2019年11月25日月曜日

勝って兜の緒を締めよ

香港区議選で民主派が大勝した。圧勝と言っても良い。区議会に属する権限は小さいと聞く。しかし、デモを繰り返していた若者たちが香港住民の大多数の意志を代弁していたことが中国に対し、世界に対し疑問の余地なく示された。若者たちの喜びは言葉に尽くせないものがあろう。最近のニュースでこれほどの朗報はない。

間違ってもこの喜びを短命に終わらせたくない。若者たちの「五大要求」は逃亡犯条例の撤回しか実現していない。キャリー・ラム行政長官の辞任もあって当然である。本土政府の要求を拒めなかったとしても、政治は結果責任を負う。これほどの不評を買った以上、留任は下策である。

他方、若者たちは五大要求の完全実現をこれまで以上に強く要求したいだろうが、それに固執するのは賢明かどうか。警察処罰と言っても警官たちは自らの信念に従ったというよりも上位者の命令を拒めなかったと考えるべきだろう。親中派の商店などの破壊は止めるべきだし、ボイコットも賢明とは思えない。今は香港人が相互の違いを克服し、団結して本土政府に対抗すべきである。相手は強大であり、隙を見せてはならない。

本土政府の今後の動きは予測困難である。しかし彼らも本心では恐怖を拭えないのである。近代中国では平和的な政権交代の経験はなかった。今後もし紆余曲折のうえ香港人が平和的政権交代の実例を示すなら本土政府の抱く恐怖も少なくとも軽減する可能性はある。まだるっこしい限りだが、天安門事件の再現は何としても避けるべきである。

2019年11月19日火曜日

小さい秋

庭の温州みかんが黄色に色づき始めた。苗から育てた木で地球温暖化のせいも少しはあるかも知れないが、街で売られているみかんに負けないほど甘くなる。欠点は成り年とそうでない年の差で、150個ほども成る年もあれば2個だった年もある。今年はその中間で100個近くありそうだ。夏みかんにはそれほどの豊凶の差はない。私には酸っぱすぎるし、自分がそう感じるのだから他人もそうだろうと、本気で好きだと言ってくださる一軒二軒以外は進呈するのもはばかられ、マーマレードの材料にする。一口柚子は毎年忠実に沢山の実をつけてくれる。

毎年、秋には富有柿が例外なく沢山なる。これは好評なので御近所や知人におすそ分けするのだが、今年はなんとゼロ。開花の時期に庭が真っ白になるほど雹が積もったのがその原因ではないかと思う。残った十数個は10月の台風で落果した。命がけ?で木登りする必要がなくなったのは有り難いが、先月、木いっぱいに柿が色づいているのを見てこれぞ日本の秋だと思った ( 札幌の人よ、許せ!)。

実の成る木の話ばかりで恐縮だが、小さかった山椒の木がいつの間にか背丈を越える高さになり、今年初めて実を御近所にプレゼントするほどになった。裏では勝手に増えたミョウガから数回芽?が採れた。代わりにタラの木が台風で根こそぎ倒れた。

近年、都内ではたき火は禁止されているらしい。煙が近所迷惑という理由なのか?  落ち葉は市民税で始末されるゴミとなった。今の子供たちにとって「たき火」は童謡の中だけの存在となった。時代は老人の感傷に付き合ってはいられない。

2019年11月15日金曜日

香港情勢の悪化を避けるには

香港の政治情勢は悪化の一途をたどっている。抗議運動の若者たちと警察との対立はいまや肉弾戦の様相を呈しており、デモ隊側に死者も出ている。一身を賭しても香港の自由を死守するとの若者たちの決意には頭が下がる。しかし私は市民の日常生活に大きな支障をきたす暴力的反政府行動には賛成できない。とりわけ交通機関などへの破壊行為が続けば市民の共感も薄れよう。世論の分裂はいま中国が最も期待するところだろう。そうなれば武力介入の口実にできる。

警官の過剰な実力行使が若者の怒りを買っている。しかし警官の大多数は上からの命令に従っているのであり、内心では苦しんでいると思う。彼らの英領時代からの市民感覚はまだ完全には失われていないと思う。じじつ本土の警察ほどには手荒ではない。警官の発砲も最初のケースは同僚の生命の危険を阻止するためと映ったし、最近のケースも恐怖に駆られてとも感ずる。

デモ隊の列に星条旗も散見される。しかし米国民がどれほど香港に同情を寄せても口頭での激励以上の介入など期待してはならない。内政不干渉の原則もあるし地理的不利一つをとっても不可能である。冷静な状況判断は欠かせない。

すでに資力のある香港人はマレーシアへの移住を計画していると聞く。同文ということでは台湾がベターだと思うが、中国が台湾統一を呼号する以上、安住の地とは思えないのだろう。歯がゆいことだがわが国には香港からの亡命者や難民を暖かく迎い入れることしか出来ない。

P.S.   私が交通混雑に巻き込まれたラグビーの2試合を日本チームの対戦時と書いたが、日程からして前の1試合は他国同士の対戦だったようだ。それでもすごい混みようだったから驚きである。メディアの宣伝に乗せられたか、同胞の「おもてなし」精神のゆえか。後者と思いたい。

2019年11月14日木曜日

「桜を見る会」の来年度中止

新宿御苑での首相主催の「桜を見る会」が来年度中止となった。首相は国会での真相追及に耐えられないと判断したのだろう。今どき後援会が深く関与した案件などメディアが本気で調べれば分かることなのに知らぬふりをするから一挙に中止にまで後退した。相も変わらず軽率な対応を繰り返す御仁である。逆に共産党の田村智子議員はお手柄である。

どこかのテレビでこれ迄の会の出席者数を紹介していた。それによると発足した吉田首相のとき1000人、田中首相5000人、鳩山首相 ( 2010年)10000人、安部首相 ( 2013年 )12000人、今年は18200人とのこと。功労者とはそんなに増えるものなのか! むかし幾何級数的という言葉があったが?

桜花の季節の新宿御苑は本当に美しい。最近はエンパイアステート・ビルを模した?電電公社ビルが建ち一目で新宿御苑と分かる。各国の大使公使たちには是非ここで毎年顔合わせして欲しい。美しい場所で邂逅すれば対立する国の人間でも心和むのではないか。

私はテレビタレントのデーブ・スペクターが嫌いではない。むしろ好意を持つが、彼が桜を見る会に20回出席したと白状するのを聞くと、そこまで税金で歓待するのもどうかと思ってしまう ( 一度招くとそれが慣例となり除外しにくくなるのか?)。出席者を厳選して続けるのがベストと思うが、それが不可能なら廃止も止むを得ない。安部首相の場合かなり悪質だが、そもそも政治家に人気取りに耽るなというのが無理なのかも.......。

2019年11月11日月曜日

両陛下にもっと自由を!

昨日、令和天皇即位のパレードをテレビで見た。実施日を延期した結果最上の天候に恵まれ、両陛下にとり飛びきり幸せな一刻だったろう。儀礼や役職上顔を合わせた人びとと異なり、なんの義理も無ければ強制も無い多数の国民が何時間も直立して待機して歓迎した事実がご両人の心を打たないはずが無い ( 警備陣は相変わらず過剰と感じたが.......)。今後ともこの国民に奉仕したいと決意を新たにされたと信ずる。私はこれまで憲法の言う「国民統合の象徴」という天皇の規定が今ひとつピンと来なかったが、昨日何となく理解したように感じた。

私は皇太子時代の現天皇と雅子さんと偶然に視線を交わしたことがある ( これまでこのブログに書いた気もするが確かで無いので書く ) 。たしか2002年、私がニュージーランド南島旅行を計画したところ、皇太子夫妻も同地を訪問されると知り、ひょっとして現地で会うかもと冗談を飛ばした。現地で殿下の情報を知るはずもなく、帰国の4日ほど前に西岸のフィヨルド ( ミルフォード・サウンド ) 見物を予定していた。ところが当日、峠の手前で雪が激しく降り出し引き返えさせられた ( 貸切バスはそれでも走っていたが、個人客は現地で雪で足止めとなれば帰国便に間に合わなくなる ) 。

最後の予備日である翌日、幸い峠の雪は大したことなく無事に現地に到着した。二社ある遊覧船会社の一方で乗船券を求めたら、 Japanese Emperor (Crown Princeの誤り ) の乗船を告げられた。唯二人の同胞として!先に乗船していると、随員数名と土地の名士?数名を引き連れてご夫妻が乗船された。私たちはタラップの最上段とガラス一枚隔てた椅子を取っていたのでご両人と視線を交わした。本当は言葉も交わしたかったが、お二人とも随員に堅くガードされ近づくことは出来なかった。

その後間もなく雅子さんは病気になられた。二度と来られない憧れの?観光地でも見物よりも儀礼的社交を強いられること ( かろうじて晴れていた前半、お二人は展望デッキに姿を現さなかった 。その後私たちは寒いので船室に降りた )  と御病気とは無関係では無いと私は思いたくなる。しかし、昨日の雅子さんはお元気のご様子。今後はご自身を殺すことはできるだけ控えてほしい。

2019年11月10日日曜日

ドイツ統一と東欧解放の理想と現実

昨日11月9日はベルリンの壁崩壊30周年記念の日だった。息詰まるような緊張感で見守ったあの日のテレビ画面から30年経ったとは........。 続いて起こった東欧共産圏諸国の崩壊を生んだドイツ統一であったが、それを可能にしたのはポーランドの自主労組「連帯」の多年の反体制闘争と、共産主義体制の維持困難を認めたゴルバチョフの英断であったことは記憶さるべきだろう。

30年前、西欧的自由民主主義の勝利は万全と思われたが、今日その楽観は過去のものとなった。昨日の各紙でも旧東ドイツ国民の失望と、ハンガリーやポーランドを始めとする旧東欧諸国の排他的ナショナリズムの高揚が大きなテーマとなっていた。

「隣の芝は青い」と言うべきか、東欧諸国民の西欧の自由民主主義への過度の評価がいずれ失望に変わるのは避けられなかった。旧東ドイツ人はいま自分たちを2級市民と感じているという。しかし、治安警察 ( シュタージ ) による市民の監視や市民間の密告は廃止されたし、当時はバナナも容易に買えなかった旧東ドイツ人の収入は現在、西ドイツ人の約8割程度とのこと。愛嬌はあるが性能は最低だった国民車トラバント ( 色とりどりで旅行者の目を楽しませてくれたが ) を入手するのに何年も待たされた時代を忘れるべきではない。旧東欧諸国の国民もソ連に命令されていた時代へのノスタルジアなど露ほども持ち合わせないだろう。

旧東欧諸国による国境の壁の建設を不寛容と決めつけるのはたやすいが、何分にも予想もつかない多人数の流入だったし、難民と経済移民を区別するのが人道に反するとは必ずしも言えない。人種も宗教も異なる人たちを多数受け入れた経験はわが国にはない。陸続きの国境を持たないわが国とは不安感に大きな違いがあっても不思議ではない。

2019年11月4日月曜日

ラグビー世界大会の成功を祝す

アジアで最初のラグビー世界大会は南アフリカの優勝をもって長い会期を終えた。ワールド・ラグビー会長は今回の大会はこれ迄で最高の大会だったと評したという。多少のお世辞も入っていようが、大盛況のうちに終わったことは間違いない。関係者の多大な努力が報われて何よりである。

私自身は細かいルールを知らないので途中から見たゲームも少なくなかったが、だんだん興味が増したことは事実。今後、野球やサッカーに負けないスポーツに育って欲しい ( 最近のサッカー人気への私のやっかみ?)。

人気の高まりのおかげで個人的にほんの少し迷惑を蒙った。日本チームが最後の2ゲームで対戦した東京 ( 味の素 )スタジアムは京王線の本線の調布駅と府中駅の中間の飛田給駅で下車する。2ゲームとも都心から夕刻に帰宅する仕儀となり、調布駅での混雑はしり押し部隊の活躍した時代並み。やむなく調布からの支線+バスで帰宅した。一社の鉄道路線しかない東京スタジアムで日本チームを対戦させたのは賢明だったろうか?  さすがにその後は複数の路線のある横浜スタジアムが使用されたが....。むろん大会の成功に比べれば言うに足りない。