1970年代の中ごろ、さるイギリス史研究者がインド訪問記を著し、読書界でかなり注目された ( 吉岡昭彦 『インドとイギリス』 岩波新書 ) 。著者がインドへの機内で隣席のイギリス人女性に、「インドの今日の貧困は、イギリスの責任を抜きにしては考えられない」と訪印の目的を語ったのに対し、相手は「あなたは、イギリスがインドに進んだ文明をもたらし、良い統治を持ち込んだことを忘れてはなりません」、「インドに港をつくり、鉄道を敷設し、道路をつけたのはイギリスです」と反論した。彼女の物質文明中心の反論が自己満足的で鼻につくとして本書が読書界で共感されたのであろう。
しかし、その後何年かして某出版社のPR誌で著者が西欧からトルコまで、当時は共産圏だった東欧諸国を旅した報告記が載った。著者は西欧から遠ざかるほどに強まる役人の腐敗 (袖の下の要求)や非能率に怒りを募らせていく。かつてアジアにもたらした諸悪の元凶として西欧を糾弾した人が.......。
今回のブログに誤りがないよう、『インドとイギリス』を久し振りに手に取ったら、ラジモハン・ガンジー (マハトマ・ガンジーの孫 )教授の「アジアの悲劇と流血は自らにも責任」との見出しのインタビュー記事 ( 『朝日』1995年6月25日 ) の切り抜きが挟まれていた。印パ紛争、カースト制度、女性差別などを例に彼は「西欧諸国がアジアに対して不当に横暴だった時期が過去に何度もあったのは確かだ。だが、アジア自身も自らの分断と抑圧に加担したことを忘れてはならない。民族や宗教の対立が悲劇と流血の源であることがわかっていながら解決されないのはなぜか。協定や合意がなぜ守られないのか。それは、和解をもたらす術と知恵の進歩が伴わないからだ。アジア人としてこのことを真剣に考える必要がある」と自己批判している。
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