2024年4月28日日曜日

 女性天皇で何がいけない!

  今朝の東京新聞に共同通信社による皇室に関する最新の世論調査の結果が載っている。それによると女性天皇への賛成は90%。女系天皇への賛成と「どちらでもよい」の合計が84%。天皇制自体については「あったほうがよい」と「どちらかと言えばあったほうがよい」の合計84%であった。

 私には至極当然の調査結果と読める。以前にもこの欄に書いたが、君主制の成立条件はやはり血筋ではないか。現在の天皇には直系の後継ぎが居られるならそれがベストではないか。伝統重視はひとつの道だが、過去にも女性天皇は複数おられたし、本格派の前のつなぎの(stop gap)天皇ではなかったと聞く。であれば、女性天皇は日本の伝統に反するわけではない。

 そうした過去もあるのに女系がどうの、遠い宮家からどうのなど、国民は何を言っているのかと思うばかり。大衆週刊誌での秋篠宮家や紀子妃へ失礼極まる記事が絶えないようだ。一刻も早く不自然な選択を断念すべきではなかろうか。

追記 ごく最近のこのブログに国スポ(旧国体)の存続の再検討を促す全国知事会長の発言が東京新聞に載っており、賛否はともかく他紙もこの問題を報ずるだろうと私は期待したが取りあげたのは『毎日』一紙だけだった。邪推ならよいのだが、新聞もテレビもいまや大きなコンテンツとなったスポーツ欄へのスポーツ界の反応を恐れて会長発言を無視しているのでは無いか?もしそうならジャニー氏の悪行を知りながら報じなかったことへの反省はどうなったのか。

2024年4月21日日曜日

 天野芳太郎氏の活躍

  今夕、TBSの『世界遺産』という番組に偶然チャンネルを合わせたら、「空から迫るナスカ地上絵の謎」を放映していた。同遺跡は我が国でも謎めいた遺跡としてかなり前から広く知られてきたが、最近さらに地上絵が多数発見され、しかもその発見に山形大学が多大な貢献をしているとの紹介が大きな部分を占めていた。

 ペルーのアンデス文明の解明に日本人の天野芳太郎氏が多年にわたり協力し、現地に高名な「天野博物館」を創設したことも良く知られている。しかし、同氏が第二次大戦中に米国の日系人収容所に入れられていたこと、交換船で対戦中に帰国し、反米的な著書を二つ発表したことはほとんど忘れられているようだ。

 天野氏は実業家としての海外での活躍を志し、日米開戦当時は中米パナマで志を実現しつつあった。しかし当時パナマを実質支配していた米国はパナマの邦人を捕らえ、米国内の収容所に入れた。同氏は日米交換船で帰国後、『我が囚われの記』(汎洋社  1943  中公文庫 1983)で日本人収容の不当性を訴え( ただし個人として米軍将校の善行も紹介)、さらに翌年、スペインによる征服に徹底的にあらがった原住民の紹介『南米史話 アラウカノ族のごとく』( 同社 1944)を出版した。なぜか両書とも我が家にあったので、くり返し読んだ記憶がある。そのため、戦後にアンデス文明の紹介者として天野氏の名を見ても同一人物とは直ぐには分からなかった。それにしてもスケールの大きい日本人として特記に値する人物だった。

2024年4月17日水曜日

家鼠との闘い

  家鼠が十数年ぶりに悪事を働いた。4日ほどの間隔をおいて家屋内の板戸が齧られた。食い散らかすという表現がピッタリで腹が立ったが、どこを通って「家宅侵入」したかが全く分からない。 

 ともかくも正攻法で闘える相手ではないので殺鼠剤を最初の被害後すぐ購入した。思わず人間様が口に入れたくなる様なピンク色の大豆ほどの粒で、初回は無視されたのが意外だった。しかし、2回目はかなり減っていたので万歳を叫びたかったが、死体がなかった。しかし、それから3日ほどのちの今日、庭先で一匹死んでいると家内が告げた。アリがたかっていたのも驚きだったが、それ以上に尻尾を除いた体長が数センチしかなかったのが意外だった。こんな小者が板戸2枚を齧ったとは.............。

 庭に埋めて一件落着となり、ホッとした。同情は起きなかった。私は冷血漢なのか!

2024年4月12日金曜日

 国民体育大会に存在意義はあるか

  昨日の東京新聞に「知事会長言及 国スポ(旧国体)の行方」「開催地に負担 廃止も一つの考え」との見出しの記事が載っている。やっと惰性に終わりが来るかと、村井嘉浩宮城県知事(全国知事会長でもある)を応援したくなった。

 戦後すぐの1946年から毎年開催されてきた国民スポーツ大会(旧国民体育大会)はわが国のスポーツ競技の振興に多大な貢献をしてきたのだろう。何しろ当初は外国での競技大会への参加は水泳など人気スポーツだけの特権だったから。しかし、その後多種のスポーツで海外の競技会への参加は当たり前になった。もはや国体の役目は果たされたと言えるのではないか。

 何よりも国体そのものが形骸化していないか。記事にもあるように1964年以降は開催県が38大会連続で天皇杯を獲得するなど輸入選手の活躍しか考えられず、優勝は開催県にとってノルマと化しているのではないか。本末転倒というしか無い。

 それだけでない。開催を機にスポーツ施設を新設するなど(ハコモノ主義)、すべての施設が本当にふさわしい規模なのか疑わしいケースもあろう。来年の開催県の佐賀県の総事業費は590億円とか。多いか少ないかは各人の価値観にもよるが、同県にとって最も差し迫った資金の使い方なのだろうか? ともあれ、村井嘉浩氏の問題提起がうやむやにならぬよう注目したい。

2024年4月7日日曜日

松江原発の再稼働は危険

  今朝の東京新聞の『こちら特報部』という欄に松江原子力発電所の活動再開可能性の記事がかなり大きく報ぜられている。再稼働に内心は積極的な行政側と反対派ないし慎重派が対立しているという。

 私は原理として我が国の原子力発電に反対はしない。東日本大震災でも牡鹿半島の女川原発は周囲に迷惑をかける事故は起こさなかったし、福島第一原発の場合も東京電力が堤防をあと数メートルケチらなかったら悲惨な結果を避けられた可能性はあったようだ。しかし、松江原発の再稼働には反対である。

 原発と松江市の距離は10キロメートル、クルマで30分しか離れておらず、避難計画が必要とされる30キロ圏内には約45万人の住民がおられるとのこと。同じように周辺人口の多い茨城県の東海原発とともにひとたび重大事故があれば影響は多大だろう。それだけではない。松江市には美しい松江城と小泉八雲の旧居がある。どちらも文字通り国の宝と言ってよく、壊れたら再建するといった話ではない。

 全国には原発を招致してでも地域の衰退を防止したいと考える自治体はあろう。それに口出しはしたくないが、日本と当該地域の魅力を構成するような文化遺産を原発の危険にさらしたくない。

2024年4月4日木曜日

AI化に追われる私

  毎週木曜日は多摩市の市立図書館はすべて休館になるので隣の日野市の高幡図書館に通う。ついでにその先の私設の魚市場に毎度立ち寄るのでマイカーで往復する。その帰りに広い駐車場のコンビニでこれまではちょっとした買い物をしていたが、最近店員では無く機械対応となった。新しいことを学ぶのは面倒なのでその後は路上駐車の近所のコンビニに場所を変えた。

 最近テレビの番組でアナウンサーが詳細はQRコードでと言う場面が多くなってきた。大変便利なものを発明したものだと考案者の功績には頭が下がるが、スマホを使わない私には役に立たない。どんな時代でも新技術の広汎な採用には利用できない者が不満を覚えるのは仕方がない。

 マイナンバーカードは夫婦とも作ってかなりになるが、一度も利用したことはない。しかし、AI技術に暗い私でもこれが行政の簡素化に資するだろうとは想像できる。発足時の不具合がメディアに叩かれたが、世の中には同姓同名で生年月日の同じ人がいたとのことなら我慢するしかない。どうせ私は長生きしてもあと数年なのだから(そんなに長く無い!)。