2021年11月27日土曜日

放置自転車と『自転車泥棒』

  昨日の夕刊(『朝日』)の第一面に、「放置自転車 職人がアシスト」との見出しで、国内で撤去される放置自転車年間100万台超の再生の試みが紹介されている。自転車の価値がそれほど低下しているとは............。

 またまた古い話になるが、 戦争直後のイタリア映画はネオ・リアリスモと総称される一群の作品を生み、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』やヴィットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』は一世を風靡した。なかでも後者は、仕事に必要な自転車を盗まれた主人公が追い詰められた挙句、他人の自転車をぬすむが、幼い息子の面前で警官に逮捕されるという衝撃的な映画だった。

 それ以後わたしはデ・シーカ監督のファンとなり、『ミラノの奇蹟』(1951)、『終着駅』(1953)、『ひまわり』(1970)などの作品を見たし、1966年の最初の大陸旅行で映画の舞台となったミラノの大聖堂( ドゥオーモ)の屋根を歩いた。

 その後のイタリア映画はフェデリコ・フェリーニ監督の難解で独りよがりの?映画が主流になった。そうした傾向に対して映画は大衆に理解されるものであるべきだと考えたデ・シーカの『ひまわり』は、第二次世界大戦に翻弄されたイタリア人夫婦の物語で、ヨーロッパ現代史を教える私にはヘンリー・マンシーニ作の主題曲とともに忘れられない映画となった。

 放置自転車の話題から大きく外れてしまったが、自転車を粗末に扱う人たちに生活のため一台の自転車を盗んだ時代のことを知ってほしいとの願いは、お節介と思われても失いたくない。


2021年11月22日月曜日

「民族(人民)解放戦線の詩と真実

  今日の『朝日新聞』にニカラグアが米州機構(OAS)から脱退するとのニュースが載っている。同国のオルテガ大統領が5選をめざして対立候補を拘束・軟禁しているとの理由でOASが大統領を批判したためという。

 もう記憶している人は少ないだろうが、1960年代後半から当時の独裁者ソモサに武力抵抗する「サンディニスタ解放戦線」の主要人物として知られた。その人物がみずからの政権の延命のため強権に頼るとは.........。

 オルテガ氏が当初は民主主義を求めて闘った人物であることを否定しない。しかし、現在は自身が強権政治家となっている。そうした例はこの半世紀枚挙にいとまがない。なにより現在の中国の独裁政権を支えているのは「人民解放軍」である事が想起される。当時は「人民から針一本奪わない」と喧伝されたのだが。

 多くの「解放戦線」の中には当初から「人民解放」など口実に過ぎなかった場合が少なくないだろう。しかし、当初どんなに真剣に「人民解放」をめざしたとしても、言論の自由や法の支配を軽視すれば最後には人民を抑圧する体制になることは歴史が示しているのではないか。名は実をあらわすとは限らない。


 訂正 前回のブログで「英国とフランスとくに前者で」としたのは「とくに後者で」の誤り。フランスは万国博のたびにエッフェル塔、グランパレ、プティパレ、アレクサンドル3世橋などをつくりパリを美化してきた。

2021年11月19日金曜日

都市の変貌にとまどう

  先週末、およそ半年ぶりに都心を訪れた。新宿駅西口の超高層ビル街の一つで年下の友人たちと計4人で昼食をとったのである。新宿が久し振りなのだから超高層ビルはさらに久し振り。少なくとも前回から十年ぶりでは無いか。

 何しろ超高層ビルが四つか五つの時代しか確かな記憶はないので、Nビル内の某店ということだけで電話番号もメモせずに出かけた。しかし、新宿駅から西に歩き出したら新しい奇抜な外見のビルなど初めて見るビルがいくつかあり、Nビルがどれなのか駅近くまで出直して地図で確認するほかなかった。記憶が間違いだったらと思ったら不安に襲われ、東京が怪物のように思えてきた。

 シンガポールが多くの観光客を惹きつける観光都市に発展したように、今は都市間競争の時代とか。ロンドン・オリンピック後の同地を私は見ていないが、それを機会にイーストエンドと呼ばれた東部を再開発したと聞く。そもそもパリとロンドン、とくに後者は過去の万国博に際して建てたいくつかの施設は今も世界から人を集めている。少し考えれば我が国も東京や大阪や札幌や長野など同じ道を歩んできた。私のような老骨はせめて古いものも残して欲しいと願うばかりである。


2021年11月11日木曜日

結婚披露宴の賓客??

 瀬戸内寂聴さんが亡くなった。最近まで作家、僧侶、講演者として活躍されていたので九十九歳で死去とは信じられないほどである。

 氏がまだ瀬戸内晴美だったころ私は学生の結婚披露宴でお会いした事がある。新郎は大手商社の社員だったが実家の関係か比叡山で本格的に修行したことがあり、瀬戸内氏とは修行仲間だった。したがって元来の話し上手も加わり氏のスピーチは内容豊かで楽しいものだった。それに対し新婦は米国史専攻でゼミ生ではなく、話すべきエピソードもゼロ。まことにつまらないスピーチしか出来なかった。瀬戸内氏からは今どきの母校の教師はこの程度かと思われたかと思うと、うっかり出席を承諾した自分が腹立たしかった。

 我々教師は恩師と言うことで通常スピーチの順番は早い。しかしあるときの婚儀では新郎と新婦はそれぞれ県都と第二の都市の出身だったので双方の国会議員や名士たちのスピーチが先行した。それ故に気楽だったが、航空料金を払って私を呼ぶ価値が果たしてあったのか?

 別のケースでは新婦はわが大学の同僚の元ゼミ生だった(古参の彼は大学紛争の渦中で出席できず)が、私が出席したのは新郎の高校時代の恩師としてだった。当人とは授業以外にも山岳部の顧問と部員として特別に親しかったので話題には事欠かなかった。しかし、彼の級友の某君は一度立てば必ず満座を爆笑させるスピーチの名手だった。私がとても勝てる相手では無かった。日ごろ冗談ばかり飛ばしている彼が後年、某省の事務次官になるとは予想できなかった。官界は意外に懐の深いところだと認識を改めた。

2021年11月8日月曜日

訂正  前回、ロンダ渓谷訪問を60年後としたのは10余年後の誤り。ご海容を!

『わが谷は緑なりき』再見

 1941年度の米国のアカデミー賞作品賞を受賞したジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』を六十余年ぶりに録画 (10月26日放映)で再見した。ジョン・フォードと言えば『駅馬車』などの西部劇で有名だが、この作品は英国の南ウェールズのロンダ渓谷の小炭鉱の労働者一家を描いた作品で、 戦後間も無く我が国で公開された。

 主人公の少年は男5人、女2人の兄弟姉妹の歳の離れた末っ子に生まれた。時代ははっきりしないが、ビクトリア女王存命中なので十九世紀末か。敬虔なキリスト教徒の両親は労働組合員の兄たちと意見が合わない。やがて不景気の時期となり、炭鉱主の賃金引き下げに反対して労働者たちはストライキに訴えるが敗北し、兄弟4人はそれぞれ米国やカナダやニュージーランドなどに去る。

 少年は当時の労働者の子弟としては珍しく小学校に通うが、卒業後は父と同じく炭鉱夫となる。やがて炭鉱火災があり父親は死ぬ。時代の大波に流された一家を描いたこの作品に感動した私は、映画に続いて邦訳された『わが谷は緑なりき』を読んだし、およそ60年後ロンダ渓谷の現地を訪ねた。道路に沿って立つ炭鉱夫たちの住宅は映画のセットほど古めかしくはなかったが、いまは人影もまばらで時代の変化を感じさせた。それでも作家となった主人公のおかげでロンダ渓谷の名は多少とも世界に知られるようになった。

 坑内の描写は事故を除けば映画は映していなかったが、昨年出た岩波新書の『ジョージ・オーウェル』によると、英国北部の炭鉱の調査に携わった際、採炭現場までの2キロの坑道は120センチほどの高さしか無かった。どこの炭鉱もそうだったかは断定できないが.........。

P.S. 前々回の『自由を我等に』の主題歌の出だしは「我らの願いは自由よ」としたが、多分記憶違いで「我らの命は自由よ」が正しい。確認するにはDVDでも借りなければならないが?

2021年11月3日水曜日

一方的決めつけはいただけない

  11月3日といえば文化の日と記憶していたが、今年は日本国憲法公布75年に当たるというので朝日新聞は「憲法公布75年 学術・研究取り巻く危うさ」と題する社説を載せている。「危うさ」の具体例二つの一つは学術会議の委員任命問題だが、もう一つは新型コロナ禍への政府の対応である。後者が学術・研究を取り巻く問題性の具体例と言われると戸惑うが、社説によると政府が科学者たちの提言を「つまみ食い」し、「自らの施策に役立つものは採り入れ、そうでないものには耳を貸さないという、政治のご都合主義」が問題とのこと。その例として「唐突な一斉休校、Go To事業の強行、緊急事態宣言下での五輪の開催」が挙げられている。しかし、公正な批判と言えるだろうか?

 「一斉休校」はたしかに唐突な印象があった。しかし、当時はウイルス拡大防止は急務と考えられた。教育評論家の尾木ママは教室に何十人もの児童や生徒が閉じこもることの危険を訴えていた。その後になって年少者の危険はそれほどでないと判明したが、批判は結果論に過ぎない。

 GoTo事業が一時的であれ地方の観光関連業にとって救いだったことは事実だろう。制度導入に際し業界の後ろ盾だった二階氏が暗躍したことは推測されるが、都会人の感覚だけで判断すべきでないと当時わたしは指摘した。

 「緊急事態下での五輪の開催」に多くの問題があったことは指摘の通りである。私も当時ブログにさらに一年の延期が望ましいと書いた。しかし、そうなると同一年に冬期と夏季の二つの五輪が開催されることになり、中国は猛反対しただろうし、我が国より感染者が一桁も多い国々からどう思われたろうか。自分から誘致しながらその程度で中止要請とは身勝手と映ったろう。当時、他紙の多くが開催への疑問を並べ立てるだけなのに『朝日』が開催中止を主張したことは一つの見識だと私は評価しているが、その判断が正しかったかは別問題である。『走れメロス』が我々の心に響くのは約束を守り切ったことの尊さではないか。

2021年11月1日月曜日

総選挙の結果は?

  衆院選が終わり結果が明らかとなった。しかし自民敗北説 (『毎日』)と善戦説(『産経』)があるようにその評価は難しい。 自民党は当選者を減らしたが減少幅は1割にも達せず、敗北は言い過ぎだろう。維新の会は今は与党視されないが、その政策は与党とかなり重なるので政府はホッとしているのでは。有権者は自分たちを甘く見た甘利自民党幹事長を許さなかったが、党そのものには厳しくなかった。

 立憲民主党は共産党との選挙協力を取り付けたことで一時はかなり有力視されたが、共産党とともに微減という思いがけない結果になった。両党の選挙協力で得たものは少なくなかったとしても、逆にこれまでの支持層 ( 労組の「連合」を含めて)が一部離反したのだろう。先を読むことは本当に難しい。

 今後の自民党に多少とも期待することがあるとすれば、岸田首相が自民党のピンチを乗り切ったことで安倍、麻生といった厄介な派閥領袖の影響力からある程度自由になったではないかということ。希望的観測かもしれないが.............。