2017年12月30日土曜日

北朝鮮制裁と中ロ両国

12月18日にトランプ米大統領は政権初の国家安全保障戦略を発表した。そこでは中国とロシアを現状への「修正主義勢力」として厳しく批判し、中ロ両国はこれに激しく反発した。しかし、これにより米国と中ロとの関係が今後悪化するとの予測は当たらないのではないか。

確かに米国はロシアとの間にクリミア併合以来の厳しい対立があり、中国との間には海上の支配権をめぐっての争いがある。しかしイスラム過激派によるサンクトペテルブルグの寺院の爆破計画が米国の通報により未然に防がれたことは、来年の大統領選挙で再選を狙うプーチン氏にとっては、本心からの感謝に値する。トランプ政権がプーチンのロシアに本当に敵対的であればわざわざテロ情報をロシアに知らせるはずがないからである。他方、中国にとっては米国は海上発展上の手強いライバルであるが、経済的には多大の利益をもたらす相手国でもある。

プーチン氏や習近平氏のようにえげつない手段を使ってでも権力をつかんだ指導者は、オバマ氏の人道主義よりもトランプ氏の本音の「取引」の方が共感しやすい。いわゆる「ケミストリーが合う」と思う。

それにしても米国にとっては北朝鮮の核やミサイルの脅威の除去こそが最大の目標であり、その点で9月と今月の二回の安保理の北朝鮮制裁決議案への中ロ両国の賛成は大きい。もっとも経済制裁の有効性には疑問視する向きもあり、中ロ両国の今後の対応次第の面もあるが、両国とも北朝鮮のために対米関係を悪化させたくないはず (  経済面だけでも ) 。個人的願望も混じるが、私は中ロ両国とくに中国が本気で北朝鮮制裁に協力すると思う。

P.S.    すでに投函した来年の年賀状は写真版の表面にボールペンで題名の記入が困難なため、墨の?ベンを使いましたが、こすると簡単に汚れます。最初から汚れたのは一枚も出していないことをブログ読者だけでも知って欲しい!

2017年12月26日火曜日

大相撲の混迷

日馬富士の暴力事件に発した大相撲の騒動は貴乃花親方の処遇を除けばほぼ終結しそうである。当事者の立場により細かい部分の真相は食い違っているが、もう意外な結末ということはあるまい。

これまでこのブログで書いたように私は日馬富士の相撲が好きであり、人物も真面目と感じていた。今でもその評価は変わらないので彼の引退は残念であり、本人も国籍を変更してまで親方になる方向だったと聞く。しかし横綱が暴力行為に及んだとすれば引退は止むを得ないかも。

白鵬がその場に居合わせながら制止しなかったとして減俸処分となるという。俊敏な日馬富士の突発的行動をどの程度制止出来たかには疑問もあるが、最近の白鵬の横綱らしからぬ取組やその後のマナーには目に余るものがあると感じていた。今場所も頻発した張り手とかちあげ (  特に前者 ) は48手では認められているかもしれないが横綱としては見苦しかった。とりわけ遠藤との取組は彼の高い人気が気に入らないのか張り手にかちあげと気品も何もあったものではなかった。優勝40回し一人横綱として角界を支えたとメディアが持ちあげ、本人もそう思っているようだが、相撲の評価は100米を何秒で走ったというような絶対的な基準ではない。彼がいなければ日馬富士や鶴竜や稀勢の里の優勝回数が増えただけである。

貴乃花親方はモンゴール出身力士の現状に危機感を抱いて頑なな態度をとってぃるのかもしれない。しかし国籍が問題なのてはなく、あくまで個人が問題なのである。もっと説明を尽くす必要がある。観客席も日本人力士に一斉に拍手を送るといった行動は慎まなければならない。


2017年12月24日日曜日

「シェール革命」のもたらすもの

今日の読売新聞に、「『シェール革命』地政学激変」との見出しの米国の著名な政治学者ジョセフ・ナイの論文が2ページにわたって載っており、米国におけるシェールオイルやシェールガスの生産が中東諸国との勢力バランスを同国に有利に変えつつあると説いている。ナイはトランプの米国大使館のエルサレム移転決定に直接には言及していないが、シェール革命が米国の自信を回復させたことを強調し、それが「地政学( の) 激変」をもたらしたと説いているのである。

これまで米国を含めて世界中が中東の石油に大きく依存しており、中東諸国の政治が腐敗しておろうが女性の人権が無視されていようが内政には口を挟まなかった ( 挟めなかった )。それどころかアラブ民族の統一による原油価格決定力の上昇を恐れてその政治的分立を助長してきたとさえ言えよう。しかし、「このシェールブームは米国をエネルギー輸入国から輸出国の座に押し上げた」「要するにエネルギー地政学における地殻変動が起きているのだ」とナイは説く。

今後も中東における政治動乱で原油価格の上昇が起こることはあろう。しかし、ナイによれば「シェール開発では井戸は小規模かつ安価で、価格の変動に応じて開くのも閉めるのも簡単」である。つまり米国は石油の価格決定力をある程度中東から取り戻したのである。

トランプ氏の米国大使館のエルサレムへの移転決定は第一には彼自身の国内評価の向上を狙ったものだろう。しかし石油をめぐるこの地政学的変動がトランプとその背後の米国を大胆にしたことは十分考えられる。中東原油への依存度が極めて高い我が国にとって米国の価格決定力の強化は望ましいが、同時にそれが中東諸国の遅れた政治の近代化を促すよう国際協力に努めるべきだろう。

P.S.  前回、「国境線の交代」としたのは「国境線の後退」の誤りです。単純なミス!

2017年12月20日水曜日

四川省の奥地に生きる

12月10日に放映されたNHKスーパープレミアム『秘境中国  謎の民  天頂に生きる』を録画で見た。四川省の楽山 ( 省都成都の南 ) のさらに奥地、標高3000メートル余りの大涼山の中腹に住む少数民族イ族の現在を紹介したルポルタージュである。

世界の四大文明の発祥地といえば、エジプト、メソポタミア、インドと並んで黄河流域が歴史教科書の常識だった。しかしごく最近、黄河文明とほぼ同時期に長江文明が存在したことが明らかになりつつある。古蜀国とも呼ばれるこの文明は北からの秦、ついで諸葛孔明の蜀の攻撃を受け突如歴史から姿を消したが、現在のイ族がその末裔であるとの説が有力となりつつある。

寒冷地で蕎麦と放牧で生計を営むイ族の生活は厳しく、子供たちは麓の町の寄宿舎に住み学校に通う。そこで中国語を習得する子供たちは他郷に職を求めることになる。わが国で先ごろ放映された『ひよっこ』の時代を思わせる。

町で始めた焼肉商売で1ヶ月に村の1年間の収入を稼いだ村長の息子は、村の発展のため食肉工場を誘致する計画を立てるが、父親はそれによる貧富の差の拡大、共同体の崩壊を恐れて許さない。

今や米国に次ぐ経済大国となった現代中国の多様さを教えてくれる力作だった。この国を統治する政治家の課題の複雑さには同情を禁じ得ないとも感じた。国が大き過ぎるためとも言えるが、国境線を交代させる国家指導者を許す国民は少ないだろう。マイノリティ文化は大いに保護されるべきだが、彼らに対する中国語教育が少数民族の子女の活躍の可能性を拡大する側面は否定できない。ともあれ、困難な生活条件の中で学ぶ子供たちの明るい未来を願うばかりである。

2017年12月17日日曜日

「横断歩道 止まらない?」日本

今朝の朝日新聞に「横断歩道   止まらない?」との見出しで、投書をめぐっての読者との討論全三回の初回「実感は」が載っている。発端はロンドン生まれで在日20年以上の英国人が、日本人の運転する車が信号のない横断歩道で歩行者のため停止しない、オリンピックで来日する外国人の人身事故を招きかねないとの投書である。「あなたの実感は」との質問に日本人回答者346人の3分の2がイエスと答えている。

誠にもっともな忠告であり回答である。私自身、20年ほど前スイスで交通道徳の高さに感心した記憶がある。ところがそのまた10年ほど前の中国江南ツアーで、東京では車がきちんと止まってくれたと女性ガイドが目を輝かせて語り、中国は歩行者優先ではなく「勇気優先」なのですと語った。  中国旅行の経験者には説明不要だろう。

もっとひどい国があるから安心しろというのではない。しかし、加藤雅之著『あきれた紳士の国イギリス』( 平凡社新書 2017年 ) は、「車に乗ればクラクションを鳴らしまくり、狭い道も猛スピードで通りぬけ。警察官も守らない歩行者信号」と英国の交通モラルの低さを罵倒?している。「あとがき」に感想を歓迎してメールアドレスが載っているので反論したら丁寧な返事があり、1960年代と2010年代の違い、大学都市とロンドンの違いということで双方が納得して矛をおさめた!

加藤氏の住むウインブルドンは高級住宅地のはずだが、最近のマンション火事で多くのマイノリティ住民が亡くなった現地でもあり、ここでも時代の変化は激しいのだろう。英国のEU脱退の原因も昔のおっとりした空気を懐かしむ気持ちが働いたのか? 牽強付会と言われれば反論する気は無いが...........。のこる2回が気になる。

2017年12月13日水曜日

トランプのギャンブル

トランプ大統領による米国大使館のエルサレム移転宣言から一週間が過ぎた。中東諸国だけでなくヨーロッパ諸国からも反対されたこの行動には、パレスチナでの抗議行動の激化との予想と、それが長続きしないとの相反する予想があった。まだ結果は見通せないが、どちらにせよ中東和平の仲介者としての米国の立場は大きく損なわれた。

もっともこれ迄の米国の仲介者的立場は心ならずもだった。今度のトランプの行動が米国内での彼の危うい立場を逃れるためのギャンブルだとしても、米国議会は20年前には大使館移転を決定しており、半年前には大統領に実行を迫る上院決議までしていた。我々は米国におけるユダヤ系移民の影響力の巨きさを再認識すべきなのだろう。

新聞各紙の解説記事にあるように、イスラエル国家成立の発端はパレスチナへのユダヤ人の帰還を訴えた19世紀のシオニズム運動にあり、第一次大戦中のバルフォア宣言が大国イギリスの支持をもたらした。しかし大戦後のパレスチナを委任統治した英国はアラブ系住民との紛争激化を恐れてユダヤ系移民の抑制に努めた。米国映画『栄光への脱出』( 1960年 ) は英国の妨害を跳ね除けてのユダヤ人の帰国事件 ( 1947年 )を扱っている。

翌1948年の国連決議によるパレスチナの分割 ( イスラエルの建国 。エルサレムは国際管理下に置く ) は、ホロコーストに対するヨーロッパ人の負い目とおそらく関連しており、アラブ系住民にとっては不本意の極みだったろう。しかし、その結果としての数次の中東戦争はアラブの立場をますます不利にした。とりわけ1967年の第三次中東戦争はイスラエルによるエルサレム支配を生む結果となった。当初、イスラエルが追いつめられたように見えたとき、PLO指導者シュケイリ ( アラファトの前任者 ) は、解放戦終了後、生存ユダヤ人たちは生まれた国々への帰国を許されるが、「私の見るところでは生存者はいないだろう」との不気味な予言をしていた。

現在望まれる解決は当初の「エルサレムの国際管理」だろうが、パレスチナ人による東エルサレムとイスラエルによる西エルサレムの統治が現実的解決なのだろう。そのためにもイスラエルによる入植地拡大に米国は口先だけでなく本気で反対しなければなるまい。

2017年12月11日月曜日

「さらばハイセイコー」

先週の朝日新聞別刷の「be」(  12月9日 ) の連載「もういちど流行歌」は1975年3月の読者のベスト15で2位となった「22才の別れ」の誕生の裏話が載っている ( 1位は「年下の男の子」)。「22才の別れ」も心に残る曲だと思うが、個人としては8位の「さらばハイセイコー」が忘れられないのは当時のハイセイコー人気を懐かしむ故だろうか ( 6位の「昭和枯れすすき」も嫌いではない!)。

地方競馬 ( 大井 ) で勝利を重ね異例の?中央競馬昇格を果たしたハイセイコーの人気は競馬場に十数万人が詰めかけるほど。メディアがブームを作った面もあったが、根本的には非エリートの大衆にとってエリートの馬たちを次々に敗るハイセイコーに自らの願望を重ね爆発的人気となったのであり、私にもよく分かる!

しかし、中央競馬で連勝したのち出場したその年の日本ダービーでは期待を裏切り3着だった。長距離が得意でなかったのだろうか。結局、ハイセイコーの活躍は半年と続かなかったが大衆人気は衰えず、2年後の引退に際し騎乗の増沢末夫騎手の歌う「さらばハイセイコー」がベストテン入りした ( オリコン9位とか ) 。のち子どもの「カツラノハイセイコ」( 馬名は9字までの制限 ) がダービーで優勝し父の悲運?を償ったエピソードはこのブログで紹介したような気がする。 

同じように非エリートからのし上がった田中角栄が「今太閤」として大衆の人気を集めたのもこの頃である。しかし、当時大新聞の記者と話したら彼は「角栄なんて」という態度だったので驚いた。今から思えば、熱心な日中友好派だった彼の新聞はすでに角栄のいかがわしい金作りの裏面を知りながら「日中友好のため」に今太閤人気に協力していたように思う。のち日中国交回復を実現した角栄は同紙にとりすでに用無しとなっていたのではないかとの疑念を禁じ得ない。

2017年12月6日水曜日

「実感」はあてにならない

前例のないほどの金融緩和をすすめたアベノミクスは成功だったのか、そうでないのか。新聞各紙の世論調査ではアベノミクスに対する肯定的評価は最近になって否定的評価を多少とも上回るようになって来たようだ。公約の2%のインフレは実現しそうもないが景気の拡大はゆっくりとだが続き、失業率の低さは先進国の中で断トツと言ってよい。肯定的評価が高まったのはうなずける。

ところが一部の世論調査では相変わらず景気回復の「実感がない」との項目が高いパーセンテージを占めている。それを利用してとまでは言わないが政府も野党も消費税の2%増税の政党間合意を先延ばしすると選挙公約に掲げ、事態はその方向に向かいつつある。

今朝の朝日新聞のコラム『経済気象台』で、「穹」とのペンネームの筆者が「実感なき景気の拡大」と題して書いている。タイトルの与える印象とは逆に筆者は「日本経済は好調だ」とし、「景気は実感ではなく成長率などの客観的な指標で判断する必要がある」「実感に乏しいからといって、いつまでも財政赤字を続けているようでは、生まれてくる子どもたちに合わせる顔がない」と主張している。私も同感である。

私はこれまでのアベノミクスは評価できると考えている。しかし、実感などという客観性のない印象に基づきこれ以上財政緩和を続けて行って良いとは思わない。国民の実感と言っても多分にメディアに吹き込まれたものではないのか。安倍内閣は総選挙で絶対多数を得た今こそ、安易な人気取り政策と訣別すべきであり、さなければアベノミクスへの後世の評価は低いものになるだろう。