2020年2月27日木曜日

韓国映画『パラサイト・半地下の家族』

韓国映画がカンヌ映画祭の最高賞パルムドールを受賞したばかりか、外国映画として初めて米国のアカデミー賞作品賞を受賞した。立派としか評しようがないが、洩れ聞くストーリーはかなり過激らしいので躊躇したい気持ちもあった。しかしこれほど高く評価された作品を見逃したくはないので上映最終日の今日近所のシネコンで見た。平日の午前なので観客は十人ほどだった。

これから観る人のため筋書きは明らかにしないが、途中で退場したくなる時もあった。同じく一家で犯罪を犯す『万引き家族』( 同じくパルムドール賞受賞 ) が心温まる?家族愛を描いたのに対し、『パラサイト』は同じく家族愛を描いていてもハラハラドキドキの末の殺人で終わる。

私は『冬のソナタ』のファンであり、聖地巡りまでした。当時の韓国ツアーに春川や南胎島が組み込まれていたからだが、けっこう楽しんだ。しかし、次の『チャングム』で女主人公がこれでもかこれでもかばかり不運に見舞われるのに辟易して途中から見なくなり、以後の韓国ドラマは一つも見ていない。

『パラサイト』が韓国における甚だしい貧富の差を告発する意図を有するということなら、みごとにその意図は実現しており、しかも世界から高く評価された。その上何を望むかと言われそうだが、「そこまでやるか!」と『チャングム』に感じた私の違和感は良くも悪くも国民性の違いだったのだろう。ともあれ、「受賞おめでとう」は欠かせない。

2020年2月24日月曜日

ウイルス禍への対処方法は?

コロナウイルス被害の拡大は世界全体でもわが国でも未だ終息には遠いようだ。それとともにメディアではクルーズ船からの下船禁止措置 ( 船内への閉じ込め ) への批判が高まっている。 結果として下船禁止が逆に船内のウイルス罹患者の増加を招いたことは事実だろう。しかしそれが国全体へのウイルス拡大を阻止した面もあったかもしれない。未だ結論は出ていない。

メディアでは米国など外国からの批判が紹介されている。しかし外国と言っても政府からの批判はごく最近のことで、主な批判はニューヨーク.タイムズをはじめとするメディアからである。それも当然。昨日の朝のNHKニュースによれば、当初日本政府が米国人乗客の早期下船を提案したのに対し、米国政府は在日米軍基地に収容する余裕はないと断ったという。私など米国メディアの人種偏見を感じてしまう。

全乗客の早期下船は理想だったろうが、乗客2000余人一括の収容施設も食事提供 ( 宗教別の ) も容易に手配できるとも思えないし、各地への分散収容よりは船内の滞在がベターと思われたのは理解できる。ただ、船内滞在中の医学的配慮は十分ではなかったようだ。しかしそれも早急に十分な人数の医師や看護師を確保できたらの話である。

今後もこうした事態は予想されるとすれば病院船か地上の専用施設が必要となろう。むかし田舎の町には伝染病患者を隔離する「避病院」があったりした。自然災害時も考慮すれば病院船がベターかも。もっとも、正直に言うと、80歳台の私には寝たきり老人になるよりも2週間でおさらばできるのはそんなに悪くないと思える (  話をそらすな!)。

2020年2月22日土曜日

歴史的評価の難しさ

昨日 ( 2月21日 ) の東京新聞に、幕末の開国を強行した井伊直弼作の能狂言が29日に横浜の能楽堂で上演されるとあった。その記事によると直弼は「茶道、和歌、禅なども究めた」文化人だったという。

敗戦までのわが国では幕末の勤皇の志士たちが絶対の善であり、「安政の大獄」をおこなった井伊直弼は絶対の悪だった。当時は小学生の私でも吉田松陰の歌「かくすればかくなるものと知りながら、止むに止まれぬ大和魂 」や、「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし大和魂」( 辞世 ) に胸を熱くしたが、それは私だけではなかったろう。

戦後、井伊直弼の悪名を一変させたのは、大衆小説家舟橋聖一の『花の生涯』( 1953年 ) だった。直弼は本書により開国に一身を捧げた先覚者となった。人間とりわけ政治家の評価がいかに変わるかの好例だった。

今回の韓国映画『パラサイト』のアカデミー賞作品賞受賞にトランプ大統領がケチをつけた。彼は「韓国とは貿易分野で様々な問題を抱えている。その上、今年最高の映画 ( である作品賞 ) の栄誉を与えるのか」と不満を述べ、「1939年の『風と共に去りぬ』や脚本賞などの『サンセット大通り』を持ち出し、こういった作品が受賞すべきだと主張」した ( 『産経』2月22日 )。

これに対して『パラサイト』の米配給会社がツイッターで、「(  トランプ氏が作品を嫌いなのは ) 理解できる。彼は ( 英語の字幕を ) 読めないからね」とやり返したのは自由の国の面目躍如である。中国で同じことを習近平主席に言ったら国家指導者侮辱罪に問われるのでは? それとも国家誹謗罪?

P.S.  『サンセット大通り』は往年の大女優グロリア・スワンソンを起用してハリウッドの醜い内幕を描いた作品で、佳作ではあるが秀作ではなかった。ハリウッドは『イヴのすべて』など、自業界の歪みを描くのが好きである。

2020年2月15日土曜日

日本プロ野球の懐古

二、三年前に4コマ漫画を見ていたらピッチャーが「懸河のようなドロップ」を投げるとあって心底驚いた。「懸河のようなドロップ」とは戦後間もなくプロ野球の松竹ロビンズのエース真田重蔵の得意球の形容語でその後使われるのを聞いたことはないし、そもそもドロップという言葉自体死語同然である ( 今はカーブと呼ぶようだ ) 。漫画作者の偶然の造語とはとても思えない。

野村克也が亡くなり各紙とも驚くほど大きく取り上げている。長嶋や王ならこの扱いも分からぬでもない。しかし野球人としての業績なら彼らに一歩も劣らないしむしろ上だろう。長嶋の華麗な三塁守備はアンチ巨人の私にも眼福だったが生涯成績では野村に劣るし、王の人柄にはたいへん好感を持つが、当時の後楽園球場の外野は狭く、大リーグの記録との比較には疑問がある。

プロ野球人としての野村の偉大さは打撃成績からしても文句なしだが、監督としての成績も素晴らしい。成績日本一の回数では巨人8連覇時代の川上には劣るが、二流三流のチームを率いての成績としては最高だろう。

彼は京都府の丹後半島の峰山高校の出身である。30年?近く前、山陰旅行の途次峰山を通り過ぎながら家内に説明していたらスピード違反で捕まってしまった。町の入り口に40キロ制限の表示があったのだろうが、見落としたのである。私は野村選手の大ファンでしたと訴えれば違反を大目に見てもらえたのではないかといまでも心残りである ( 日本の警察はそんなに甘くない!)。

2020年2月13日木曜日

「ブラック校則」の是非

二、三日前のNHKのテレビ番組 ( 朝のニュース?)で「ブラック校則」の問題を取り上げていた。実例として挙げられたのは下着は白色だけ、天然の髪の毛が黒くない場合その旨の証明書を提出させるなどの校則で、自由の束縛を理由とする一部生徒の抗議は人権侵害を口にするに至っているという。

番組は実状紹介が主だったが、5人の中高校の教員が出席し意見を求められていた。5人の意見は一致したわけではないが、服装の乱れなどは学校のイメージとなって生徒に返ってくるとの意見も出、何より父兄からはもっと厳しくと要求されがちとのこと。

逆の例として、私服もOK、ピアスも金髪も許される中央大学付属高校が紹介されていた。自由に考える癖をつけるのが学校の方針だとか。私の印象では入学が容易でなく生徒が誇りを持っている学校と、中位以下の学校とでは実情は違うと思う。後者では父兄が学校の評判を第一に考えるのは無理ないのではないか?

一般論として生徒が自由意志で入学する私立校の方が、公立校より校則は厳しく処罰も容易だろう。私の懸念は、そうでなくとも受験が中心に据えられがちな私立校に対し、公立校が親の目にいっそう魅力の無いものに映るのではないかということである。今年から私立高校の授業料が無償になる ( 所得制限はあるが ) と聞く。公立中高で学んだ私は、校則はより自由になったが公立校の地位は低下したということは望まない。かつての東京都の学校群制度の失敗を繰り返してもらいたくない。

2020年2月10日月曜日

藤原正彦氏の暴論

月刊『文藝春秋』の1月号 ( 新年特別号 ) に藤原正彦氏の「英語教育が国を滅ぼす」が巻頭に載っている。子弟に英語を使える人になって欲しいと公立校より英語教育に力を入れると考えて私立の中高一貫校に入学させた親たちにも、望んでもそれが叶わなかった親たちにも不安を与える内容である。しかし、私には暴論としか思えない。

氏は「英語が世界一下手な日本人」の例証として「先進国 ( OECD ) 36ヶ国中の圧倒的ビリ」「スピーキングに関しては何と全170ヶ国のビリ」との数字を紹介する。それなのに何故「英語はカタコト ( で結構 ) 」とされるか。

小学校高学年への英語導入などの最近の英語力向上の施策について氏は、「決定的問題点は、この改革が経済界のイニシアティヴで進められてきたことである」とし、「グローバル人材の育成」という目標に反対する。しかし、立場上もっとも英語使用を強いられる人たちの提言が何故いけないのか。

氏は現在の英語教育について 1) 壮大な無駄、 2) 日本人としての自覚の妨げ  3) 教養を積む妨げ」の三点の欠陥を挙げる。たしかに 1) いかに国際化が進んでも英語が必要な職業に就く人は国民のうちの少数派だろう。しかし、それらの人たち無しにわが国は国際社会でふさわしい地位を保持できるだろうか?  2)についても英語 ( 外国語 ) 学習が「日本人としての自覚の妨げ」になるとは思わない ( 小学校での義務化の当否は別問題 ) 。英語学習もかならずや当人の視野の拡大に役立つ。3)についても、「知識を世界に求めた」明治大正の時代と違い今のわが国で教養を身に付けるために外国語は必須でも何でもないだろう。しかし、その妨げになるとは思わない。

藤原氏の専門の数学は必要とあれば黒板に数式や図表を書けば済むこともあろう。しかし、文系の学問は言葉が生命であることが多い。「カタコト」で済むはずがない。「カタコト」は氏にとって意図的挑発の言でもあろうが、2月号の読者欄に載った全面賛成論の単純さには身震いする思いである。

2020年2月9日日曜日

コロナウイルスの脅威

遠い武漢発の新型ウイルスにより周辺の国々は脅威にさらされている。被害と言うならむろん発生国の中国のそれが一番深刻だが、ダイアモンド・プリンセス号の乗客乗員のようにとんだとばっちりを受けている例は他にもあるようだ。同情に耐えないが、将来の拡大の予測がつかない以上、もっと融通を利かせてはとばかりも言えない。

観光への悪影響もさることながら、今後の展開次第ではあらゆる種類の行事やイベントの中止もありうる。影響が長引けば東京オリンピックとパラリンピックの開催さえ危ぶまれる。仮に1年後の開催となっても選手たちの当惑は大きいだろう。

これまで戦争以外の理由によるオリンピックの中止は聞いていないが、交通手段の発達による世界の一体化は思いもよらない困難を生むことが分かった。中国当局とくに武漢市と湖北省の初期対応の不手際も大きいが、似た状況に追い込まれることは無いと言い切れる国は少ないだろう。

それにしてもクルーズ船の巨大化と普及ぶりがこれほどとは知らなかった。重い荷物を抱えてホテルを移動する必要が無いので乗客に高齢者が多いのは理解できる。もはや海外旅行に自信が持てない私も、今度のように台湾と香港 ( 訪ねたこと無し ) ならクルーズ船を利用したいものだが、資力の関係で窓のない船室になりそうでクワバラ、クワバラである!