2018年8月7日火曜日

動物としての人間

早朝の始発駅発の電車には自分以外はほとんど乗客はいない。ところが発車間際に駆け込んできた乗客がいきなり私の隣の席に座ったら、私は不安に駆られる。それは人間が他の動物と同様にテリトリー (  占有領域 ) 意識を持つからだとの説をむかし心理学者が書いていた。つまりは人類が地球上に誕生して以来身に付けた本能は一朝一夕には無くならないということだろう。

野生動物の実写番組をテレビでよく見るが、自分の遺伝子を広く残そうとのオスたちの本能には毎度強い印象を受ける。一方メスは自分の卵子のために最も強いオスを選ぼうとする ( どちらかの味方はせず、オスの闘いをジッと待つ!)。

ときに忘れがちになるが、人間も動物の一種である。長い間に利他の心を育てた人間は他の動物との間に差をつけたとはいえ、やはり動物的本能と完全に縁を切った ( 切れた ) わけではあるまい。理想を追い求めることは大切だが、現実を踏まえない理想がときに巨大な悪に至ることはソ連を初めとする共産主義諸国の歴史に明らかではないだろうか。ルソーからマルクスに至る「人間の完成可能性 perfectibility of man 」への信頼のひとつの到達点をそこに見るのは間違いだろうか。悪に対する備えを欠く理想を私はそこに見る。

P.S.  アマチュア主体の日本ボクシング連盟の惨状が明らかになりつつあるが、前々回のファイティング原田が会長を務めたのは日本プロボクシング協会です。念のため!)。

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