2014年8月29日金曜日

靖国参拝と渡辺恒雄氏

読売グループ会長の渡邉恒雄氏の「……体験的靖国論」( 文藝春秋 九月号)が一部で注目されている( 高橋源一郎氏の論壇時評  朝日新聞8月28日 )。渡邉氏が保守派の重鎮で安倍内閣の諸施策の支持者であることは周知の通り。
しかし、文春掲載論文はA級戦犯合祀以後の靖国神社参拝への全面的反対論であり、その主たる論拠は、前の戦争の加害者( A級戦犯 )と被害者( 一般の将兵 )は峻別すべしということに尽きる。私も論文の主旨に全面的に賛成である。外国が反対するか否かに関わりなく日本人として加害者と被害者を混同すべきでないし、私には戦没者たちが合祀に賛成するとは到底思えない。A級戦犯の中にも職務上の責任を問われた東郷外相のように同情に値する人もいるが、東條首相のように戦陣訓で「生きて虜囚の辱しめを受けず」と命じながら自分は自殺の真似ごとをして生きようとした人間を戦没者たちが許すはずが無い( 戦陣訓がなければ、それだけで日本人だけでも何十万人の生命が救われただろう )。

ただ、問題はこの件に関し、世論調査の結果は必ずしも参拝反対ではないことである。調査結果はそれぞれの調査機関や調査時期ごとに多様であり、安易な一般化を許さないとはいえ、参拝への賛否となるとほとんど二分されているようだ( 8月15日の参拝見送りと聞かれると七割が賛成となる! )。これには参拝に反対する中韓への反撥( 他国のことに干渉するな! )も大きいだろうが、死者に寛大な国民性も関係していよう。
わが国では死ねば誰でも神や仏になると考えるとはよく聞く。自らの不注意で多数の犠牲者を出す事故を招いても,当事者が死んでいると世論やメディアで責任追及が殆ど停止するのが我が国の精神的風土である。それぞれの国の国民性は出来るだけ尊重されるべきだが、少なくとも外国に通用する論理とは思えない(そもそも論理ではない!?)。日本も国際社会の一員である以上、没論理のままで良いとは思わない。

参拝に反対する中国の基準( 要人の範囲など )も一定ではないようで、そうしたことへの反撥も与っているのかもしれないし、それ以上に安倍内閣への反対姿勢をゆるめない野党的メディアへの反撥が首相の頑なな対応を生んでいるとも考えられる。しかし、渡邉氏は多くの点で( 大半?)首相を支持して来た。謂わば友人の諫言に反発するならば、首相は賢明であろうか。首相は渡邉論文を熟読玩味するべきである。

2014年8月26日火曜日

甲子園大会の東北代表

今年の甲子園の高校野球大会は大阪桐蔭の優勝で終わった。今年は東北六県からの五校が途中まで残ったので、もしや東北から優勝校もと期待したが、やはり今回も期待を裏切られた。毎年のように優勝旗が白河を越え東北にと期待した時期もあったが、駒大苫小牧に先を越された。酷暑の甲子園での連戦は東北勢には厳しいとは思う。

東北勢が決勝戦まで勝ち進んだことが何回あるかは知らないが、大田幸司投手( と、のちスワローズで活躍した八重樫捕手 )を擁した三沢高校と、小さな大投手と呼ばれた田村投手を擁したいわき高校の二度の東北勢の準優勝は忘れられない。その後もダルビッシュを擁した東北高校など東北勢の活躍は続くが、野球有名校で、選手も東北出身でない者が多いと聞く。今年も利府高校以外は( ? )その例に漏れなかったようだ。

高校野球の名勝負と言えば私の知る戦後だけでも枚挙に暇がないし、優勝戦が十八回引き分け、再試合となったことも他に例があるかもしれないが、三沢高校の場合あわや優勝旗を手にするところまで行ったこと、ハーフ( 混血 )の太田投手が女性の黄色い声援を一身に集めたことなどで話題を呼んだ。自分の人気が実力と無関係と知る大田幸司には、翌年プロ野球に入団すると最初から一軍に加えられた上にオールスター戦にファン投票で選ばれたことは不本意の極みだったろう。それに耐えてその後プロ野球で活躍した( 八重樫ほどではないが )のは立派だった。

時代が変わり、もはや選手を全国に求めないと甲子園での優勝を望めないとすれば寂しいことである。それだけに三沢高校といわき高校の健闘を私は忘れない。

2014年8月22日金曜日

ハルビン雑感

今朝いつもどうりにNHKのBSプレミアムで「花子とアン」を見たら、続いて「世界ふれあい街歩き」を放映していた。時々しか見ていないが楽しい番組で、今回は中国東北のハルビン。数年前の記憶を呼び覚まされた。
ハルビンは大都会で観光スポットは幾つかあるが、何と言っても帝政ロシア時代のヨーロッパ風建築の並ぶ中央大街はその筆頭であろう。以前は自動車も通行して居たように記憶するが( 誤りかも)、今では鉄製の門が設けられており、美術の教師が学生たちに写生させていた。

かつてフランスが小パリと呼ばれる市街地を植民地各地に造ったように、ロシア帝国が造ったハルビンの中央大街は観光の目玉となり、現地の人々はそれを大切に維持している。時代は異なるが同じことはヨーロッパの各地に残る古代ローマ時代の遺跡にも言える。それらはまるで宝物のように保存されている。ネールの「父が子に語る世界史」は明らかに大英帝国と闘っていた植民地インドの立場を反映して、ローマ帝国に対し大変厳しい評価を下しているが、それが歴史の唯一の正しい解釈ではないようだ。

三十年以上前のチャウセスク時代、二人のルーマニアの歴史学者と話を交わしたことがあるが、彼らは自国がローマ帝国領ダキアと呼ばれたことを私に力説した。ローマ文明の恩恵に浴さなかった野蛮なロシアと一緒にされては敵わないと言わんばかりだった。ルーマニアがソ連からの自主独立を強調していた時代ではあったが、欧州各地のローマ遺跡の扱い方を見れば、どの国もローマ文明の一部であった事を誇示しているとしか思えない。自国はローマ帝国に支配された植民地でもあったのだが。

ハルビンの中央大街を北上すると松花江( スンガリー )河畔のスターリン広場( 今も! )に出る。私が訪ねた時、河畔には柳( ? )の綿が一面に舞っていた。しかし、木々はプラタナスの様に見えたので現地ガイドに質問したら「柳絮」だと言下に日本語で断言した。半信半疑だったが、最近北上河畔の林を見て、柳は枝垂れる種類ばかりではないと知った。むしろ枝垂れ柳は本来は少数派なのかもしれない( ? )。啄木の「やわらかに柳青める北上の......」の歌碑から見おろす川岸には大きな枝垂れ柳が数本生えていたが、あとから歌に合わせて植えたものかも?



2014年8月19日火曜日

中込学校と龍岡城五稜郭

八月上旬、友人夫妻を案内して佐久地方の旧蹟を訪ねた。同地の中込学校は松本の開智学校ほどの知名度はないし、訪問にも県都松本ほど便利ではないが、明治初期に建てられた和洋折衷の建築は独特の優美さを備えているし、太鼓楼と呼ばれる中央の塔の天井には世界の有名都市の位置が描かれている。私自身は再訪だったが、当時の住民の子弟教育と海外知識への熱い思いを感じさせる場所である。ところが二十数年前の記憶を現在の私に求めても無理なのか、中込学校はなかなか探し出せなかった( 車のナビゲーション・ガイドは実に便利な機器だが、肝心な時に反抗する! )。やっと探し出すと学校は回収工事のため閉鎖中でがっかりだった。

そこでもう一つの目的地、五稜郭を目指したが、またしてもナヴィの反抗のため到着まで悪戦苦闘だった。五稜郭といえば函館のそれが有名だが、ここ佐久市の龍岡城五稜郭は幕末のほぼ同じ時期に造営された日本で唯二つの五稜郭の一つである( 規模は比較にならないほど小さいが )。敷地内にその後小学校が建てられたため遺構の半ばは失われたが、残された部分は確かに小さいながらヨーロッパ直伝の五稜郭である。外国軍の侵攻も考えられないこんな場所( 失礼! )に何故、しかも物情騒然たる幕末に、多額の資金と労力を築城に費やしたのかが不思議だった。

その疑問は傍らの小さな資料館を訪ねてある程度了解した。比較のためのヨーロッパの各地の五稜郭の写真も楽しかったが、藩主は家康と同祖の松平家であり( 幕末、老中や陸軍総裁を勤め、維新後は伯爵 )、軍事を含めたフランス文明への憧れを強く抱いていた開明的な?藩主だったので、三河の小さな領地からより大きな佐久の領地に本拠を移したのを機に新たに築城したという。フランス人の助力を仰いだとは書かれていなかったが、文献だけで築城できたのであろうか。地味ではあったが一見の価値はあった。他に見学者は無く、唯一人の館員(ボランティア?)にお茶をいただいた。まことにささやかな見学の旅だったが、幕末明治期の日本人の進取の気性は感じ取れた旅だった。

2014年8月14日木曜日

日露友好は双方の利益

ロシアが国後、択捉あたりで軍事演習をするというので新聞は上段トップ扱いである。それほど大きな扱いをする事態であろうか。他に大きなトピックが無かったからというのなら人騒がせである。 
演習が大規模であればあるほど計画はかなり前から立てられているはず。ウクライナ問題での対ロ制裁に日本が参加したことへの反発が原因とは言い切れない。予定された通常の演習かもしれない。

冷静に考えれば、日露間には北方領土問題を除けば大きな対立点はなく、逆に経済的には強い補完関係にある。シベリア開発を進めたいプーチン大統領が日本との関係悪化を望むはずがない。日本の対ロ制裁参加に対して彼が懸念を示し、「よく分からないのは、日本が( 領土 )交渉を中断するのかということだ」と語ったのを脅しであるかのように解説する報道もあったが、どうか自分を失望させないでくれとのプーチンの訴えと理解すべきである。欧米の農産物の輸入差し止めに日本産品を加えなかったことは明らかな意思表示ととれる。

ウラル以東のロシア( シベリア、極東 )では経済が停滞し、人口が減少している。他方、中国は経済は拡大し人口は十三億人を数える。しかもロシア極東地域の多くは嘗て清国の領土であった( ウラジオストークも)。中国がそれを忘れているはずもない。シベリア開発の遅れはプーチンにとり悪夢と言って良い。ロシアは今は米国の圧力に抵抗して中国との友好を誇示しているが、それを真に受けるのは愚かである。

安倍首相はソチ・オリンピックに西側大国でただ一人出席した。プーチンがそれに感謝していることは間違いない。彼は北方領土問題を「引き分け」とも「フィフティ・フィフティ」とも表現して解決を要請している。彼の本心が二島返還なのか三島返還なのか( 択捉島だけで面積は50%を超える)は分からない。楽観は出来ないが、彼が将来を見据えて北方領土問題にけりを付けたいことは疑いない。明らかなことはプーチンが退場すれば二島返還を決断する力と権威を持つ後継者は考えられないことである。米国は嘗て鳩山一郎内閣時代、日ソ領土交渉の二島返還での解決を、それなら沖縄を返さないと言って流産させた。それを繰り返させてはならない。日露友好は米国にも不利益ではなく、中国の台頭を考えればむしろ利益であることを日本はねばり強く説得しなければならない。

2014年8月11日月曜日

もっと自然体で!

台風で延期されていた高校野球大会の開会式で、作新学院の中村主将が選手宣誓をおこなった。かつての選手宣誓は毎年ほとんど絶叫口調で、そのため時には内容が聞き取れない程だったが、近年はだんだん絶叫度が低下していた。今年の選手宣誓は語りかけるような口調で、内容ともども大変好感が持てた。

諸外国のスポーツ大会での選手宣誓は聞いた記憶が無く、そもそも存在しないのかもしれない。仮にあったとしても、記憶に無いのは絶叫調ではないからではないか? 日本人は天孫民族ではなくテンション( 緊張 )民族だと嘗て言われたことがあるが、儀式などになると過度に形式ばる精神的土壌があるようで、その結果が絶叫調になるのだろう。もっと自然体が望ましい。



自然体と言えば我が国では特に政治家や役人など公人の発言は、本音よりも建前を語ることを強いられ、自然体はなかなか許されないようだ。
以前、英国のエリザベス女王の出席するパレードの警備隊長が「百パーセントの安全はあり得ない」と語るのを聞いて一驚したことがある。日本ではまず考えられない発言で、そうした発言はたちまち不謹慎な問題発言として叩かれるだろう。恐らく隊長の職を免ぜられるだろう。しかし考えてみれば、公衆の面前でパレードをすれば何れほど警備を強化しても絶対の安全などあり得ない。当然のことを言って問題視されるとすれば問題視する方がおかしい。人前では建前しか語れず本音は内輪だけでというのは健全な社会ではない。選手宣誓は確実に進歩した。精神的土壌も後に続いて欲しい。

2014年8月10日日曜日

従軍慰安婦問題の捉え方

朝日新聞が従軍慰安婦問題についての自社の過去の報道の検証結果を発表した(8月5,6日)。主な訂正は、植民地朝鮮で慰安婦要員を人狩りして集めたという吉田清治の主張は事実無根だったのに、当初事実であるかの様に報道したこと。女子挺身隊と従軍慰安婦は別の事実なのに同じものであるかの様に報道したことなどである。
過去の報道の検証自体はメディアとして健全な行為であり、他の報道機関も大いに見習って欲しい。しかし、吉田証言の虚偽性も女子挺身隊員と従軍慰安婦の混同もずっと以前に認識していた筈。それなのに前者は「真偽は確認できない」などとぼやかし、後者も訂正することなくこれまで放置してきたこと(その結果、吉田証言が国連人権委員会報告に取り入れられたこと)への真剣な反省は見られない。他社も同じ報道をしたなどというのは言い訳に過ぎず、口火を切った側の責任がそれで軽減されることにはならない。ある時点から「強制連行」という表現を「強制」に改めたと言ってもどれだけの読者がその違いに気付いただろうか。強制についても慰安婦に移動の自由が無かったことをもって強制の証拠としているが、日本軍の中国大陸支配は沿海部から遠ざかるほど点と線の支配になり、面の支配ではなかったことは常識であり、慰安婦が身の安全を考えて移動しないのは自然である。金銭目的の慰安婦の場合も日本軍から離れないのは当然である。事実、上海では慰安婦が廃業して帰国したという。

これは朝日新聞の造語ではなかろうが、「性奴隷」との表現を再三紹介し、市民権を得させた( ? )ことは上記の二点に劣らず問題であろう。旧日本軍が戦場や占領地で現地女性に性的サービスを強制したことは紛れもない事実である。しかし韓国が糾弾している事態との同一視は如何なものか。
「熱海殺人事件」や「蒲田行進曲」の作者として知られる在日コリアンのつかこうへい氏に 「娘に語る祖国」全二巻があり、第二巻は「満州駅伝ーー従軍慰安婦編」(光文社、1997)。そこでは日本軍兵士と韓国人慰安婦が満州で開催した駅伝大会が紹介されている。事実というより創作と考えられるが、創作ならばなおのこと「性奴隷」説へのやんわりとした反論と言える。奴隷と奴隷使用者( ? )が駅伝大会に協力するとは考えられないから(「取材してゆくうち、従軍慰安婦が必ずしも悲惨でなかったことを知りました」)。
つか氏は常に「一番弱い人の立場」に立つことを心掛けていると言う。私は兵士たちこそ奴隷、野獣や同僚を倒すまで闘わされた古代ローマの剣奴そのものだったと考える。それに対し慰安婦たちが抱く感情が憎しみだったとは考えにくい。それを暗示するためにつか氏は駅伝大会を考えたのであろう。
朝日新聞は上記二点(人狩りと挺身隊)以外はその立場を改める必要は無いとする。しかし近年の韓国の反応は予想外だったのではなかろうか。全く相反する立場の秦郁彦氏と吉見義明氏の論評を併載したのは一見公正だが、自社のこれまでの立ち位置を微妙にずらし始めたとも考えられる(秦氏をこれまでこの問題で起用したことはなかった)。吉見氏が今回の朝日の検証を「被害者に寄り添う姿勢が紙面からうかがえない」と批判するのは朝日の変調を鋭く感じ取ったとも解される。世論調査にうかがえる最近の日本人の対韓感情の悪化を大新聞は無視できないということだろうか。