2025年1月31日金曜日

ポツンと一軒家の魅力

  テレビ東京の週一回の番組『ポツンと一軒家』を毎回愛聴している。私自身は都会人で地方の実情を多少とも知りたいと思うことも一因だが、それを抜きにしても山中に孤立して住む人たちの生活力や勤勉さに毎回心を打たれるからである。

 毎週見るたびに、先ずわが国土がいかに山がちであるかと感じ入る。そこに設置された道路は無論狭い。それでも奥地までの道路は舗装されていることが多く、ガードレールが設置されている場合も少なくない。地方当局も住民の離村を防止するため努力を惜しんでいないことがわかる。それでも現在の「ポツンと一軒家」もかつては何軒かの集落の一部だったケースが多い。どの家も自動車(軽トラが多い)を所有しているが、それでも離村の大勢は阻止できなかったということだろう。

 何よりも感心するのは住民(ほとんど老人)の器用さ。そもそも家自体を改築した人が少なくないが、祖先伝来の家屋でも内部はかなり改装されているし、大きな工事以外はほとんどが独力での階層である。その勤勉さには頭が下がる。

 山中に残るにせよ、平地に移住するにせよ、残りの人生の多幸を願わずにはいられない。

2025年1月29日水曜日

移民難民と国家主権

  トランプ米大統領が南米コロンビアからの「不法移民」の軍用機での強制送還を企てたのに対し、コロンビアのペトロ大統領が当初受け入れを拒んだ。しかし、米大統領が「コロンビアからの全輸入品に25%の関税をかける」とSNSで発表するとコロンビアは態度を改め、送還を受け入れると決めた。

 メキシコとの国境を越えて米国に不法入国する人たちはメキシコ人では必ずしもなく、中南米諸国からの移民や難民が主だと聞く。米国自身が移民が建国した国だったが、現代の難民移民は自国の政治の混乱(というよりも破綻)により生活を脅かされるばかりか、生命さえ脅かされていると聞く。むろん同情に値するが米国に入国する権利はないだろう。

 中南米諸国はおよそ二百年前、ヨーロッパがフランス革命やナポレオン戦争で多難な時期に相次いで独立を果たした。なかでもハイチはフランス革命の影響下に世界史上初の黒人共和国として誕生した。しかし現在のハイチはギャングの支配下にある。難民として認めよと言われても米国としても「はいそうですか」とばかりに同意する訳にもいかないだろう。

 移民難民の流入に直面しているのはヨーロッパ諸国も同様である。EU諸国では難民の権利が認められており、彼らがチュニジアの沖20〜30キロのイタリア領の小島に上陸すればEU諸国は彼らを保護しなければならない。これではヨーロッパ諸国で極右諸党が国民の支持をますます集めるだろう。ヨーロッパのトランプ化である。私には理想主義の陥りやすい陥穽としか思えない。

2025年1月28日火曜日

これでも死刑廃止は正義に叶うのか

  京都アニメーション(京アニ)に放火して36人を死に追いやり、32人に重軽傷を負わせた犯人青葉真司の死刑が確定した。本人がすでに控訴を取り下げていたとのことで、本人にとって意外なことは何もないだろう。

 これほど巨きな被害を生むとは本人にも予想できなかったろうが、たとえ被害が現実の十分の一であったとしても到底許されない巨悪という他ない。

 昨今国際社会から、と言うより欧米諸国から我が国の死刑制度への批判が高まっていると新聞などが我が物顔に報道しているとか。我が国の記者たちはこの放火事件を前にしても、そう信じるのだろうか。

 死刑制度に誤審が皆無とまでは言えない。しかしこれほど明快な事件に対しても死刑反対論者たちは主張を変えないのだろうか? 世界がどう言おうと先進国がどう言おうと私には死刑廃止論は犠牲者をないがしろにする主張としか考えられない。

2025年1月19日日曜日

ガザの平和を願う

   ガザ地区を支配するハマスとイスラエルの間に期間限定ではあるがとりあえず休戦が実現しそうだ。大変喜ばしく、4万数千人の死者と目を覆う国土の荒廃の後とはいえ何とかその後も休戦が続いて欲しい。しかし、休戦の報道に文字通り狂喜乱舞するガザの住民たちを見ていると複雑な気持ちとなった。なぜ住民たちはハマス指導部に対して休戦要求のデモが出来ないのか。それをすればどんな目に遭うか分からなかったからではないのか。他方のイスラエルでは政府に自国民の人質解放を優先するよう要求する数千人のデモが2回あったと聞くのに.............。

  もちろん人質を解放したところで和平が進展する保証はなかったろう。それでも先に行動を起こすのはハマスであるべきではなかったか。これではイスラエル軍によるハマスやヒズボラの指導者の暗殺作戦の成功が彼らの変化の原因だったとの疑いが消えない。

 アラブとイスラエルの数次にわたる戦争の詳細を私も知らなぃ。しかし、エジプトのナセル大統領によるシナイ半島の占領が発端の第三次中東戦争の際に私は在英中だった。英国の報道陣がシナイ半島東端のエイラート港をイスラエルが失えば(スエズ運河はすでにエジプトの支配下にありイスラエル船の利用は不可能だった) 、同国はアジアとの交易が不可能になるとの質問にナセルは沈黙を守った。それが目的なのだから答えようがなかったのだろう。その後、イスラエル軍の反攻に敗れたナセル大統領は失脚した。私には、休戦に追い込まれた今回のハマスのケースと二重写しになって仕方がない。

2025年1月17日金曜日

発展途上国近代化の難しさ

  NHKのテレビ番組『メイド・イン・エチオピア 一帯一路の最前線』を録画で見た。エチオピアに近代的工場を建設するため派遣された中国人女性の4年間の苦闘の記録である。

 エチオピア政府の工業化計画に中国が協力して既に建設された工場を倍増するため広大な用地の開発が計画された。しかし、農民主体の住民にとっては天から降ってきたような開発であり、「我々をさらに貧しくするだけ」と受け取られる。エチオピア政府(そして背後の中国政府)のための交渉を担当する中国人女性の苦闘に終わりはない。

 この番組を見ていて明治政府の殖産振興、とりわけフランスの協力のもと安中に立ち上げられた製糸工場(わたしも見学) のことが頭に浮かんだ。同地には名家の子女も含めて各地から若い女性が労働に従事したと聞く。この違いは何なのか?

 自国の工業発展を目指すエチオピア政府も、アフリカ進出の一環としてにせよ同政府に協力する中国も非難できない。それでもエチオピアと明治日本のこの違いは教育がどの程度国民に浸透していたかの違いなのか。私は門外漢だが徳川期の国民(領民)教育の水準はかなりのものだったと聞く。

 子供を父母に預けて異国で無理解や反発と闘う中国人女性には同情を禁じ得なかった。

2025年1月15日水曜日

いちごの収穫の季節

  私の青少年時代、いちごは晩春から初夏にかけてのフルーツだった。私自身、庭の片隅で収穫した記憶がある。ところが何時ごろからかクリスマスや正月のフルーツとなっている。

 今日テレビで石油製品の値上がりを報じていたが、ある温室いちごの大規模栽培の場合、温室を温めるための石油燃料の費用はこれ迄も高価だったのに60万円ほど余分の出費となるという。

 クリスマスや正月に新鮮なイチゴを食することに私は反対しないが、その頃しか店頭に見掛けないのはおかしい。今のイチゴはまるで宝石のように美しく飾られているが、その分美味しくなってはいない。昔はよく「贅沢をするとバチが当たる」と言われたが、自分の金で食べるのに文句があるかと思う人が多数派なのか? 少なくとも自然な収穫時期にも提供されるべきと考える私は今や変人なのか!

2025年1月2日木曜日

池上彰氏の奮闘

  最近のテレビや出版物での池上彰氏の活躍の目覚ましさは皆さんもご存知の通りだが、新年初日から長時間の解説番組『元旦初解説 2025年はどんな年に』で高橋克実氏や久本雅美氏を相手に長時間司会をされたのには感心するばかり。

 番組では最初に今年開催の大阪万博が取り上げられた。国民は無関心といった大手メディアの批判的記事の多さにもかかわらず、私は今後の開催までや開催中には状況は変わるのではないかと予想する。木製の円形の施設も、あれほど大きな必要はあったかとは思うが、豊かな森林を持つ開催国日本の施設として私は高く評価する。

 トランプ氏の大統領再選も無論話題に取り上げられた。私自身、対立候補との間にあれほどの大差がつくとは予想しなかったが、池上氏が訪問した最近の米国のインフレの激しさからすれば、民主党が国民の信頼を失ったのも理解できた。民主党政権の勤労者重視の言説も実態が伴っていなかったということだろう。

 プーチンのロシアとトランプのアメリカでは両国間の緊張激化の可能性もあるが、両人とも民主主義や人権を声高に唱える人たちへの嫌悪という点では驚くほど似ている。2025年は案外米露間のイデオロギーがらみの対立は緩和するのではないか?そう願いたいものである。