もっともこれ迄の米国の仲介者的立場は心ならずもだった。今度のトランプの行動が米国内での彼の危うい立場を逃れるためのギャンブルだとしても、米国議会は20年前には大使館移転を決定しており、半年前には大統領に実行を迫る上院決議までしていた。我々は米国におけるユダヤ系移民の影響力の巨きさを再認識すべきなのだろう。
新聞各紙の解説記事にあるように、イスラエル国家成立の発端はパレスチナへのユダヤ人の帰還を訴えた19世紀のシオニズム運動にあり、第一次大戦中のバルフォア宣言が大国イギリスの支持をもたらした。しかし大戦後のパレスチナを委任統治した英国はアラブ系住民との紛争激化を恐れてユダヤ系移民の抑制に努めた。米国映画『栄光への脱出』( 1960年 ) は英国の妨害を跳ね除けてのユダヤ人の帰国事件 ( 1947年 )を扱っている。
翌1948年の国連決議によるパレスチナの分割 ( イスラエルの建国 。エルサレムは国際管理下に置く ) は、ホロコーストに対するヨーロッパ人の負い目とおそらく関連しており、アラブ系住民にとっては不本意の極みだったろう。しかし、その結果としての数次の中東戦争はアラブの立場をますます不利にした。とりわけ1967年の第三次中東戦争はイスラエルによるエルサレム支配を生む結果となった。当初、イスラエルが追いつめられたように見えたとき、PLO指導者シュケイリ ( アラファトの前任者 ) は、解放戦終了後、生存ユダヤ人たちは生まれた国々への帰国を許されるが、「私の見るところでは生存者はいないだろう」との不気味な予言をしていた。
現在望まれる解決は当初の「エルサレムの国際管理」だろうが、パレスチナ人による東エルサレムとイスラエルによる西エルサレムの統治が現実的解決なのだろう。そのためにもイスラエルによる入植地拡大に米国は口先だけでなく本気で反対しなければなるまい。
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