近ごろ、時代物のスイス製の高級腕時計が高値(むしろ超高値)を呼んでいるとはなんとなく聞いていた。今朝の朝日新聞の『多事奏論』というコラムに「資産になった高級時計」という文章が載っている。それによると一部の時代ものの高級時計の価格は何千万円にも達するという。 投機のための所持も多いのだろうが、高額の賃料を払って借りる人もいると聞くと高級時計そのものの魅力が大きいのだろう。
私はカメラは十台ほど所持したことはあるが、ライカM6を除きすべて実用のための道具としてだった。それでも白状するとオメガを2度入手したことはある。最初のものはアラスカのアンカレッジ空港の売店で入手した。まだソ連が民間航空に上空を開放していなかった頃、ヨーロッパへの往復はアンカレッジ経由が一般的であり、夏休みの何回かのフランスでの図書館通いで滞在費が余ったとき、空港の売店でオメガを入手した。しかし電池式はいっ時はネジを巻く必要がないとして流行だったが、一年か二年で電池を交換する必要があり、その後すたれた。その後日本でネジ巻き式のシーマスターを求め、長い期間所持した。しかし、特別に愛情を感じることもなく、電池式のそれとともに最近手放した。
けっきょく、時計に実用性しか求めなかった私に現在の高級腕時計ブームは理解不能ということ。今はただ、アンカレッジ空港時代が懐かしい。昔を今になすよしもがな。