合理主義者というべきか、フランス人は理屈として正しいとなれば果敢にその考えを実践する。フランス革命で「自由 平等 友愛」を高らかに宣言したからには王政などという中途半端な政体にとどまれない。国王夫妻をギロチンにかけ共和政を採用した。
しかし、「第一共和政」と呼ばれたその政体は続かず、ナポレオン帝政、ブルボン王政復活、オルレアン王政、短い第二共和政ののちナポレオン3世の帝政と、(第三)共和政の確立まで数十年を要した。その後もカトリック教会と共和政府の間に紛争は続いた。そうした歴史からフランスの政教分離はヨーロッパの他国に比しても徹底している。
五年前、週刊の『シャルリ・エブド』がイスラム教の教祖ムハンマドを徹底的に戯画化してイスラム原理主義者の怒りを買い、襲撃されたことは記憶に新しいが、フランスでは官民挙げて表現の自由を擁護した。さらに最近、表現の自由をテーマとする授業で上記の風刺画を使用した学校教師が一匹狼の原理主義者に惨殺されると、マクロン大統領が「表現の自由は誹謗の自由を含む」と語った。
今朝の毎日新聞に、「エルドアン氏の風刺画に猛抗議」との見出しでシャルリ・エブド』がトルコの大統領を題材にした風刺画では、下着姿のエルドアン氏がスカーフをかぶったイスラム教徒と見られる女性のスカートをめくる様子が描かれている」とのこと。宗教の開祖とはいえ歴史上の人物でもあるムハンマドと異なり今回は他国の現職大統領であり、しかもあまりに品位を欠く。私はエルドアン氏の政治姿勢に好感を持たず、むしろ危険人物と考えている。しかし、風刺の自由は大切だが、そこに限界はないのだろうか。
2020年10月29日木曜日
2020年10月25日日曜日
首脳外交の重要性
昨日の朝日新聞の書評欄にゴルバチョフの新著『変わりゆく世界の中で』( 朝日新聞出版 )を保坂正康氏が紹介している。私は原著を読んでいないが、東西冷戦を終わらせた当事者たちの決断の裏面史であり、首脳相互間の信頼がいかに重要かを語っている。
終わってみれば必然のようにも映るだろうが、1990年頃までの東西冷戦は激しかった。朝鮮戦争やベトナム戦争を想起すれば冷戦とさえ呼べるかどうか。中でもソ連のミサイルがカストロ指導下のキューバに密かに導入されかけ米国の艦船が阻止線を張ったキューバ・ミサイル危機はついに米ソの軍事衝突が不可避かと世界を震え上がらせた。
そうした東西冷戦を終わらせた最大の要因はソ連側のゴルバチョフの登場だったが、西側ではサッチャー英首相とレーガン米大統領の柔軟な対応だった。書評には言及がないが、西側首脳として最初にゴルバチョフと会談したサッチャーはレーガンにゴルバチョフは信頼に値する人物だと伝えた。そのためアイスランドでのゴルバチョフとの最初の出会いのときレーガンは過度の警戒心を持たなかった。
世界は幸運にも互いに共感できる三人の指導者 ( とレーガンと交代したブッシュ ( 父 )大統領 )を同時に持っていたのである。残念ながらその幸運は長続きしなかった。ただ独り生存しているゴルバチョフは現在のロシアでは全く評価されていない。彼の現在の心境は「預言者故郷に容れられず」そのものだろう。それでも冷戦終結に彼の果たした功績は不滅と言っても過言ではない。
N.B. 前回のブログは新しいiPadに私が不慣れなためか、行間が詰まったものになった。そのため今回は取り敢えず旧機種を使って様子を見ることにした。適応能力の不足は自認するしかない!
2020年10月21日水曜日
芸術作品並みの果物
NHK教育テレビの『美の壺』は毎日曜日、進行役の草刈正雄のとぼけた登場に始まり、通常の芸術上の美に当てはまらぬ日常生活上の美にまで光を当てる番組で、毎週楽しみにされる方も少なく無いだろう。草刈のとぼけ振りも含めて私は毎週では無いが録画して楽しんでいる。
最近の回(10月18日)は「秋をまるごと 柿」というタイトルで、銘柄品の生柿や干し柿の紹介に始まり、柿の葉寿司や柿渋を利用した布(渋い!)や柿の大木の幹に稀に発生する黒い縞模様(黒柿)を取り込んだ器などまで紹介されていた。それぞれに興味はあり、作り手のこだわりに感じ入ったが、銘柄品の柿や干し柿に縁の薄い我が家として多少の違和感も感じた。
柿は一例に過ぎないがリンゴや梨や桃や葡萄など、最近の果物の大きさや見た目の美しさは目覚ましいが、価格も気楽に買い求める水準ではなくなってきた。摘花の結果、リンゴも梨も老人には一人一個を食するには難しいほど大きいし、桃なども表面の生毛まで完璧に残されている。
アジアを中心に海外では日本の果物は高級品として人気が高いと聞く。喜ばしい限りだが、はるばる海外から運ばれたバナナが一房百円余りで売られているのを見ると、この差は何なんだと言いたくもなる。自由主義経済のもと、嫌なら食わなければいいだけの事なのか。晩春から初夏の食べ物だった苺はもうその頃には店頭に無く、クリスマスの頃が収穫期になった。私という人間はつむじ曲がりなのか(今ごろ何を?)。
2020年10月16日金曜日
北朝鮮の変化??
どのメディアだったかは忘れたが、先日の北朝鮮成立75周年記念の式典での金正恩首席の演説などから鳩山由紀夫元総理が、北朝鮮は良い方向に変わりつつあると評してSNSなどでボロクソに評されていると知った。私は鳩山氏の首相時代を思い出すだに腹立たしいし、人柄も大嫌いだ。しかし伝えられる今回の彼の発言を頭から否定する気はない。私も若しかするととは淡い期待を抱くから。
新聞やテレビで金首席が国民の期待を裏切ったと涙ながらに演説した。単なる演技かもしれないし、それほどに現在の北朝鮮の経済は悪いのかもしれない。しかし、祖父や父が国民に謝罪したとは聞いたことがない。
最近のフジテレビは午後8時からの『プライムニュース』の前に30分の前座のような『プライムラインTODAY』を加えた。初めて見た今夜は自社の朝鮮半島専門家の鴨下ひろみ報道センター室長がゲスト発言者だった。氏は式典から窺える北朝鮮の変化として、1) 首席のネクタイ、スーツ姿、2) 米国式国旗掲揚、3) 米国式「愛国歌」独唱、4) 米国式の「国旗」へのキス、5) キーパーソンは妹の金与生、の5点を挙げ、式全体が米国を意識した演出で為されたと指摘した。
私は近年に国家指導者となった習近平首席と金正恩首席に期待しこれまで出来るだけ好意的に評価するよう努めてきた。前者については最早期待を持たないが、後者に就ては未だ断念したくない。就任以来の実績はむしろひどいものだったが、青少年の一時期をスイスで生活した氏がその影響を全く受けなかったとは思えなかったのである。今回の式典に関しては鴨下氏の挙げる5点以外にも式典を花火とともに夜間挙行したことも同国独特の非人間的マスゲームを避けたかったのではないか。希望的観測であることは承知しているが、そこに変化の兆しを見たいのである。
2020年10月11日日曜日
日本人は日本が大好き!
昨日の朝日新聞の土曜付録beに「生まれ変わったら日本人になりたい?」というアンケートの結果が記事になっている。私には意外な結果だった。
上の質問に対する答えは「はい」が77%、「いいえ」が23%とのこと。どの国でもいろいろ不満はあっても正面きって聞かれれば「はい」が多いのか。それにしても新聞などのメディアが日夜?現状批判の記事を載せている我が国でこの好感度?とは私には驚きだった。「いいえ」の23%の人たちも「日本が好きか」との質問には何と75%が「はい」と答えている。
年齢や性別ごとの記述はないが、最初の質問への「はい」の理由の第一位の「治安、秩序の良さ」が第二位の「四季がある」の倍近く、第三位の「自然が美しい」の三倍もあるのも意外だった。最近の米国の銃器犯罪の多さ、ヨーロッパ諸国の人種間の緊張などを考えれば自然かもしれない。それに対し我が国では高速道のサービスエリアやパーキングエリアはもちろん「道の駅」でも犯罪の恐れなしに車中泊は可能だ。それでも「日本以外で生まれ変われるならどこ?」との質問への答えの第一が僅差でも米国なのは同国の多様な地域差やGAFAに見る先進性が魅力なのか。
「生まれ変わっても日本人に」に「いいえ」と答えた23%の人たちも、「日本という国は好きですか」との質問にはなんと75%が「はい」と答えている。これまでの複数の世論調査では日本の若者が世界でもっとも将来を悲観的に見ているということてはなかったか。合理的説明を超越するのが祖国愛なのか。今ごろ気づいたのかと言われそうだが.........。
2020年10月8日木曜日
日本学術会議のあり方
日本学術会議と菅内閣の間で会員任命をめぐって対立があり、数日を経た現在も収まっていない。巷間の噂では『朝日』『毎日』『東京』各紙が政府批判派、『読売』『産経』『日経』が決定黙認派とのこと。ところが昨日あたりから大西隆前々会長当時から政府の口出しが始まっていたことが判明し、『読売』なども大きく扱うようになった。
今回政府が任命拒否をした6名のうち、加藤陽子氏 ( 日本現代史 ) と宇野重規氏 ( 政治学 ) の両氏については私も研究者として敬意を抱いている ( 他の4名は判断不能 ) 。したがって「総合的、俯瞰的」といった漠然とした反対理由 ( もっとも元来は2003年の報告書中の用語とのこと ) ではなく、より明快な理由が示されるべきである。
戦後すぐ発足した日本学術会議では会員は選挙で選ばれていた。そのせいか、私の専門の歴史学では学問的業績よりも政治的活動に熱心な人が選ばれたりしたようだ。そのためある時点から各分野の学会が選ぶように変更され、さらに現会員が次期委員を推薦するようになったとのこと。現会長がノーベル賞受賞者の梶田隆章氏であることには大方の信頼が寄せられるのでは。
しかし発足時の時代の空気を反映してか会議は軍事目的の技術研究に反対し、最近そのため不満者の脱退騒ぎもあったと記憶する。しかし当時は国民感情に合致していただろうが、現在では自衛隊は法律的にも認められ、国民の支持も厚い。それに対し学術的協力をしてはならないというなら、むしろ学問研究の自由への制限ではなかろうか。
戦争といっても侵略戦争もあればそれに対する防衛戦争もある。ナチスドイツ軍と戦って死んだ英米仏ソの兵士たちは犬死したのではない。これら諸国の学者たちもその学識や語学力を活かして情報分野などで貢献した人は少なくないはず。私が学んだ英国のカレッジの学長は大戦中、ドイツ占領軍へのユーゴスラビアの地下抵抗運動との連絡のため落下傘で潜入した。平和は願うだけで手に入るとは限らないのでは........。
2020年10月5日月曜日
東欧諸国の過去と現在
一昨日は冷戦下で東西に分裂したドイツが30年前に統一を回復した記念日だった ( ベルリンの壁が崩れたのは前年の11月 )。当時の興奮は外国人の私でさえ強かったのだから、東独市民の喜びは半端でなかったろう。なにしろバナナが貴重品。車は我が国の軽自動車より窮屈な ( らしい!) トラバント ( トラビ ) の入手に数年待ちだったのだから当然である。しかし現在の旧東独市民は旧西独市民と比較して所得が低いことに不満を抱き、その一部は過激右翼を支持しているとか。世も人も変われば変わるものである。
統一より少し前の東独を訪ねたことがある。東独航空の主催?で、共産主義下のポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア ( 当時 ) の市民生活を垣間見られるとはヨーロッパ現代史専攻の私にとっては夢のようなツアーだった。その20年ほど前、シベリア鉄道経由で英国から帰国した際、東独を通過したが、東ベルリン ( 動物公園駅 ) ではプラットホームに降りることも許されなかった。
ツアーの訪問先は歴史的文化的に重要な場所ばかりで、共産主義の宣伝じみた事は一切無かった。逆にポーランドでは現地ガイドが、ワルシャワで一番美しい場所はどこか、それはソ連が援助して建てた文化科学宮殿である。なぜなら文化科学宮殿が見えないからと皆を笑わせた ( このブログで紹介済み?) 。どの国でも丁重に案内され、不愉快な事は無かった。東ベルリンではブランデンブルグ門から西ベルリンを望見しただけだったのは仕方が無かった。
間もなく東欧共産圏は崩壊し、各国は政治的自由を回復した。しかし最近、ポーランドやハンガリーなどでは権威主義的政治が一部復活したと聞く。人間は忘れ易い動物なのか。それとも民主主義を実践することは容易でないと言うことか。30年前の歓喜をどうか忘れないでほしい。
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