イスラエルとアラブの対立が何回目かの衝突を引き起こした。これまでの何回かの中東戦争と異なり、今回はパレスチナ解放機構PLO全体が関与しているのではなく、むしろPLO主流派とも対立してガザ地区を支配するイスラム組織ハマスとイスラエルとの武力衝突だが、反イスラエルのアラブ人たちにはその差は大きくないだろう。
第二次世界大戦後のイスラエル建国時に起こった第一次中東戦争について私の記憶はゼロ。 しかしナセルのエジプトのスエズ運河国有化に対して英仏が起こした第二次中東戦争にイスラエルも加勢した「スエズ事件」は記憶している。英仏の介入を植民地主義と批判した米国に抗しきれず両国とイスラエルは撤退してナセルの威信は高まった。
私が在英中に起こった第三次中東戦争はイスラエルのアジア側への唯一の港であるシナイ半島のアカバ港をナセルが閉鎖したことが発端となった(スエズ運河はスエズ事件以後イスラエルには使用禁止)。それではイスラエルは立ち行かなくなるのではとの欧米の記者の質問にナセル大統領は黙して答えなかった。それが傲慢な印象与えたこともあり、英国世論は宿敵ナセルに厳しかった。当時大学の食堂で会った著名な日本研究者のストーリー氏は開戦となったらイスラエルは強いと力説したのは願望も込められていたのだろう。敗戦でナセルの権威が低下したことは言うまでもない。
19世紀に始まるヨーロッパのユダヤ人のイスラエル建国運動が第二次世界大戦後に国連の「パレスチナ分割決議」として結実した主な理由はナチスによるホロコーストへの欧米人の贖罪意識だろう。しかしアラブ人には理解も承認もできなかったろう。
本来はアラブ人もユダヤ人も同じ中東の民だったが、ユダヤ教とイスラム教という宗教の違いが発端となり敵同士となってしまった。宗教心の薄い大部分の日本人には理解できないところがある。
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