2017年12月11日月曜日

「さらばハイセイコー」

先週の朝日新聞別刷の「be」(  12月9日 ) の連載「もういちど流行歌」は1975年3月の読者のベスト15で2位となった「22才の別れ」の誕生の裏話が載っている ( 1位は「年下の男の子」)。「22才の別れ」も心に残る曲だと思うが、個人としては8位の「さらばハイセイコー」が忘れられないのは当時のハイセイコー人気を懐かしむ故だろうか ( 6位の「昭和枯れすすき」も嫌いではない!)。

地方競馬 ( 大井 ) で勝利を重ね異例の?中央競馬昇格を果たしたハイセイコーの人気は競馬場に十数万人が詰めかけるほど。メディアがブームを作った面もあったが、根本的には非エリートの大衆にとってエリートの馬たちを次々に敗るハイセイコーに自らの願望を重ね爆発的人気となったのであり、私にもよく分かる!

しかし、中央競馬で連勝したのち出場したその年の日本ダービーでは期待を裏切り3着だった。長距離が得意でなかったのだろうか。結局、ハイセイコーの活躍は半年と続かなかったが大衆人気は衰えず、2年後の引退に際し騎乗の増沢末夫騎手の歌う「さらばハイセイコー」がベストテン入りした ( オリコン9位とか ) 。のち子どもの「カツラノハイセイコ」( 馬名は9字までの制限 ) がダービーで優勝し父の悲運?を償ったエピソードはこのブログで紹介したような気がする。 

同じように非エリートからのし上がった田中角栄が「今太閤」として大衆の人気を集めたのもこの頃である。しかし、当時大新聞の記者と話したら彼は「角栄なんて」という態度だったので驚いた。今から思えば、熱心な日中友好派だった彼の新聞はすでに角栄のいかがわしい金作りの裏面を知りながら「日中友好のため」に今太閤人気に協力していたように思う。のち日中国交回復を実現した角栄は同紙にとりすでに用無しとなっていたのではないかとの疑念を禁じ得ない。

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