2019年12月31日火曜日

今年の功労者

年末となり、今年の目立った出来事が回顧されている。日本関連での一番の朗報を挙げれば私はスポーツ面でのラグビー日本代表チームの善戦、学術面での吉野彰氏のノーベル化学賞受賞を挙げたい。

ラグビーの世界大会のアジアで最初の日本開催だっただけに日本代表チームの好成績へのプレッシャーは大変なものだったろう。予選通過を果たした結果、我が国のラグビー熱を一挙に高めた。メンバーの半数は外国出身者とはいえ、彼らは今後他国の代表メンバーにはなれないということなので、ことラグビーに関する限り日本人と言ってよい ( 名誉日本人!)。

日本人の過去のノーベル賞受賞者は今回を含め28名 ( うち外国籍3名 ) ということである。我が国ほどには外国とくに欧米ではノーベル賞受賞は騒がれないとはいえ、学術面での最高の評価に値する受賞であることに変わりはない。今回わたしが吉野氏の受賞をとりわけ喜ばしく思うのは大学に在籍しない民間企業の研究者だった事実である。これまで、江崎玲於奈 ( 1973 )、田中耕一 ( 2002 )、中村修二 ( 2014 ) の諸氏の例はあるが、大学在籍の研究者に比して制約は少なくないのでは?

最近、基礎研究への政府の財政的締めつけが再三指摘され批判されている。これまでのノーベル賞受賞はかなり昔の業績への受賞であり、最近は他国に比して論文数の減少が目立つというのが定説のようだ。そうであれば放置できない事態と言えるが、大学在籍者でなくとも民間企業に在籍しても立派な業績を挙げる方向であってほしい。今回のノーベル賞受賞の理由に地球環境へのリチウム・イオン電池の貢献が特記されたように、最近は実用面への貢献も考慮されつつあるようだ。企業内研究者への激励となるのではないか?  そうあってほしい。


2019年12月26日木曜日

年賀状を出し終えて

たいした枚数ではないのだが、ようやく年賀状の宛名書きが終わり郵便局に持参した。宛名は手書きでなくともプリント利用で構わないのだが、現在我が家にそれ用のプリンターが無いこと、写真でほぼ全面が占領され近況報告用の余白がなく、せめて宛名だけでも自筆で書きたいことなどの理由で手書きを続けている。

しかし、字が下手なのは昔からだが、漢字を書き間違える ( またはそう感じる )ことが増えてきた。小辞典も傍に用意しているのだが、拡大鏡の必要を感じることが多くなった。世間の年賀状の発行数が年々減少しているそうだが、家族写真の添加が無ければメール利用が増えるのは自然だろう。

当方がいただく賀状数も元旦が多いのだが、私の写真を見てから出される方も少数だが居られる。テレビの食物探訪番組と同様、酷評されることはまず無い! それが写真付き賀状が続いている主な理由だが、DPEを多年依頼してきた写真店の利用度が激減したのでせめて年一回の賀状の印刷を依頼することにしている。その店主も私同様年々高齢化が否めない。せめて私の撮った写真にその影響は無いと信じたい。

2019年12月17日火曜日

新国立競技場完成

一昨日、新しい国立競技場が完成し披露された。旧競技場は国際規格を満たせないと聞くので新築も止むをえないのだろう。最初に有力とされたイラン人女性のプランは私には斬新的過ぎたが、建築費の関係もあり採用に至らなかったようだ。パリのルーヴル美術館のガラスのピラミッドのように外国人設計者に広く門戸を開放することには私は賛成である。隈研吾氏設計の新競技場は木材を多用するなど日本的で好感を持てる。屋根を持つのも観客を雨や強い日光から防ぐのに役立つだろう。東京の新名所になるのではないか?

NHKの日曜大河ドラマ『いだてん』が好評のうちに?終了した。後半しか見ていないので大きなことは言えないが、アジア初のオリンピック開催に努力を傾けた関係者の熱意と努力が実を結び大会を成功させた経過は、多少戯画的ではあるが巧みに描かれていると感じた。世界からの若者が一堂に会してわざと力を競うオリンピックは独裁者に利用された大会もあったとはいえ全体として平和の祭典の名にふさわしい。

現代のオリンピックはその誘致活動や開催時期など問題を抱えていることは否めない。それでも関係者の努力を否定的にとらえるばかりで多くの肯定的要素を評価しないのが正しいとは思わない。たまたま今回は私の教え子が事務総長を務めている。前回に劣らぬ成功を願っている。

2019年12月13日金曜日

トランプ現象に続くジョンソン現象?

今朝のNHKニュースの最初の15分は英国の総選挙 ( それも予想の ) 報道だった。私も2年間を過ごした英国には人並み以上の関心を持つが、15分も忍耐が続かなかった。我が国のメディアがそれほど深い関心を英国に寄せているとも思えない。やはり、EU残留か脱退かへの関心からなのか。

私が留学していた1960年代後半、海外では日本といえばカメラ、トランジスターラジオの生産で知られていた。しかし、それほど話題に上らなかったが日本の造船業は隆盛期を迎えており、その結果英国の造船所 ( 日本海海戦での日本艦の何隻かを製造した ) はつぎつぎと閉鎖された。のちに日産が同社最初の海外工場を造船所のあったニューカースル近くのサンダーランドに建てたのはそれと無関係ではなかったかも知れない。

時は移り我が国の造船業は新興の韓国のそれに太刀打ち出来なくなった。今日の朝日新聞に「三菱重工  主力造船所売却へ」との記事が載っている。かつて戦艦武蔵 ( 大和の同型艦 ) を建造した同社の主力の長崎  香焼工場が他社に売られるという。

配達されたばかりの夕刊によると、ジョンソン現首相の保守党が総選挙で勝利したようだ。やはり、英連邦53カ国との繋がりが英国を強気にさせるのか。それともトランプ米大統領に続いて英国でも政治家は面白いことを言う人物かどうかが選択の基準となりつつあるのか?  私は後者の可能性をまんざら否定できない。
P.S.
昨日朝、10個近い温州みかんが一夜のうちに鳥に食べられていたので急遽全部収穫した。前者を加算して130個あった。来年が絶不作にならないよう考えなければ。

2019年12月8日日曜日

我が家の温州みかん

左上の夏みかん二つの他は全て温州みかんです。とても百個近くあると思えないでしょうが。

2019年12月7日土曜日

アフガニスタンの深い闇

アフガニスタン国民への人道支援に多年従事してきた中村哲医師が非業の死を遂げた。物取りの犯行ではなく、中村氏と知っての殺人だったことがあきらかになってきた。その危険は日本政府からも最近警告されていたという。

中村氏が危険を十分認識していたことは十一年前に年若い同志の伊藤和也が殺されたのち他の協力者を帰国させ、独り残留したこと、住民に不人気な米軍の協力を一切拒んでいたことなどに明らかである。どれほど前途に危険があっても、一度始めた使命を全うすることを選んだのだろう。東京新聞 ( 12月6日 ) の関連記事の見出しはその使命感を「爆弾よりパン  掲げ」「政府に頼らず  貫いた非軍事」と表現している。

しかし、政治的であれ宗教的であれ、イデオロギーの正しさを確信した「信徒」は反対者へ容赦はしない。今日の『東京』の「本音のコラム」に師岡カリーマ氏が、「親身になって助けてくれる外国人もいる。地道に努力すれば、少しずつ生活は改善できる。平和が来れば、幸せな人生を築くことだってできる。こういう希望はすべて、絶望と被害者意識を餌にする武装組織のリクルートには邪魔なのだ」と書いているが、同感できる。

米軍を中心とするNATO諸国の軍事介入が成果を挙げていないことは明らかだが、非軍事的貢献なら成果が挙がるとは言えない。 反政府勢力が国土を支配すれば、女子教育否定、児童婚など女性抑圧の廃止は絶望的となろう。アフガニスタンの闇は深い。

2019年12月4日水曜日

山岳写真家の死

新聞各紙に白旗史朗氏の訃報が載っている。同氏は白川義員氏と並び、わが国で最も知られた山岳写真家の1人だろう。国内の山々から始まり、ヒマラヤやアルプスなど世界の名峰の写真を撮り続けた人のようだ。同年齢とは知らなかった。

「ようだ」と言うのは私が知る同氏は郷里の大月市に近い南アルプスや奥秩父の山岳写真を山と渓谷社の『アルパイン・カレンダー』に載せていた1950年代後半から60年代前半の時期が中心であるから。氏がローライフレックスで撮った南アルプスの山々や秩父の笛吹川源流の東沢渓谷の写真など今でも記憶している。当時購入した『アルパイン・カレンダー』3冊ほどは書庫に有るはずだが見当たらない。

いま手元にある『 カレンダー』は1980年版1冊だけ。そこでの大型のリンホフで撮った氏の写真は日本アルプスなどの雪山中心で、他の山岳写真家たち ( 美瑛を有名観光地にする以前の前田真三も!) の同種の写真に交じって私の感興をあまり呼ばない。その後白旗氏はさらに海外の山々に撮影対象を移したようだ。

十数年前だろうか。某新聞社後援のフンザ ( パキスタン最北の秘境 ) 撮影旅行の広告に白旗史朗の名を発見して心が動いた。アンズやアーモンドの花咲く「秘境フンザ」を訪ねる絶好の機会と思ったが、ふんぎりがつかないうちに同地方に大きな地震があり、それどころでは無くなったと記憶する。私がフンザ撮影旅行に心が動いたのは無論春のフンザに憧れたからだが、白旗氏に会って半世紀以上前に氏の写真に惹かれたと告げたかったのかもしれない。

2019年12月1日日曜日

中曽根元首相の死去

中曽根康弘元首相が亡くなった。なぜか一つの時代の終焉を感ずるのは同時代人として数十年を生きたからなのか。それとも良くも悪くもしっかりと目標を持って生きた個性的な人物だった故か。「戦後政治の総決算」や憲法改正という主張自体は安倍首相の路線とそれほど違う訳ではあるまい。それでも両氏の違いを大きく感ずるのは人物の格の違いというものだろうか。

中曽根氏の業績となると三公社の民営化とりわけ国鉄の分割民営化を挙げる人が多いようだ。これとても当事者の中にはそのため不当な扱いを蒙ったと考える人は少なくないだろう。しかし、数年ごとに運賃値上げを繰り返していた当時の国鉄が、その後特急料金などを除き運賃を安定させた事はやはり必要な改革だったことを示しているのではないか? 首相がロン・ヤス関係という中曽根レーガンの間柄を真似てシンゾウを売り込んでも矢張り作為的と感じるのは私だけではあるまい ( レーガンとトランプの人柄の違いは無論あるが ) 。

訪韓した中曽根首相は演説の三分の一を韓国語で語ったという ( レーガンとは英語で話していた ) 。多忙な中でそれだけの勉強をした努力は韓国人も感じ取っただろう。私は元首相がフランス語の鼻母音をきちんと発音したのに感心したことがある。旧制高校の語学教育の成果もあるだろうが、他の政治家とは勤勉さが違っていたようだ。

元首相は宮沢喜一氏と竹下登氏の二人の後継候補のうち後者を後継者に選んだ。私は宮沢氏の方が首相にふさわしいと考えていたので不満だった。しかし、その全盛期でも消費税導入を果たせなかった中曽根氏が、一見凡人ふうだが敵を作らない竹下氏を後継者に選んだのは正解だったのだろう。その竹下内閣でも消費税導入の故に短命に終わった。