前々回のブログでコンゴのことをコンゴーと書いたので前回の末尾に訂正したら、今度はトルコー、トルコとダブルミスを犯してしまった。記憶力の低下かくの如し! ああ!
2024年11月25日月曜日
大谷人気にすがる?
午後のいつもの時間に夕刊が配達されたら、全4ページの大谷特集の号外も付いてきた。都心で号外を配るテレビニュースを見て郊外生活を恨めしく感じていたが、前半の2ページは街頭配布の物と同じではないか?兎も角も有難いサービスである。
実は今シーズン前の昨年11月28日の『東京新聞』の読者投稿欄に「大谷の真摯な姿に感服」との題で私の投稿が載り、同学の後輩と今は亡き友人の奥方のお二人から読んだとの葉書をいただいた。投稿が載ったのは満足だったが、「民間親善大使 大谷」との私の題が変えられていたのはチョッピリ残念だった。実際かれほど日米親善に貢献している邦人が居るだろうか?
もう一つ有り難かったのは無職としてではあるが私のフルネームと年齢が読者に知られたこと。私は終戦の1年前の小学5年生の時に東京から愛知県に転居したが、当時は学童疎開の真っ最中で、混乱の中で5年間も一緒だった旧友たちに挨拶も出来なかった。戦後も7年後に大学に入学して上京したが、旧同級生とは2人した再会できなかった。私の名前は珍しいほうなので旧同級生が年齢と名前を知ったら思い出してくれるのではとの切ない思いもあった。だから戦争被害者だなどと言う気はないが.............。
追記 前回のブログにトルコのことをトルコーと記していた。恥ずかしいかぎり!
2024年11月24日日曜日
狩猟採集民族の運命は?
昨日録画したNHKテレビの定期番組『地球ドラマチック』の「冒険家 コンゴーを行く」を見た。1人の英国人の冒険家がコンゴーのジャングルの中の原住民の集落を訪ねた記録。私はコンゴー共和国について写真すらほとんど見たことがないが、首都のキンシャサなどはビルが立ち並ぶ現代都市なのだろう。しかし、同じコンゴー共和国でも今回は密林の中で頑固に昔ながらの狩猟採集生活を営む「ムベジュレ族」の探訪記である。
戦前戦中の我が国では腰蓑を身につけた南洋の住民が登場する『冒険ダン吉』という漫画があった。ムベジュレ族もほぼ同じで、上着を身に着けているのは住民のほぼ半数程度。森の中の動植物だけを食して生活している。世界の未開民族の中には他の部族との殺し合いもあるようだが、ムベンジュレ族は助け合って平和に暮らしているとのこと。しかし支配民族のバンツー族の圧迫を受けているとか。
我が国でもかつてアイヌ民族が圧迫された歴史がある。我々には狩猟採集民族は農耕牧畜民族よりも遅れた民族であるとの思い込みがある。しかしその土地の特性に左右されることもあろう。ともあれ、ムベジュレ族の幸せを祈りたい。
2024年11月20日水曜日
現代詩の良さが分からない!
詩人の谷川俊太郎氏が亡くなられた。新聞各紙も大きく取り挙げているだろうが、『朝日』の場合、3ページにわたり各ページ大きく取り挙げている。私の知る限り死去に際してこれほどの扱いを受けた詩人を知らないし、小説家でも例が無いのではないか?
それなのに私は彼の詩に親しんだことはほぼ皆無。『鉄腕アトム』の作詞者であることも今日はじめて知った。それだけでなく、断片的に記事に引用されている詩の良さも全く分からない。要はお前に文学鑑賞力が乏しいのだと言われればそうなのだろうが、それでも『古今集』あたりからの古歌に感動することは少なくないし、明治以後の藤村らの近代詩も同じ。ただし、近代以降の不定形詩では萩原朔太郎をほとんど唯一の例外として良さが分からない。
私がこれまでに入手した唯一の現代詩集は朔太郎の『月に吠える』ぐらい。それも日本の近代文学の数十冊ほどの完全復刻版(同じ装丁)中の一冊でしかない。それらももう読み通す自信も無くなり、文学好きの後輩の某君に全冊譲った。所詮門外漢だったということか。
2024年11月11日月曜日
日露間の二つの戦争
第二次世界大戦前に生を受けた日本人なら誰でも知っている唱歌の一つに『水師営の会見』がある。長く激しい攻防の末に陥落した旅順要塞戦の末に乃木将軍がロシアのステッセル将軍の降伏を受ける式典の様子を歌うバラード調の歌は相手への思いやりに満ちた歌詞(佐々木信綱)と哀調を帯びたメロディ(岡野貞二)が心に沁みる(乃木将軍の2人の息子はこの戦いで戦死)。もっとも、歌詞にあるステッセル将軍の愛馬を乃木将軍が貰い受けるエピソードを中国人の現地ガイドは、降伏すれば一切の所有物は相手国のものになるのにと馬鹿にした口調だった。日露両国が中国の土地を勝手にやりとりすることへの反発だったのか?
今夏に出版されたばかりの麻田雅文『日ソ戦争 帝国日本の最後の戦い』(中公新書)を入手して読んだ。1945年のソ連参戦後の満州や千島を舞台に日本人居留民や日本兵たちの苦難。それを強いたソ連軍の暴挙の数々はすでに多くの証言で明らかになっているが、豊富な資料に基づく本書は、倫理感覚を欠く独裁者のもとの国民の堕落の深刻さを明らかにしている。帝政のもと、ステッセルは最後まで戦わなかったとの理由で帰国後死刑判決を受けたがのちに禁錮十年に減刑され(乃木将軍の働きかけもあったとも聞くが真偽は不明)晩年は市井の人として生きたとのこと。スターリン独裁のもと、ロシア人は40年の間に逆に退化していた。
2024年11月7日木曜日
米国人はマッチスモが好き?
米国の大統領選は結果が確定するまで数日かかるとの予測まであったが、なんと即日にトランプ候補の勝利が確定した。大統領選挙人の数が多いので両候補が最後まで力を注いだ7州の全てでトランプが勝利したとは驚きである。私も事前の世論調査では「かくれトランプ」の力が反映されないとは思ったが、これほどの差とは思わなかった。
報道によれば、民主党政権下のインフレも選挙結果に多大な影響をもたらしたようだ。私も米国のマクドナルドのハンバーグが日本の同社のそれの3倍ほども高価と聞き、世界最強の食糧生産国なのにと不思議に思っていた。コロナ騒動の影響が我が国よりはるかに大きかったとは聞いており、バイデン政権の失政と一方的に判断できないが、やはり人気には打撃だったようだ。
私がこれ程の支持率の差を予想できなかった理由の一つは、黒人や中南米出身者らマイノリティや女性有権者の民主党支持は固いと考えたこともある。しかし、今朝のNHKテレビ番組によると、黒人のトランプ支持は9%に過ぎないとのこと。それに対して女性有権者の投票率はハリス53%、トランプ43%だったとか。これではハリスは大統領になれない。
なにしろ過去のテレビ番組でエンターテイナー的役割を演じていたトランプの人心をつかむ力は抜群だった。政治的能力に不足と思えないヒラリーの前々回の敗北と考え合わせると、米国人のマッチスモ(男性性の称揚)の根は深いのだろうか?
2024年11月2日土曜日
二つの修学旅行
秋は修学旅行の季節でもある。私の参加歴は2回。初回は自分の高校最後の年に関東地方へ。二回目は中学生の関西旅行の付き添い教員として。
私自身の中学時代は終戦直後の3年間だったので、修学旅行など考えられなかった。したがって愛知県の高校3年時に修学旅行と聞いたときは意外の感があった。東海道線を普通列車で上京するとき、雪をいただいた富士に同級生たちは感激していた。東京生まれの私でも本当に美しいと感じた(今では秋でもなかなか冠雪とはならないようだが)。その後は箱根の強羅温泉、東京、日光と移動。一緒にまわった友人たちも存命中はわずかである。
付き添いの教員としては東京の有名進学校の中学生の修学旅行で奈良と京都の社寺が中心で、私も初めての所が少なくなかった。当時の高校の世界史は5単位、週5時間だったが、その高校では二年生に5時間、三年生に2時間持ち上がりで教えるので2年目は余った時間を中学の授業と担任を務めた。その私学の制服が大変スッキリした印象だったこともあり、バスガイドは生徒たちの態度を大いに誉めてくれた。私は最後尾の席で生徒がトランプをしているのを知っていたので、冷や汗ものだった。
帰りの東海道線は荷物置き場が別になっている修学旅行専用車で珍しかった。生徒たちが富士山に感激した記憶はないので夜行だったのか? 付き添いの苦労というほどのこともなく、良い思い出となっている。