2014年7月30日水曜日

羽田空港の防音対策は?

羽田空港の海外便の増加にともない、都心上空を飛行コースに加える案が検討されており、その場合のコース下の住民の安全と騒音被害が懸念されるという。

墜落事故などによるコース下の住民の危険については、それほど心配する必要は無さそうだ。ロンドンのヒースロー空港への降下コースはタワー・ブリッジやロンドンの観光名所を下に見る。旅客機の安全性はその程度には達しているのだろう。しかし、騒音被害はレンガ造りや石造りのロンドンと木造住宅の多い東京とでは全く違うだろう。少なくとも伝えられるように一時間に20便から40便ともなれば各戸への防音工事は必要で、しかもその数は半端ではあるまい。その費用も莫大となろう。

拙宅は自衛隊立川基地の南にあり、ヘリコプター編隊が上空を飛ぶことがたまにある。そのときテレビを見ていると音声聴取は不可能になり、本当に腹が立つ(自衛隊アレルギーの無い私さえ! しかも災害時には東京西部の防災拠点になるというのに)。騒音被害が拙宅とは天と地ほども違う普天間基地のある宜野湾市民の不便と腹立ちはどれほどか。辺野古への基地移転を仲井真知事が同意したとき、宜野湾市長が同意を歓迎したのは私にはよく理解できた。市民の代弁者たるべき市長として言わずにはいられなかったのであろう。

以前、首都圏の第三空港として茨城空港の活用を本ブログで提案した( 新聞の投書欄にも 。ボツになったが )。確かに利便性では羽田空港に到底及ばないし、成田空港にも負けるだろう。しかし航空会社にとり空港利用料は安いし、利用者には1400台( ? )の無料駐車場は有難い。便数さえ増加すれば利用者は北関東居住者を中心に大幅な増加を望めるだろう。しかも現在までのところ茨城空港の騒音への反対は全く聞かない。現代の空港にとってこれは巨きな利点であろう。一考( どころか二考三考 )の価値があるのではなかろうか。


2014年7月28日月曜日

不安な中国産食品への対策は?

中国産の食肉製品のずさんな衛生管理が問題になっており、大多数の日本人にとっても無関心では居られない事態である。中米関係への不満から米国資本の企業を狙い撃ちにしたとの推測まである。そこまで疑うのが正しいかどうか、私にはわからないが、そうではないとしても純中国企業であれば摘発の影響は中国人の地方幹部にまで及ぶ可能性がある。報道対象の選定にあたり何らかの配慮が働いた疑いがある。

我々が無関心でいられないのは中国産食品が既に我々の食生活に大きく入りこんで居るからである。それも野菜のように産地表示が比較的容易な場合はともかく、加工食品となると対策は殆んどお手上げである(幸い日本の進出企業の場合、米系企業よりは生産現場の管理は厳しいと聞くが)。

根本的長期的には中国人の安全感覚の向上に期待するしかないが、我々も地産地消に努めるべきだろう。日本産が多少価格が高くともある程度甘受すべきだし、それにより日本の第一次産業の維持に貢献できる。そうなれば安全性の高い日本の農産物の需要は世界(少なくともアジア)に拡大するだろう。貿易自由化を法的に阻止するには対外的に限度があるし、消費者の利益に必ずしもならないが、国民の自発的選択ならば他国も文句を言いにくい。世界人口の一層の増加が予想される現在、フード・マイレージ(食物の生産地と消費地の距離)の拡大を阻止することは意義がある。

2014年7月24日木曜日

大相撲とナショナリズム

豪栄道が全勝の白鵬を倒し、つづいて琴奨菊が日馬富士をやぶると沢山の座ぶとんが舞った。両横綱がモンゴル出身であることがどの程度この興奮に貢献したのだろうか。

数場所前( ? )、連勝を続ける白鵬が敗れたとき、会場の熱狂が白鵬を愕然とさせた(と彼自身が語った)。大相撲を心から愛し、それを一人横綱として支えてきたと自負する白鵬が愕然としたのは無理もない。それを外国人ゆえと彼が受け取ったとしても不思議ではない。 
しかし、白鵬に知ってほしいのは相撲ファンとして一人の力士ばかりが勝ち続ければ面白みがない事は外国人力士に限らない。むかし、北の湖が勝ち続けた頃、「憎らしいほど強い」と評された 。その表現には、これでは意外性に欠け面白くないというファンの心理が反映していたのではなかろうか。事実、私自身、日馬富士や鶴竜にはあの体でよく頑張っていると思いこそすれ、負けて欲しいとは思わない。旭天鵬が優勝したとき、日本人の多くが心から祝福したと思う。彼の人柄と、昨日幕内残留がほぼ決定したとき「だいぶホッとしたよ。第一目標はこれだから」と言った彼のユーモアも与って力あっただろうが。

それでも私自身双葉山と大鵬の連勝記録だけは白鵬にも誰にも(日本人でも)破って欲しくない。そこにナショナリズムが皆無だとは思わないが、二人は張り手で試合を有利にしようとはしなかった(双葉山の試合の記憶は定かでないが、相手が時間前に突っかければ必ずそれに応じて立った彼が、張り手を多用するはずがない)。張り手も四十八手のうちには違いないが、横綱が下位力士に使うのは潔くない。他の点では二人に並んだ白鵬には人格でも先輩二人に並んでもらいたい。

2014年7月19日土曜日

ウクライナとガザ

ウクライナ問題は解決に向うどころかマレーシア航空機撃墜という惨事まで惹き起こしている。政府軍と親ロシア派民兵の武力抗争も愚かで、現地住民にとって災厄そのものだが、それでも赤の他人(他国民)に迷惑をかけたわけではなかった。今回は手違いとはいえオランダ人やマレーシア人といった全くの他人を巻き添えにした点で悪質度は一段と進んだ。
犯人はまだ特定されたわけではないが、親ロシア派のミサイルであることはほぼ決まりつつあるようだ。ロシアが供給したミサイルかどうかはまだ確かではないが、その可能性も大きい。オバマ大統領がロシア非難を強めたのもやむを得ない。
ロシアはせめて事件を奇貨(使いたくない言葉だが)として親ロシア派に、交渉による解決を強力に迫らなければならない。ポロシェンコ政権は曲がりなりにも選挙の洗礼を受けた政権であり、その正統性は否定できない。

航空機撃墜事件でやや後景に退いた感もあるが、ガザのハマス勢力とイスラエルの衝突もいちだんと悪化し、ガザ住民の死者数はマレーシア機のそれに迫りつつある(負傷者はそれに数倍する)。パレスチナ住民とイスラエルの紛争は少なくとも数十年をけみし、それを抜きにして責任を論じることは出来ない。しかし、彼我の力量を冷静に考量するのも政治家の役割である。少なくとも、両者の犠牲者数が二百数十対二という大差である現在、ハマスのミサイル攻撃が住民のためになっているとは思えない。エジプトの休戦提案をハマス側が拒否したが、住民が拒否を望んだとは到底思えない。問題の解決はひとまず交渉に委ね、力量(政治的力量を含め)を涵養することに努めるのは敗北ではない。

2014年7月14日月曜日

蜜柑の木の裏切り?

自宅の庭の温州みかんの木に今年は数個しか小さな実がついていない。これまで二十年ほどの間に多い年は百數十個、少ない年でも二十個は成ったので大異変である。

もともと植えたかったのは美観目的の夏みかんの木だった。冬枯れの庭にリッチな印象?を与えたかった。伊豆の東海岸を貫く135号線にはみかんの売店が数多くあり、いくつかの店には鉢植えのみかんの木が売られているのは承知していた。ところが、たまたま訪れた際、温州みかんの木しかなく、何も買わないよりはとそれを買って植えた(翌年夏みかんの木も)。寒い東京で大した期待はは持たなかった。ところが二三年経つと実をつける様になった。食べる直前に収穫するのでけっこう甘く、何より新鮮である。そこで以後温州みかんにだけは何かしら肥料を毎年与えた。何より東京でみかん栽培?できると自慢したかった。

ところが夏みかんと一口ゆずの木には年による収穫の変動はなく、近年は持て余し気味なのに、みかんの収量?は当たり年とそうでない年の差が大きくなった。温暖化の影響かとも思ったが、それならむしろ有利になったはず。今も原因は掴めないが花粉を運ぶ昆虫(蜂? 蝶?)の減少かとも思っている。もっとも夏みかんとゆずに変わりはないのでこの説もあやふや。むしろ両者に昆虫を横取りされているのかも。

考えてみれば美観という最初の目的は完全に達成された(夏みかんは驚いたことに去年の実と今年の青い実が同時に木につくほど息長い)ので、嘆く理由はないはずなのに。人間の欲望(私の?)は限りない!

2014年7月10日木曜日

日仏どちらに住みたいか?

新聞の日曜版「ザ・グローブ」(7月6日)にパティシエとしてパリで働く日本人女性への短いインタビューが載っており、自分の体験(合算しても一年に満たないが)と比べて合点がいった。

彼女の違和感の第一は、日本人の衛生感覚とフランス人との違いで、床を洗った黒い水を製菓道具と同じ流しに流すこと。確かにパリではバゲットを包んでくれる紙は直接パンに触れないだけの小さな紙切れ(ときに新聞紙も)だったし、アパートのエレベーターの古く変色しているボタンを若い女性がバゲットの先端で押した(さすがに苦笑したが)。
「スリが多いので高いものは持たなく」なったとは、観光客でも同種の忠告(夜遅くメトロに乗るなとか)をされた人はいるだろう。「役所の窓口はおしゃべりしていて対応が遅いし、人によって言うことが違う」というのも私の経験とピッタリである。日本に封書を送ろうとすると、郵便局の窓口の要求する切手代が人によって違った( ! )し、小さな局で一つの窓口に長い行列が出来ても、他の窓口の係員は手持ち無沙汰に座っているだけ。助けようともしない。「優雅なイメージとはかけ離れた日常生活」で、「日本は素晴らしいです」とは実感通りであろう。

しかし、「うれしいのは長期休暇がきちんと取れること。夏は店ごと休みで4週間。冬でも1週間」。フランスで結婚し、出産を控えたこの女性にはその有難さは半端でないだろう。過労死が頻繁に報じられる国の国民を我々はいつ卒業できるのだろうか。
どちらの国に住みたいかの答えは単純ではない。フランスと日本がお互いの長所を取り入れることをいつか可能にしなければならない。

P.S. 前々回のFlamndersはmが余計でした。この頃は手が勝手に間違える!!

2014年7月5日土曜日

北朝鮮の本気度

拉致問題を始めとする北朝鮮との間の諸懸案を解決するための日朝交渉がようやく始まった。拉致家族だけでなく全国民にとっても交渉の進展は悲願であろう(私は全国民の悲願などという言葉を軽々しく使いたくも聞きたくもないが、今回はその禁を解きたい)。交渉は始まったばかりで楽観を許さないとはいえ、私は好結果の可能性は十分あると思う。

その理由は北朝鮮が国民に対してこの交渉開始を日本側と同じ言葉で公表していることである。交渉の進展を望んでいなければ、そうはしないだろう。彼らが本気だと判断するゆえんである。本気である理由は身勝手なものが大半であろう。経済的苦境の打開は無論最大の理由だろうし、米日韓の連携に亀裂を生じさせること、さらには中韓接近への腹いせさえ考えられる。しかし理由はどうあれこの機会を逃してはならない。そのためにはどんなに正当な要求であっても過去の責任の追及に固執してはならない。

金正恩主席にとって父親の犯罪を一部でも認めることが大きな一歩であること(どうせ部下に責任転嫁するだろうが)を理解すべきである。その責任を追及して彼の面子を失はせて得るものはない。相手の好ましい方向への変化を促進することが他の何よりも優先されるべきである。彼は建築中のマンションの崩壊事故の責任者に住民への謝罪を命じ、その事実を公表させた。従来は考えられない処置である。これを過小評価すべきではない。外交の第一の目標は相互の関係の改善であるべきで、過去の責任の追及にこだわってはならない。