2019年9月29日日曜日

韓国の「反日批判」本

今朝、NHKのニュース番組『おはよう日本」にスイッチを入れたら、「韓国でベストセラー   反日批判の本 なぜ」との話題を取り上げていた。

『反日種族主義』と題されたその本 ( いつかきっと邦訳される!) はソウル大学経済学部教授を筆頭にほか6人の筆者が分担執筆している由。経済学者らしく「日帝支配」時代に朝鮮経済は大幅に発展したとの論考をはじめ、社会の各分野にさまざまな発展が見られたとの内容の本書が韓国でベストセラーになったとのこと。我々からすると驚くような内容ではなくとも、韓国の学校教育を受けた人たちには新鮮な内容なのだろう。本書の読者に限った反応は、肯定51.8% 、否定45.7%だという。

この賛否率をどう感じるかは人によりさまざまだろう。肯定が予想以上に高いと感ずる人 ( 私も ) も少なくないと思うが、こうした書物を手にする人たちは自国の主張を無批判に受容しない人が多いのかもしれない。私としては本書の寄稿者たちの道徳的勇気を心から讃えたい。我が国で政府の方針を批判するのとは段違いの勇気を要すると思うから。

何日も前、「韓国政府が親日を糾弾」との見出しの記事を見て愕然としたが、同国では「親日」とは「親日派」を意味すると思い出して我にかえった!  今回の『反日種族主義』が広く読まれれば「親日派」が普通の呼称になるだろうか。そう願いたいものである。

2019年9月27日金曜日

「建前論」の危うさ

最近、山下泰裕JOC会長がJOCの運営委員会?の討議を「本音の議論ができないから」という理由で公開から非公開に改めると決めた。それに対し、『毎日』( 9月24日 )の読者投稿欄『みんなの広場』に、「本末転倒も甚だしい」として、JOCは正々堂々の運営をせよとの意見が載っている。一見、誰も反対できない正論だが、本当にそうだろうか?

山下会長が本音の議論が出来ていないと感じたのは相応の理由があるのではないか。スポーツ団体には各競技にオリンピックや世界選手権のメダリストがおり、金メダルや銀メダル保持者ともなれば彼らの影響力は大きいようだ。実業界から学界まで事情は同じだろうが、メダルの有無や等級ほど序列が明白ではない。その結果、最近でも体操の某夫妻や重量挙げの某一家のように過去の偉大な成績の権威で小帝王と化した例が少なくないとすれば、その権威に公然と反対することは委員には困難だろう。

山下会長はその弊害を何とか正したいと考えたのではないか。柔道だけでなく国際スポーツ界でも仕事をしてこられた氏の判断を私は尊重し、期待したい。



iCloudに家人の助けを借りて平瀬徹也写真集  天地有情  を載せました。上の記号を転記すれば誰でも見れるらしい。それが可能な人はどうぞ!

2019年9月23日月曜日

親方の国籍条項は不当か?

ろろろろ大相撲秋場所は直接対決で御嶽海が貴景勝を敗り優勝坏を手にした。両横綱に衰えも見られるこの頃、相撲協会にとって若手トップの両者による優勝決定戦は理想的な結末だったろう。角界も主役交代の季節となったのだろうか。

先日には白鵬が親方になるために日本国籍を取得した。本人にとっては不本意だったろうが、私はやむを得なかったと考える。一昨日の『読売』に、外国生まれで最初に親方を目指し日本国籍を取得した高見山 ( 東関親方 ) のインタビュー記事が載っている。

ハワイ生まれの高見山にとって親方の国籍条項は「正直、差別されたような感情を持った」のは理解できる。まして既に名跡 ( 親方株 ) を多分大枚払って入手した彼の不満は無理もない。しかし現在「相撲協会に長く身を置いた者の実感」として、国籍問題を「今の時代感や感情論だけで言ってはいけない」と思うとのこと。

「外国籍の人が一人、二人なら何でもないと思うが、ルールがなくなれば安易に増えていく可能性がある」。 じじつモンゴルには日本の力士をめざし子弟を教育する学校まである現在、国籍条項が無ければいつか親方の過半数が外国人となる可能性は低くない。

長い間わたしは勝った力士がインタビューで不愛想な受けごたえをするのが不満だった。失礼にもしゃべるのが下手な人たちなのだとさえ思っていた。しかし、そうした場でとくとくと勝利の感想を語るのは負けた相手への配慮に欠けると感じるからだと聞いた。相手を土俵に叩きつけることも多い相撲では確かに一定の節度があってほしい。

相撲にはスポーツと割り切れない面がある。わたしは勝った力士が土俵上でガッツポーズをする姿を見たくない。他のスポーツでは当たり前であっても。

P.S.   原田選手がバッケンレコードを出したのがバドガシュタインと以前書いたが、ガルミッシュ・パルテンキルヘンの誤りでした。また、関西のでドラマでツクツクボウシが鳴いていたのはおかしいと書いたのは確かヒグラシの誤り。名古屋以西でもツクツクボウシやヒグラシは鳴くならどうかご教示を!

2019年9月15日日曜日

パリのストライキ

昨日 ( 9月14日 )の東京新聞に「公共交通   大規模スト   退職制度改革に反対   通勤客はうんざり」との記事が載っている ( 他紙には無いようだ ) 。パリ交通公団の職員たちが退職年齢を50歳から52歳に延長するとの当局の提案に対しストライキで応戦しているとのことである。

我が国の交通機関のストライキもかつて年中行事だった頃があったが、いまや絶滅危惧種のように稀になった。ヨーロッパでも交通ストはあまり聞かれなくなったが、ほとんど唯一の例外はフランスである。しかも、退職年齢の2歳延長がストライキの理由となるところがいかにもフランスらしい。

現在の我が国の民間企業の退職年齢は60歳から65歳に延長中といって良いだろう ( さらに70歳への延長も取り沙汰されている ) 。ともあれ日本の労働者が定年延長に反対してストライキを敢行するとは考えられない。そこには彼我の退職後の生活保障の問題も絡むかもしれないが、労働を苦役と捉えるか義務と捉えるかという労働観の違いもあるようだ。

19世紀も末に近く ( 1883年 )、フランスの社会主義者でカール・マルクスの娘婿だったポール・ラファルグは『怠ける権利』という著作を書いた ( 邦訳 1972年  平凡社。  のち、新版あり ) 。もちろん、資本家による労働者の搾取に反対する趣旨だろうが、我が国ではなかなか思いつかないタイトルではある。

以前に書いた気もするが、四半世紀前に私のパリ滞在中にパリの空港関係者のストライキで、かれらが滑走路上でデモをおこないエアラインの発着を阻止する場面をテレビで見て驚いた。我が国なら人命を危険にさらすとして世論のひんしゅくを招きかねない。善悪は別にして国民性の違いに驚かされる。

2019年9月11日水曜日

台風に弱い現代社会

台風15号による千葉県を中心とする被害は直接の被害もさることながら停電や断水による被害が大きいようだ。電気や水道水の供給は現代では当たり前のインフラなので、それが断たれた時の不便さは深刻なものとなった。

我が家の場合電気や水道の中断はなく、風害も直径5センチほどのタラの木が倒れ、庭一面の柿などの落ち葉の片づけ程度で済んだ。しかし、交通途絶の影響はチョピリあった。

9日は西に10キロほど離れた八王子の病院への月一回の通院の日だったので交通機関 ( 京王電鉄 )の状況は前日から気がかりだった ( 午前9時の予約 ) 。翌朝、午前8時すぎに復旧とテレビで知ったが、当初の混雑が予想されたので9時半すぎに家を出た。幸い下り電車は15分ほど待っただけで混雑もなく乗車できたが、反対の新宿行きのプラットホームは乗客でいっぱいだった。15分間に来た2回の上り電車 ( 各駅停車のみ ) は到着時すでに満員だったのでホームの人数は半分しか減らなかった。各駅も同様とすれば新宿にはいつもの倍の時間がかかるだろう。通勤のサラリーマン ( ウーマンも ) の苦労には同情を禁じえなかった。

病院到着は予約時間より2時間遅れとなったが、担当医も道路の渋滞は大変だったとのこと。遅刻はお互い様だったようだ。

2019年9月7日土曜日

旧人類の教育観

最近の ( 大学以前の ) 学校教育ではアクティブ・ラーニングだの問題解決学習だの、旧人類には一読しただけでは判然としない学習方法が推奨されているようだ。従来の暗記中心の学習や教師の一方的知識伝授式学習への反省が最大公約数らしく、素人はそこから内容を推測するほかない。

問題解決能力を磨くことに反対などあるはずもないし、欧米と比較しても我が国の教育が知識注入式の色彩が濃いのは事実のようだ。欧米に追いつくのが主眼だった時代からはもう脱すべきだろう。ただ、的確な判断は多くの事例を知ることで強化されるとは言えるだろう。温故知新も一面の真理である。

問題解決型教育の一環なのか、大学の国語入試問題に企業内文書 ( 取扱説明書のような ) の理解力をテストする問題が出題されるとも聞く。それに反対ではないが私の個人的経験では古代から近代に至る日本文学に親しむきっかけを与えてくれたのは国語教科書や副読本のでのそれらの抜粋だった。教養とか情操を育てる教育の必要も忘れたくない。

大学受験時代の私はこんな事をしていて良いのかと危惧しながら徳富蘆花の『自然と人生』や【みみずのたはこと』を愛読していた。ところが受験した大学のその年の国語問題の一部は『自然と人生』からの出題だった。私は「やはり神様はいる」と心の中で叫んだ !

2019年9月3日火曜日

池内紀『ヒトラーの時代』( 中公新書 ) を読んで

ヒトラーとナチズムに関してはわが国でも翻訳書を中心におびただしい著作が公刊されており、日本人史家による著作も少なくない。それなのにドイツ文学者として広く知られる池内氏が今夏ヒトラーにかんし一書をものしたのは、氏がその高い文化を心から敬愛する「ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」( 本書の副題 ) を問わずにはいられなかったからだろう。本書はその意欲が生んだ力作である。

本書が論ずるのはおよそ1930年代後半までのヒトラーとナチスの歴史であり、ヒトラー伝の著者トーランドが、「もしこの独裁者が政権四年目ごろに死んでいたら、ドイツ史上もっとも偉大な人物の一人として後世に残っただろう」と評したほどに経済恐慌と社会の混乱からドイツをめざましく回復させた。しかし、その一方で政権当初からユダヤ人への無慈悲な迫害は同時進行的に進行していった。

本書の長所はヒトラーの肖像解析などもあるが、類書に無い ( 私の知る限りだが ) 一章として、ユダヤ人出版社からナチス治下 ( 1939年 )で刊行された『フィロ・アトラス』( フィロは出版社名 ) という題名の亡命者向けマニュアル本の紹介がある ( ナチスはこの段階ではユダヤ人が自ら国外脱出すれば好都合と考えていたのだろうか?  実現性は疑問だがナチスはユダヤ人のマダガスカル島への追放を計画していたとも言われる )。

『フィロ・アトラス』は亡命全般に関し実用書に徹しており、とりわけ移住先の情報は亡命者にとり貴重だったろう。ブランコのスペインとともにソ連やポーランドが推賞できない国とされているのは慧眼だった。逆に左翼からファシスト的独裁国とされたポルトガルには好意的判定だった。じっさい同国は大戦中10万人近い亡命者を受け入れた。

ともあれ新書版ながら本書は新しい角度からヒトラーとナチスを考えさせる良書だと思う。