2024年2月28日水曜日

半世紀の逃亡の真の責任者は誰?

  ほぼ半世紀前の連続企業爆破事件の犯人の1人と見られる桐島聡が司法の追求を逃げおおせて形の上では自由のまま死んだ。しかし、何という寂しい死か。

 彼が所属した「東アジア反日武装戦線」は企業人10名近くを死に追いやった(他に負傷者多数)過激派集団であるが、桐島個人は殺人容疑ではなかったらしい。それなら損得でいえば自首しても重い刑にはならず、何年か後には刑期を終えて出所していたのではないか。死の直前、警察の追及に対し「後悔している」と答えたなら、それも有りではなかったか? 少なくとも国家権力への憎しみとはすでに縁切りしていただろうに。

 半世紀前、我が国で大学を中心に燃え盛った新左翼運動と東アジア反日武装戦線との関連は良くは知らない。しかし、ベトナム反戦運動をはじめとする同じ時代状況から生まれたとは感ずる。桐島聡らに犯罪を革命運動と教化した知識人たちは反省しただろうか? 

2024年2月24日土曜日

訂正

  前回のブログで親ソ派としたのはすべて親ロ派の誤り。失礼しました。

世代によるウクライナ評価の違い?

  ロシアによるウクライナ侵攻から満2年を迎え、新聞各紙もテレビ各局もロシアやウクライナの専門研究者たちの発言を載せている。以前から何となく感じていたが、研究者の年齢によってロシアを強く批判する若手と、ロシアへの全面的批判に踏み切れない年配者に分かれるかに見える。

 一昨日の朝日新聞の『交論』という欄に、若手の広瀬陽子慶大教授と年配者の塩川伸明東大名誉教授の2人の論考が載っており、どちらも無論専門研究を生かしたものだが、世代差を感じさせられた。前者の論旨はこの2年間の主流派メディアのそれ(むしろその形成に同氏も寄与した?)に近いので省くが、後者は10年前の「マイダン革命」を大半のメディアのように腐敗した親ソ派政権を打倒した民主主義革命と解する若手に対し、「不法なクーデターだという見方も」あるとし、「最終局面では暴力の要素が増大した」とする。

 私はロシアやウクライナの政治の門外漢だが、マイダン革命で権力の座を追われた親ソ派政権も国民の投票で選ばれていた筈。国民を怒らせた彼らの腐敗も現政権でも変わらず続いているようだ。メディアが物事を善と悪の対立と描きたがるのは毎度のことではあるが.............。

2024年2月15日木曜日

大学入試の多様化は万能か?

 今朝の朝日新聞は「変わる大学入試」との見出しで三人の識者の論考で現在の大学入試の状況を問題提起している。付図によると、2023年度の入学者は一般入試が48%、推薦が36%、 総合型(面接や過去の学校外の活動の重視)が15%のこと。選抜方法は学力テストが圧倒的に重要だった私の受験時代とは大きく異なっている。

 課外活動の重視など、この数十年間の学生選抜方法の多様化は入学者の多様化を促すと私も信じ、一定程度なら賛成だった。ところが識者たちによるとことはそれほど単純では無いとのこと。例えば入試科目と無関係な課外活動が評価される推薦や総合型では、「体験をお金で買える富裕層が圧倒的に有利」とのこと。

 私が海外留学していた半世紀余り前、『(ロンドン) タイムズ』が、学力だけを問う日本の大学入試を徹底したメリットクラシー( 能力主義)と紹介し、当日の朝のカレッジの食堂で話題ともなり、私はちょっぴりだが誇らしかった! しかし、朝刊紙の識者のひとりによると、その後の選抜方法の改善を経ても家庭の経済格差や文化格差がものを言う「ペアレントクラシー」(「親ガチャ」の逆 )の結果、「選抜方法の多様化が、学生の多様化につながっているかは疑問です」とのこと。

 さいわい、「未だ学歴社会の日本で、受験は『階級』を逆転できる一大イベントでもある』とすれば、奨学金制度の一層の充実など正攻法で改善してほしい。

2024年2月8日木曜日

丸の内での再会

 今朝、食事を摂ったのちテレビのスイッチを入れたらNHKニュースは半ばを過ぎ、「山梨のステキな日本一」というテーマを取りあげていた。それによると、海なし県の山梨はマグロの消費額は全国第二位とのこと。
 山梨県の名産品ではアワビの煮貝が古来知られている。ブドウのような農産物ならともかく、静岡県から1日かけて運んでくるなら生鮮品よりも加工品として売るのが賢明だったろう。しかしマグロは山梨県では調理してではなく鮨ネタとして食されている。ただし、醤油ではなく甘ダレという「甘ジョッパイ」タレを上に載せて食べる。少なくも出演者は大変美味しいと言っていた。
 その後の番組は山梨県の宝石類に話題を移した。古来水晶の産地として知られた土地だけに、今では各種の宝石の加工地として文字通り日本一となっても不思議はなく、私も甲府駅の北すぐの宝石博物館(いまは山梨ジュエリー・ミュージアム)を訪ねたことがある。ところが駅構内で当地出身の元ゼミ生とパッタリ会って驚いた。私は甲府駅で乗降したことは無く、このゼミ生の結婚披露宴にも同級生たちと1472メートルの柳沢峠をクルマで越えて出席した (日曜午前の中央高速道の下りは渋滞の名所で全く予定が立てられない)。 博物館訪問のときは駅南のパーキングを利用したため、駅構内での邂逅となったのだろう。思えばゼミ生の住所も博物館の住所も同じ「丸の内」だった。

2024年2月6日火曜日

西武デパートの無い池袋とは.............。

 最近、池袋の西武デパートが閉店するとの報道があったためか、今朝の朝日新聞の「ぶらりぶらり」というコラムが池袋の過去と現在を取り上げている。

 半世紀以上も東京の郊外に住みながら私の池袋との縁は、戦前戦中に井の頭線沿線(当時は帝都電鉄!) に住んで利用した渋谷や、現在都心に出るたびに利用する新宿と比較すれば縁が薄かった。それでも全く無縁ではなく感慨は皆無では無い。大学生のころ叔父の家が西武線沿線の大泉学園にあった縁でその地の病院で盲腸とサヨナラしたし、その後の2年間下宿したのは同線の練馬駅下車の下宿で、同家の長男の「ラジオ少年」に私の五球スーパー作りを助けてもらった。  その間、通学のため毎日池袋駅を利用したし、駅前広場のビルの一階の中古カメラ店で身分不相応のニコンFを購入した。さらにその後、東武東上線の上福岡の公団住宅にやっと入居し、たった2年間だが池袋との縁は尽きなかった。

 そうした私にとって西武デパートの無い池袋は考えにくいし、まして長年にわたり池袋駅を利用する人たちには難しいだろう。「万物は流転する」との古代ギリシアの哲学者の言(名前は忘れた!) を柄にもなく思い出した。今はただ、池袋駅を利用する通勤通学客の利便が損なわれないよう願うばかり。

訂正 前回のブログの毎日新聞の2月1日は2月2日の誤り。悪しからず。

 

2024年2月2日金曜日

宗教と寛容

  一週間ほど前?、 新聞各紙に国連パレスチナ難民救済事業機構(UNRWA)の職員12名が今回のガザ紛争の発端のイスラエル領攻撃に参加しており、機構は直ちに彼らを解雇したとの短い報道があった。その詳報はようやく『読売』(1.30)と『毎日』(2.1)に掲載された。それによるとガザでの同機関員の人数は一万三千人。現地採用なので大多数はパレスチナ人とのこと。その報道を受けて欧米や日本など16ヶ国が機構への援助金の拠出金を停止した。これがガザ難民にとって大打撃であることは言うまでも無い。

 パレスチナ人の若者が同地の現状への憤りのあまり反イスラエルの実力行使に加わるのは無論分からないではない。しかし、対立を仲裁すべき国連機関の職員が中立的立場を放棄して動乱に参加すれば困るのは結局はガザ住民である。救済機関自身も職員150人が死んだと言う。周知のとおり宗教や宗派を異にする信徒の対立抗争は珍しいものではなく、ヨーロッパ自身、キリスト教の新旧両派に分かれて殺し合った過去を持っている。しかし、その過程で徐々に寛容の大切さを学んだ。現在の中近東は未だ、神の正義の実現のためには人権も人命さえも至上の価値ではないという段階なのだろう。ここの人々が寛容の価値に目覚めるのはいつの事なのだろうか。