2018年8月3日金曜日

「良いことは実行しよう」に潜む陥穽

初等中等教育に従事する教員たちの負担過重が問題となっている。そのむかし、「教員は夏休みがあっていいね」とイビられた?身としては世の中変われば変わるものだと思う。

その原因のひとつが部活動への奉仕的関与らしいが、無論それだけではあるまい。校門で生徒たちを出迎えるなど私は生徒として一度も経験したことは無かった。同様に、「学級通信」的な刷り物をもらった記憶も一度も無い。どちらも無いよりはあったほうが有益な活動だが、教員として不可欠な行動では無い。

私は教員にとって第一の本務は生徒や学生の心に残る授業をすることだと考える。むろん生活指導も進学指導も本務のうちだが、そこには自ずと軽重の差はあるはず。私には校門での出迎えがどうしても必要とは思えない。それに比べれば学級通信は有意義だが、そのために授業内容の充実が後回しになるなら本末転倒としか私には思えない。私自身、部活動の顧問を務めたことがあるので、教室以外での生徒との交流の価値を十分理解しているし、心温まる思い出になっている。余力のある人が従事するのに何ら反対しない。

「良いことは実行しよう」と言われれば反対しづらい。まして費用対効果の意識の薄い教育の場ではそうである。しかし、むかしは無かった給食の事務から教育実験の報告書作りなどで教員が疲労するとすれば、「良いことは実行」では済まない。

最近、大学の特色ある研究活動への助成 ( 私立大学研究ブランディング事業 ) をめぐって文科省局長の不正関与が問題となっている。限られた予算を有効に活かすため優れた研究活動に資金を集中配分することに原理として反対しない。しかしそのために大学教員が申請や成果報告の書類作りにエネルギーを費やすのはプラスなのか。それが今回のように文部官僚の権力拡大に貢献したとすれば笑うに笑えない。

0 件のコメント:

コメントを投稿