2017年11月29日水曜日

大企業の検査不正

口火を切ったのは自動車産業だった。日産ついでスバルで法規違反の検査逃れが明らかになった。と思ったら神戸製鋼、三菱マテリアル、東レと日本を支える大企業で似たような検査違反や品質違反が存在したと報道されている。

素材産業などのことは私には分からない。しかし自動車産業では米国での信頼度調査のベストテンの半数以上はいつも日本車である。検査不良のはずの日本車の評価が高いのはなぜか。それでは欧米の自動車はどうなのか。

聞くところによれば、米国では我が国のような最終検査はしないとか。ヨーロッパは国により違いはあろうが、今回の事件で日本の自動車会社に対する損害賠償の動きがあるとは聞かない (タカタの場合のように ) 。少なくとも我が国のメディアの報道にも問題があるのではと私は感じていた。
今日 ( 11月29日 ) の毎日新聞は、「完成車検査  『実効性』を」との見出しで「現行制度は形骸化しているとの指摘もある」との記事を載せている。

同紙によれば、「車の生産管理や部品の精度は年々進化を続けており」、「このため完成品検査で見つかる不具合はほとんどない」。今回の事件により政府は検査体制の再検討を約束しているが、「自動車メーカー側には........検査自体の簡素化を求める声もあり、単なる規制強化には反発も予想されるという。

何のことはない。検査体制そのものが時代に合致しないものになっているらしい。それなのに「世論」に弱い役所が規制強化に乗り出せば、屋上屋を架すことにならないだろうか。メディアももっと実態にそくした報道をすべきではなかろうか。

2017年11月26日日曜日

改元は宮内省の専権事項ではない

平城天皇の退位にともない政府は改元の期日と態様を早急に決定せねばならない。最近まで、年初の1月1日か年度がわりの4月1日が有力と伝えられていたが、このところ意外にも5月1日が有力視されているという。納得できない。

1月1日は年末年始の儀式や宮中祭祀が立てこむとの理由で宮内庁が反対し、4月1日は予算案審議や統一地方選挙と重なるので避けたいとの政府の意向だという。しかし世論調査でも1月1日支持が圧倒的だった。いつまでも旧来の宮中祭祀を墨守することなく簡素化すれば良い。だいたい、昭和から平成への移行に際しても宮中祭祀など国民にろくに説明もされなかったと記憶する。国民の利便と納得を優先すべきである。

それ以上に問題なのは退位後の両陛下の待遇である。読売新聞 ( 11月25日 ) によれば、宮内庁は財政当局などに「30年間天皇を務められた方にふさわしい予算と体制」を要望しているという。そして「政府内では『尊重せざるをえない』との声が強い」とある。具体的には「天皇、皇后両陛下を支える79人 ( 今年4月現在 ) の『侍従職』をほぼ『上皇職』に移す方向となっている」という。

そんな理屈の通らない話があろうか。高齢で仕事が重荷になったから退位する人 ( それは理解できる ) に何で在位中の人員を配置する必要があるのか。宮内庁が自分の権能を維持 ( 実質的には拡大 ) したいだけではないのか。私はそれは両陛下のご意向に反すると固く信じる。

君主制廃止論者でない私でも到底納得しかねる。他紙はなぜ問題として報道しないのか。それとも『読売』の記事は誤報なのだろうか。



2017年11月23日木曜日

アマゾンの脅威

アマゾンの脅威と言っても南米のアマゾン川の氾濫でもなければ密林の過伐採でもない。インターネットを利用して流通革命を起こしたアマゾンのことである。

中小の書店が街から姿を消しつつある ( 書店だけではないかも )。最寄り駅の周辺の三軒が一軒になった。私など買う前に一度手にとって見ないで新刊書を買う気になれないが。しかし、アマゾンの脅威はそれだけではない。

多年世話になってきた蔵書もあの世に持っては行けないので就活の一環として手放そうと思ったが、状況がこの十年間に一変していた。遠方 ( と言っても都内 ) の古書店は十年前には引き取りに来たのに、今回は宅配便などを利用して送ってくれないと引き取れないという。止むを得ず以前葉書をもらった隣市の古書店にとりあえず和書だけでも引き取ってもらったが、価格は昔の十分の一。入手価格と比べれば雀の涙としか言えず、それでも感謝して引きとってもらった。

いまどき大学や研究機関はタダでも受け入れたがらない。同学の後輩や教え子ら若い人たちはたいていマンション住まいなので欲しくても受け入れるスペースがない。

なにより、古書の売買を生業にしている古書店がタダに近い商品を仕入れたがらないのは珍現象としか思えない。これが流通業の進歩や改善とどうして言えるのか私には不可解である。

2017年11月20日月曜日

俳句評論とは?

今朝の毎日新聞に櫂未知子なる俳人の「俳句月評」という文章が載っていた。私自身は俳句も短歌も詠まないので新聞の俳句欄と短歌欄はいつも素通りする。まして俳句論や短歌論を読むことはない。しかし、「鶏頭」という見出しが目に入ったので、子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」をどう論じているのか気になって読んだ。ご存知の通り病臥中の子規が庭の鶏頭を詠んだ平明過ぎるほど平明な句である。

櫂氏の文章は、予備校で古文を教えている松王かおりという人が第37回現代俳句評論賞を受賞したことを紹介している。松王氏は古文解釈の観点から「ぬべし」は「きっと~するだろう」、「~するに違いない」という「未来に向けての視点」であるとし、「『未来』、それも自らが不在となって庭の鶏頭に思いを馳せた句だといえるのではないか」と評しているという。櫂氏はこれを優れた解釈と評価するようだ。

面白い( 深い?)解釈ではある。しかし古文解釈はともかく、「ぬべし」はこの場合「だろう」程度の軽い意味で使われているのではないか。私には単純な叙景詩としか解釈出来ないが、それでは「俳句評論」にならないかもしれない。

しかし、私には平明ではあるが何処か心に残る句で十分である。無論、「柿食えば......」ほどの名句ではないだろうが。原文も読んでいない、そんな単純な読みしかできない素人と言われれば一言もないが。

2017年11月19日日曜日

プチ・ナショナリズムもほどほどに

数日前、スピードスケートW杯のヘーレンフェイン大会の女子500メートル ( 1000メートル?)で小平奈緒選手と高木美帆選手が一位と二位を占め、朝日新聞の夕刊にかなり大きな ( ハガキ大 ) カラー写真が載った。しかし二人の隣に写っている三位の選手の名前も記録もどこにも載っていなかった。翌日の朝刊でようやくそれらを知ることができた。他紙も大同小異だった。

今日の朝刊に小平選手のスタバンゲル大会での500メートル優勝のニュースが大きく報じられた。高木選手の記述がないのは出場しなかったためか。二位と三位の選手の名前も記録も載っておらず、写真は小平選手一人のものだった。他の全国紙では一紙だけが二位の選手を紹介していた。

たかがスポーツと内心は思っているのかもしれない。読者は求めていないと弁解するかもしれない。しかし自国選手と他国選手でこれほど差をつけるとは.......。真のスポー精神に欠けると私には感ぜられる。記者が何かの元スポーツ選手だったらライバルの健闘にも配慮したのではないか? 新聞が金メダル至上主義を助長してはなるまい。

わが国でも各種の国際スポーツ大会が相次いで開催される時代である。自国選手の活躍に拍手を送るのも度を過ぎては国家国民の品格が疑われよう。

2017年11月17日金曜日

ジンバブエの政変

アフリカ大陸南部のジンバブエでムガベ大統領に対する軍部のクーデターが起こった。さいわい未だ流血事件に至ってはいないが、やはりクーデターと呼んでよかろう。

1965年秋、私が留学先の英国に着いて新聞を手にするとUDIという大活字が紙面におどっており、意味がつかみ兼ねた。二、三日してようやく英国の植民地南ローデシア ( 当時 ) の白人政権のスミス首相が、英本国からの白人支配改革要求に反抗して「一方的独立宣言」Unilateral Declaration of Independence を明日にでも発する事態と理解できた。こうして英国からの独立が実現するが、けっきょく数年後白人政権は倒れ、以後30年以上続くムガベ政権が誕生した。

当時ムガベ氏は独立闘争の英雄と遇されたが、その後人気取りのため同国経済の主体である白人経営の大農場を没収し農民に分配した。しかしこれ迄企業経営の経験を持たぬ現地農民に農場の経営が出来るはずもなく、ジンバブエ経済は大混乱に陥り、「天文学的数字」と称された第一次世界大戦後のドイツのインフレをしのぐインフレを生んだ。さらに超高齢の自分の後継者に妻をつけようとして今回のクーデター騒ぎとなった。

これまでのこのブログの読者なら、私が独裁とくに開発途上国の独裁に甘いと感じておられよう。内戦やそれに近い混乱に比べれば独裁イコール悪とまでは言い切れないし、先進国側のからの独裁批判がそうした内戦や混乱を産んだとき、先進国が責任を取れるとは思えないからである。

とはいえ、自分や一族の安寧や栄耀栄華のため国民の幸福を忘れた政治が正当化されることはない。今回のジンバブエ軍部の行動が流血なきムガベ支配終焉に結果するよう願うばかりである。

2017年11月16日木曜日

紅葉の季節

紅葉の季節となり、NHKの朝のニュース番組で連日? 各地の紅葉名所を中継している。これまで京都の天龍寺と南禅寺と京都以外のどこか一箇所 ( 地名は忘れた!) の中継を見た。昨今の京都は内外の観光客の到来で宿の確保もままならない状態と聞くので、行けない人たちには良いプレゼントになったろう。

私自身は秋の紅葉よりも春の新緑の光景を好むので京都の紅葉の記憶はあまり無いし、同じ紅葉でもひとが植えたのではない山地の紅葉ほどには写真に撮りたいとは思わない。

今秋は、結果は大した事でなかったが病院での検査に日数を取られたので遠隔地は断念し、遅まきながら奥日光に一泊旅行に出かけた。平地では台風一過の秋晴れで、東京では初木枯らしが吹いたが、日光に近づくと天候が一変し、いろは坂からは粉雪が舞いだした。中禅寺湖畔の紅葉もベストの時期を過ぎていた。夜には雪が止んだので積雪量は大した事はなかったが、チェーンの用意はなかったので帰路の不安は走り出すまで続いた。

私の乏しい経験では紅葉の名所として大雪山の銀泉台がスケールが大きかったが、日光の紅葉はそれほどとは思わなかった。しかし数年前、中禅寺湖の遊覧船に乗って、日光が紅葉の名所であることを納得できた。船上で紅葉に向けてカメラを構えたら、同じようにカメラを構えた隣の男が、一週間前はもっと良かったとのたもうた。親切な男というべきか、嫌味な男というべきか!

2017年11月6日月曜日

北朝鮮の核とミサイルへの対処方法

トランプ米大統領のアジア歴訪が始まった。その目的は北朝鮮の核問題と中国や日本との貿易不均衡問題の解決であるとは衆目が一致している。我が国にとってはとりわけ前者が深刻な問題である。

『毎日』( 11月5日 )は「トランプ歴訪と北朝鮮問題」と題して社説で論じている。我が国にとっては米国が自国を攻撃されないとの条件で北朝鮮の核保有を容認するならば最悪の「解決」であり、社説も「核武装を容認すれば北朝鮮は国際社会の善き一員となり、日本にも友好的な態度をとるというのか。逆により威嚇的になる危険性を考えるべきである」と反対する。私も全く同感である。

さらに社説は「相手の要求を簡単にのめば、さらに理不尽な要求を突きつけてくるかもしれない。これはナチス・ドイツに対する欧州諸国の領土妥協が裏目に出たミュンヘン協定 (1938年)の教訓だ。北朝鮮に対しても安易な「融和政策」は危険である。私たちは緊張緩和にも対話にも反対しない。だが脅威を後世に残さないためには細心の注意が必要だ」と続ける。

「ミュンヘンの宥和 ( 融和 )」に対し最も早く批判の書を著した一人はジョン・F・ケネディである。彼の最初の著作『英国はなぜ眠ったか』(  邦訳 日本外政学会  1963年刊 )はハーバード大学の卒業論文に手を加えて出版された。それ以来、「行動にはつねに危険や代償が伴う。しかしそれは、行動せずに楽を決めこんだ時の長期的な危険やコストと較べれば、取るにたらない」は彼の生涯の信念であった。

のち、キューバ・ミサイル危機に際して米国大統領としてケネディはこの信念に従って行動し、ソ連がキューバに配備したミサイルの撤去を要求してキューバを海上封鎖した。息づまる米ソの対決でケネディはフルシチョフに勝利した。その時の安堵感を覚えている人は少なくないだろう。フルシチョフの英断? ( ソ連の核兵力は宣伝ほどには強力でなかったとので譲歩せざるを得なかったとの説もある ) に対しケネディはやがてトルコ配備の中距離ミサイルを撤去してフルシチョフの体面が保てるよう配慮した。

2017年11月3日金曜日

知識人の陥穽

以前に一度紹介した多摩地方のミニコミ紙『週刊もしもししんぶん』連載の「シルクロードをつっぱしれ」の最近号 ( 11月3日 )はトルコからギリシアへの空路による移動だった。アテネのレストランの印象は「イスタンブールと大違い。ぼろうとしない。釣りもちゃんと返ってくる。大体、価格表示がきちんとしている。ギリシアとトルコは、歴史的に因縁が深く、互いに影響しあったのに、どうして、こんなに差がついちまったんだ」とある。アテネに住んだことのある人は「それほどには違わない」と言うかもしれない。私には比較できない。

1970年代の中ごろ、さるイギリス史研究者がインド訪問記を著し、読書界でかなり注目された ( 吉岡昭彦 『インドとイギリス』 岩波新書 ) 。著者がインドへの機内で隣席のイギリス人女性に、「インドの今日の貧困は、イギリスの責任を抜きにしては考えられない」と訪印の目的を語ったのに対し、相手は「あなたは、イギリスがインドに進んだ文明をもたらし、良い統治を持ち込んだことを忘れてはなりません」、「インドに港をつくり、鉄道を敷設し、道路をつけたのはイギリスです」と反論した。彼女の物質文明中心の反論が自己満足的で鼻につくとして本書が読書界で共感されたのであろう。

しかし、その後何年かして某出版社のPR誌で著者が西欧からトルコまで、当時は共産圏だった東欧諸国を旅した報告記が載った。著者は西欧から遠ざかるほどに強まる役人の腐敗 (袖の下の要求)や非能率に怒りを募らせていく。かつてアジアにもたらした諸悪の元凶として西欧を糾弾した人が.......。

今回のブログに誤りがないよう、『インドとイギリス』を久し振りに手に取ったら、ラジモハン・ガンジー (マハトマ・ガンジーの孫 )教授の「アジアの悲劇と流血は自らにも責任」との見出しのインタビュー記事 ( 『朝日』1995年6月25日 ) の切り抜きが挟まれていた。印パ紛争、カースト制度、女性差別などを例に彼は「西欧諸国がアジアに対して不当に横暴だった時期が過去に何度もあったのは確かだ。だが、アジア自身も自らの分断と抑圧に加担したことを忘れてはならない。民族や宗教の対立が悲劇と流血の源であることがわかっていながら解決されないのはなぜか。協定や合意がなぜ守られないのか。それは、和解をもたらす術と知恵の進歩が伴わないからだ。アジア人としてこのことを真剣に考える必要がある」と自己批判している。

2017年11月2日木曜日

訂正

前回に「会稽の恥をそそぐ」と書いたのは「会稽の恥をすすぐ」の誤りでした注意されたのではなく自分で気づいたことは信じて!!