2020年4月30日木曜日

高級食材の値下がり 是が非か

最近、コロナウイルス騒動のため高級食材 ( ブランド牛、カニなどなど ) が値下がりしていると新聞で読んだ。料亭や高級レストランからの需要が縮小したためだろう。食材価格のあまりの上下差を日頃不快に感じていたので、小気味良ささえ感じないでもなかった。何しろ我が家は数年前、高校教師時代の教え子の年賀状の「お年玉」のおかげでブランド牛肉を食べたが、前回は思い出せなかった。

今朝のテレビニュースで高級食材の常陸牛の生産者の苦境を紹介していた。牛肉価格が2割低下しただけで一頭120万円の売値が20~30万円安くなり、それがそのまま赤字になるとのこと。牛肉、オレンジなどの貿易自由化以来、わが国の畜産農家は多頭化とブランド化で生産を維持してきた。その間の生産者の努力を考えれば価格低下を小気味良いなどと感じてはいけないのだろう。

新聞の平飼いたまごの広告をよく見かけるが、スーパーで買うたまごの数倍の違いがある。かつては鶏卵は牛乳とともに「滋養」のための食材でもあった。その時代を覚えている身には、同一食材のあまりの価格差に好感を持てないが、違いのわからない男の偏見もあろう。生産者の努力が報われ、一般の消費者も何とか手が出せる食材の多様化をそれなりに評価すべきなのだろう。

2020年4月27日月曜日

我が家のコロナ禍

コロナウイルス騒動のおかげで読める新聞はせいぜいニ紙程度だし、テレビはどこの局も同じコロナ禍の話題。まったく無関心でもいられないのでつい見てしまう。時間の浪費のような、そうでないような。

紙面で一番に視線が向かうのはやはり東京都、日本全国、諸外国の順で感染者数と死者数。ようやく昨日は東京の感染者数が百人を切ったと喜んだら、休日のため検査数自体が少なかった可能性があるとの専門家の指摘にがっくり。20年ほど前の春の連休、伊豆の旅先で持病の胆嚢炎が再発し一週間ほど入院。共に惜しむ「近江の人」もなく行く春を空しく見送った年の今年は再来か? 家族に発病者や医療関係者のいる人から見れば何を気楽なと叱られそうだが.......。

ヨーロッパや米国の感染者数や死者数と比較すればわが国の対策は成功しているとさえ言えるのだが、今回のウイルスには地域ごとに微妙に違う3種のウイルスがあるとの指摘も目にしたし、単に流行期が遅れている可能性など、まだ断定するには尚早だろう。しかし、医療水準が低くない筈のヨーロッパの現状に対して休業の「要請」程度でわが国がこれまでやって来られたのは凄いとも言える。 善悪は別にしてわが国民の国民性の力とも考えたくなる。

都会のビジネスホテルはともかく、全国の観光地の宿泊施設は現在ほぼ休業中のようだ。これは従順な国民性のためというよりも、数少ない宿泊客からの収入よりも休業補償などに期待したためなのだろう。それにしても長野県は高速道を降りる県外車の乗員への体温測定を始めるという。これも国民性の故なのか、それともやはりコロナ禍が国難だからなのか。

2020年4月20日月曜日

服装は個人の自由だが..........。

テレビの国際ニュース番組でイスラエルのユダヤ教超正統派が取り上げられていた。フロックコート風?の黒い服と山高帽風?の帽子を身につけた彼らは人口の12%を占めるが、女子にも兵役義務のある同国で男女とも兵役を免除されている。テレビやインターネットの利用を許さないばかりか、最近のコロナウイルス関連の規制に従わないため感染者が同派の居住地域に逃げ込む事態まであったという。

イスラエルではネタニヤフ首相が汚職容疑で司法の追求を受けている。他の中東諸国で彼ほどの強力な首相がそうした事態に追い込まれるなど稀だろう。それほどの近代法治国家のイスラエルで超正統派が特権を享受しているとは驚きである。彼らの代表は入閣さえして同国の政治を一層歪めている。

一目で分かるほどの超正統派の服装だが、数年前に第二次大戦前のポーランドの街頭での動画で見て異様な印象を受けたことを今回思い出した。当時、大国ロシアからの独立を成し遂げ新興の意気に燃える同国やバルト三国の国民にはそうした服装は大変目障りだったろう。旧アウシュビッツ収容所のポーランド人の説明員が、ポーランド人も多数収容されていたと妙に強調したのを思い出す。バルト三国はナチス占領時代のユダヤ人抹殺に大変協力的だったと読んだ記憶がある。ポーランドはどうだったのか。

「多文化共生」の声が高い現在、「郷に入れば郷に従え」など口にするのも憚られる。しかし人間性は理想主義者の考えるほど急には変わらない。むろんマジョリティの側の努力は必要である。今回の十万円一律給付案は住民基本台帳を利用するとのことで、外国人も対象と聞く。彼らもわが国の納税者であれば当然の措置でもあろうが、実現すれば思わぬ形での一歩前進ではなかろうか。


2020年4月17日金曜日

全土に緊急事態宣言

昨日、47都道府県すべてに緊急事態宣言が適用されることになった。未だに感染者ゼロの岩手県まで必要かとも思うが、同県だけ除外すれば逆に県民は疎外感を覚えるかも? 

公明党が提案していた全国民一律に10万円給付案もほぼ実現しそうだ。先般の消費税増税時の食料品への税率据え置き提案と同様、同党の大衆迎合は目に余るが、書類提出などの手続きが必要な当初の政府案 ( 30万円案 ) よりは迅速かつ確実でベターと思う。

生活に困らない人にも金銭供与するのはおかしいとの批判は大いにあり得るし、GDP2年分の財政赤字を抱える国家財政をどうするのだとの批判もその通りだ ( 私だって同感 )。しかし、メディアで指摘される1930年代の世界恐慌以来の危機との指摘も今や現実味を帯びてきた。仮にそうなったら配分の不公平性や国家財政の困難も問題にならないほどの混乱となりかねない。今は国民に国家への信頼を抱かせることが優先する。

1930年代の米国発の恐慌はルーズベルト大統領のニューディール政策により米国に関してはある程度克服されたと歴史教科書にもある。それに対し前任者のフーヴァー大統領は、景気回復は角を回った其処まで来ている ( just around the corner )と繰り返しただけの無能な大統領だったとの評価が一般的である。しかし、ニューディールの施策のいくつかは彼が創設したもの。徹底性に欠けたのが彼の失敗の原因だった。

中国でコロナウイルス危機が一応回避されたとは、政府による情報操作の可能性はあるが事実のようだ。自由世界は強権的な体制でなくても回避が可能であると示す必要がある。

2020年4月12日日曜日

コロナウイルス対策の行方

コロナウイルス対策として休業や一時閉鎖を要請する対象施設に関して政府と東京都との協議がまとまり公表された。伝え聞くところでは都知事の側が施設の休業に積極的で、経済への影響を憂慮する政府側が押され気味だったようだ。理容業や美容業など都側の当初の要請項目には行き過ぎと思えるものもあったが ( 私はどうすれば良いのだ!)、パチンコ、バー、カラオケなどの遊興施設への休業拡大や酒場などの営業時間の短縮に都が貢献したとすれば小池都知事はよくやったと言いたい。

米国や南欧諸国の感染者数や死者数と比べれば我が国の数字は驚くほど少ないが、増加傾向にある以上油断は禁物である。「要請」の段階で局面が変われば言うことなしだが、効果が思わしくないなら諸外国のように「禁止」に進むのもやむを得ない。私自身はここ一ヶ月ほど近距離の病院までしか公共交通機関 ( 電車 ) を利用していないが、車内で咳が続いたら白い眼で見られるのは想像するだに不安である。

英国では休業中は給与の80%を政府が給付するなど、ヨーロッパでは休業補償は我が国より寛大なようだ。私も当初日本でも一人10万円とか聞いた時は思わず使い道をあれこれ想像した ( 情けない!)。 しかし銀座のクラブや多数のパチンコ店に休業補償など支払う必要はない。カジノ ( IR )に反対する人たち ( 私もそうだが ) が百万人単位の賭博依存症患者を生んでいるパチンコを問題視しないのは不思議である。

2020年4月9日木曜日

緊急事態宣言の発令

政府や都の意向には逆らえず、今日から日野市の図書館もついに図書の返還業務以外は閉鎖になった。感染者ゼロの多摩市の図書館が2週間ほど前から椅子利用の禁止、1週間ほど前から図書返却以外は利用禁止だったのに、数名の感染者を出していた日野市の図書館はまったく平常通りの利用方法だった。今日まで頑張った館員たちには心から感謝したい。

新聞も読めないなら旅行をと言いたいところだがどうなのか。我が家はこのところほとんど毎年、東北地方の春を楽しんでいた ( 一泊や二泊の駆け足旅行を大げさな!) 。震災後の東北を応援したいという気持ちもいくらかは混じっていたが、今年の同地の旅館は東京からの宿泊客を歓迎するだろうか? 生活のためもあり内心では歓迎されるのではとも思う一方、逆のようにも思える。

毎年の今ごろ、大田区在住の友人がドライブを兼ね多摩市の桜を見に来ていたのだが、今年は御免こうむりたいという。40名ほどの感染者を出している大田区のような区部の住民と、ゼロの多摩市の住民とではコロナウイルスに対する警戒心が違うようで、東北旅行など歓迎されるはずがないと言われた。今こそ、「寂しさの果てなむ国」を訪れたいと思うのはおかしいのか!

緊急事態宣言による大都市の義務教育や高校の授業が中断されるのを心配する声が挙げられている。しかし、1ヶ月程度の遅れなら夏休みを利用して回復することも可能だし、大都市と地方の教育格差を考えれば望ましくはないにしてもそれほど騒ぐことなのかと疎開世代は考えてしまう!

2020年4月4日土曜日

古関裕而の時代

作曲家古関裕而がモデルであるNHKの朝ドラ『エール』が始まった。主人公は未だ小学生だが、受け持ちの先生に音楽の才能を発見されたことになっている。その真偽は私には確かめようがない。

昭和ひとけた生まれの日本人には古関裕而作曲の数々の歌は忘れようにも忘れられないほど心に残っているのではないか。『暁に祈る』『露営の歌』をはじめとする彼の戦時歌謡=軍歌は従軍兵士にも好まれたと聞くように、どこか哀調を帯びており、戦意を鼓舞するものでは必ずしもなかった。

それでも戦後、彼は戦時中の作曲活動に忸怩たるものを感じていただろう。『長崎の鐘』にはその気持ちが込められているように感じる。その他、『君の名は』のテーマ曲や『オリンピック・マーチ』など数々の記憶に残る曲を彼は残した。私自身は夏の甲子園野球大会の歌『栄冠は君に輝く』が一番の好みである。

これ迄の朝ドラ同様、福島市内の「古関裕而記念館」に多くのひとが訪れることになるだろうか。私は2年前同館を訪れた。しかし、画家の記念館はふつう多くの作品を展示しているのに対し、作曲家のそれは遺品や楽譜などの展示が主で、千葉県の御宿の『月の砂漠』記念館のように単一の曲の場合はともかく、それほど感興を呼ぶものではなかった。

それはともかく、古関裕而は昭和の音楽界に巨きな足跡を残したひとであり、私も今後の毎朝の『エール』を欠かさず観ることになるだろう。