう。しかしそれによりスーパーへの行き帰りの途中に多少でもあった隣人同士の会話も、便利さと引き換えに減る筈。スポーツジムの隆盛と食品入手の多様化とは無関係ではないかも?

 英国では最近、孤独担当大臣が創設され、我が国も後を追っているらしい。西欧諸国では我が国よりも一歩も二歩も先に個人主義が伸長した。しかしその結果、孤独な老人が増え、その隙間を犬や猫が埋めた。日本女性の憧れのパリは路上に犬のフンが多く、回収のためのスクーター隊もいた(最近は知らない)。  我が国でも犬を連れた人と行き交う機会が多くなった。日本人はフランス人より行儀が良いのでまさか糞回収のスクーター隊は出現しないと見るが............。 

2021年12月12日日曜日

日本アカデミー賞受賞作品群への私の独断と偏見評

 昨日の朝日新聞の土曜版be on saturdayには過去44年間の日本アカデミー賞最優秀賞作品群への読者の人気投票ベストテンの結果が載っている。第7位の『舟を編む』と第9位の『新聞記者』は私は見ていない。
 第1位はこの賞が始まった第1回に受賞した『幸福の黄色いハンカチ』である。米国のポップミュージックの翻案とのことだが、主人公の高倉健と、武田鉄矢と桃井かおりの現代風の若いカップルの対比が絶妙だった。第2位はスタジオジブリの『千と千尋の神隠し』。記憶は定かではないが、同じジブリ作品なら『もののけ姫』の方が私には印象が深い。第3位の『おくりびと』は納棺師という特異な職業の人たちに光を当てたことが興味を引いたし、本木雅弘も好演だった。
 第4位『ALWAYS 三丁目の夕日』は高度成長期が始まるころの東京の下町の姿が良く描かれ、『ああ 上野駅』の歌詞が描く東北出身の中卒の少年少女の姿と重なり、私なら第一位に推したい。第5位の『万引き家族』は同年?の米国アカデミー賞受賞作の韓国映画『パラサイト 半地下家族』がハラハラドキドキの連続なのに対し、同じ小悪人を描くにも対称的な抑制された描写。どちらが良いというよりも一衣帯水の隣国との相違が印象的だった。
 第6位の『鉄道員(ぽっぽや)』は実直そのものの鉄道員高倉健と娘の広末涼子の物語で、浅田次郎の直木賞受賞作を巧みに映像化し好印象を残す。
 第8位の『マルサの女』は伊丹十三監督の作品らしく、娯楽性満点の作品で好き嫌いは分かれるかもしれない。第10位の『Shall we ダンス?』は怪優竹中直人の魅力いっぱいの作品。それを引き出した周防正行の腕前は特筆に値する。

2021年12月6日月曜日

ギリシア旅行の思い出

 昨夕、民放テレビ(TBS)で「世界遺産 2015米の山頂に天空ピラミッド」という30分番組を見た。番組表では国名は分からなかったが、現在のトルコのアナトリア高原のとある山頂に細石を数十メートル積み上げたピラミッド状の墓があり、その麓にギリシャ風でもありペルシャ風でもあり両国文化の融合を示す石像が三つ四つ並んでいる。私の貧弱な古代史の知識ではギリシャとペルシャはマラソンの起源でも知られるペルシャ戦争やアレクサンダー大王による後者の滅亡など対立抗争の側面しか知らなかったが、交流や融合の側面もあったと知らされた。

 ギリシャを訪ねたことは某社のツアー利用の一度しかないが、アテネやオリンピアや神託で知られるデルフォイなどの遺跡群や第一回近代オリンピックの競技場など興味満点のツアーだった。丁度元ゼミ生(大学院は専門家がいる他大学)がアテネ大学に留学中(それもこの期にギリシャ旅行を選んだ理由の一つ)で、現地の日本人ガイドは彼女の友人(駐在員夫人?)だった。お陰でペルシャ戦争でスパルタ軍が勇戦全滅して知られるテルモピレーという地名は温水が出る門という意味(英語の体温計と同じ語源)など教えていただいた。

 しかし、私が西洋史の教師で友人の旧師ということで神経過敏にもなっていたようで、ソクラテスの言葉として有名な「汝自身を知れ」が元はギリシャの先哲タレスの言葉との説もあると私がうっかり口にしたら居合わせたギリシャ人の大学生を証人に立ててきた(ギリシャ人だからといって誰でも知っているわけではなかった)。 北部のメテオラ遺跡(絶壁の上に修道院。最近テレビコマーシャルにも)で、彼女が「皆さん、この絶壁をどうやって登って修道院を開いたか分かりますか」と問いかけた。どう工夫したか、その方法を尋ねているとは予想できたが、からかい心から「よじ登った」と答えたらまたまた彼女はキッとなった。あとで元ゼミ生に私のことをどう酷評したかは聞き漏らした!

 

2021年12月2日木曜日

印象操作の見本?

  数日前から、国民に結局配られなかったマスクが一億枚近く(8272万枚)残っているとの報道を見かけていたが、昨日報道機関に現物が公開され、新聞各紙に写真入りで報道されている。ところが内容が甚だしくミスリーディングな社もある。

 代表的なのは『東京新聞』で2ページにわたり「在庫なお8000万枚 保管費用6億円超 さまようアベノマスク」「もう捨てるしかない 『税金の無駄 責任取れ』」との見出しで、その激しさに驚いた。『朝日』は夕刊に小さめの記事(朝刊で他紙に後れをとったから?)だが写真入りで、「アベノマスク 倉庫に山積み 布マスク10万箱 使われぬまま」との見出しで報じている。

 両紙ともこの記事では8272万枚が全てアベノマスクだと受け取る人が大多数だろう。しかし、同日の『毎日』によればアベノマスクは405万枚。全体の5%だった。まさか安倍政権時代に配られたマスクはすべてアベノマスクと呼ぼうというのだろうか。配られた当時その貧弱さを指摘していたのに。

 じつは我が家もアベノマスク(真の!)が未使用で残っている。別のマスクとほぼ同時に入手したのでより大型のものを優先使用したので。

 最初にマスクの残存が封じられたとき、予備と考えれば1億3000万人に8000万枚は大きな数ではないと思った。オミクロン株が大問題となった現在、一層そう思う。なによりマスク2種が配布されるまでの当時の不安感は忘れられない。