2018年8月18日土曜日

長すぎるスピーチ?

今日の東京新聞に「スピーチ  なぜ長い」との見出しの記事が載っている。『スポーツ報知』(16日)が甲子園球場での開会式のスピーチが長すぎたと報道したことの後追いの記事である。それによれば5分20秒の朝日新聞社長のスピーチに続く林芳正文科相と八田英二高野連会長のスピーチで合計20分だった。100周年記念大会という事で文科相の挨拶まで加わったためもあろうが、例年にない暑さの中で立って聞く選手たちには長すぎた。

記事によれば教員と政治家に長話が多いという。スピーチ慣れしているからもあろう。歴代首相の衆院での施政方針演説では1位も2位も鳩山由紀夫氏の52分(2009年)と51分(2010年)、3位が安倍氏の48分(16年)とのこと。それに対し吉田茂氏と岸信介氏の3分が最短だった。年々形式的になってきたとすれば問題だろう。

もっとも、習近平主席の中国共産党大会 ( 17年 )での3時間半の演説、キューバのフィデル・カストロ首相の国連総会での4時間29分の演説、同氏の国内での7時間15分の演説 ( 98年)と比べれば短いと言える。旧ソ連時代から各国の共産党指導者の大会演説は長かった。いかに独善的になっていたかが演説の長さに現れていた。

「人民の人民による人民のための政治」で知られるリンカーンのゲティズバーグ演説は同地の戦闘で倒れた死者たちを弔う式典での演説であり、英語での最も有名な演説だが、3分間で終わり、写真師は演説中の大統領の写真を撮る暇も無かった ( 当時の写真術は簡単では無かったが ) 。スピーチは長いほど内容が空疎になりがちになるのだろう。

P.S.   前回のブログで駅ピアノのプラハ篇が同市の美しさを演奏者たちが讃えていたと書いたが、同市の回は2篇あり、一昨日見た第1篇にはそうした言及はなかった。私自身耄碌したかと肝を冷やしたが、前篇が有ったとは知らなかった。誤解をされないため!

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