2017年11月17日金曜日

ジンバブエの政変

アフリカ大陸南部のジンバブエでムガベ大統領に対する軍部のクーデターが起こった。さいわい未だ流血事件に至ってはいないが、やはりクーデターと呼んでよかろう。

1965年秋、私が留学先の英国に着いて新聞を手にするとUDIという大活字が紙面におどっており、意味がつかみ兼ねた。二、三日してようやく英国の植民地南ローデシア ( 当時 ) の白人政権のスミス首相が、英本国からの白人支配改革要求に反抗して「一方的独立宣言」Unilateral Declaration of Independence を明日にでも発する事態と理解できた。こうして英国からの独立が実現するが、けっきょく数年後白人政権は倒れ、以後30年以上続くムガベ政権が誕生した。

当時ムガベ氏は独立闘争の英雄と遇されたが、その後人気取りのため同国経済の主体である白人経営の大農場を没収し農民に分配した。しかしこれ迄企業経営の経験を持たぬ現地農民に農場の経営が出来るはずもなく、ジンバブエ経済は大混乱に陥り、「天文学的数字」と称された第一次世界大戦後のドイツのインフレをしのぐインフレを生んだ。さらに超高齢の自分の後継者に妻をつけようとして今回のクーデター騒ぎとなった。

これまでのこのブログの読者なら、私が独裁とくに開発途上国の独裁に甘いと感じておられよう。内戦やそれに近い混乱に比べれば独裁イコール悪とまでは言い切れないし、先進国側のからの独裁批判がそうした内戦や混乱を産んだとき、先進国が責任を取れるとは思えないからである。

とはいえ、自分や一族の安寧や栄耀栄華のため国民の幸福を忘れた政治が正当化されることはない。今回のジンバブエ軍部の行動が流血なきムガベ支配終焉に結果するよう願うばかりである。

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