2023年9月28日木曜日

映画『カサブランカ』の時代

  イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガード主演の米国映画『カサブランカ』をテレビで今日午後見た。  六十数年前の学生時代に一度見ているので再度見るつもりはなかったが、たまたまチャンネルを回したら、主演の二人の魅力に取りつかれ、最後まで見てしまった。

 そうなったのは私が昔からバーグマンのファンだったためもあるが、今回は時代背景がヴィシー時代(フランスが大戦当初ナチス・ドイツに敗れ対独協力政権下にあった時代)だったので、私の専攻分野と一部重なるためでもある。

 第一次大戦の勝者フランスは戦争被害のあまりの巨きさに戦後は厭戦気分が支配し、ドイツがナチス政権下で着々と再軍備を進めても目が覚めず、第二次大戦当初ドイツに国土を占領された(本土の南半分とアフリカ北岸の植民地はドイツの間接支配)。 その結果ドイツの敗戦後は対独協力政権の指導者たちは死刑となった。

 大戦終了後ほどなく制作された『カサブランカ』はまさに対独協力政権を祖国への裏切者とする立場から描いている(単純化すれば)。首都をナチスに蹂躙されるまで戦ったポーランドとことなり、フランスは当初形勢非となるとパリを非防備都市と宣言して実質的に休戦した。そのおかげでパリのほとんどの観光名所は無傷のまま大戦終了を迎えた。ポーランドとフランスとどちらが賢明だったかは評価の分かれるところだろう。

2023年9月25日月曜日

『不如帰』の真実?

 先々週の土曜日、芦花公園で毎年今ごろ開かれる「蘆花忌」に十数年ぶりに出席した。以前は数十人が出席する行事だったが、「明治は遠くなりにけり」か、さすがに蘆花ファンも数少なくなり、今回の出席者は十数人だった。                     

 今回の講演のテーマは『不如帰』。 新派?の劇としても大評判となり、姑にいじめられる浪子の「もう、二度と女なんぞに生まれはしない」とのセリフとともに超有名になったことは私も知っていた。しかし私も原作は読んでいないので耳学問のため出席したのである。

 ところが、講演者の明治文学研究者の語るところでは、 当時は結核は本当におそろしい病気であったのであり( 現実の大山信子も間もなく死んだ)、夫婦仲を引き裂く行為はいじめとは言い切れないとのこと。さらに信子の継母の大山夫人捨松は、かつて津田梅子とともに明治最初の留学生だった山川捨松であり、米国で看護学を学んでいたとのこと。

 かつて鹿鳴館の華とうたわれた山川捨松が『不如帰』での自分の描き方に立腹したのは無理もないが、芦花は彼女の三回目の抗議にようやく非を認めたという。人間の評価は本当に難しいということか。

2023年9月19日火曜日

女性の感性を活かすべし

 岸田首相が女性新閣僚に「女性ならではの感性と共感力」を生かして仕事をしてほしいと発言したことが一部の反発を呼んだと聞く。その後の続報が乏しいので大きな論議とはならなかったようだ。結構なことである。

 首相発言が不満な人たちもまさか男女の感性が同じとは主張すまい。それなら、これまで男性の感性が優位に立ち、その影響下にできた既成の制度や風習を改めることは当然ではないのか。ところが、在米十数年の知人は米国では首相批判の主旨は当然とされるし、自分もそう思うとのこと。

 米国は人類の進歩にさまざまに貢献してきたが、集団ヒステリーにも再三罹ってきた。17世紀のマサチューセッツ植民地のセーラムでの少女の発言に発した「魔女狩り」は文学作品にも取り上げられ有名である(もっともヨーロッパでもこの時期同じ事態は起こったが)。近年では第一次大戦後の「禁酒」騒動がアルカポネの名とともに有名である。アルコール度数の高い酒は人体に有害であるとして取引を禁止したところ、ギャングたちの絶好の資金源となり、法律は廃止された。

 近年では共産主義者にへの恐怖に発する第ニ次世界大戦後の「赤狩り」も有名である。ところが第一次大戦後の「赤狩り」はそれ以上に激しかった(F. L. アレンの名著『オンリー・イエスタデイ』に詳しい)。米国民が先導する運動にも警戒心は必要である。

2023年9月15日金曜日

不登校児の増加

  最近、不登校児の問題がメディアで取り上げられている。たまたま今朝のテレビ番組で全国の小中学校で年間の総数が21年度は24万5千人に達すると報じていたので、これは容易ならざることだと感じた(十年前より小学生は3.6倍。中学生は1.7倍とか)。年々日本の人口が減少し、したがって就学児も減少している中で増加とは、ご家族の困惑が思いやられる。

 不登校児の増加の原因はむろん単純ではないだろう。今後の究明に期待すべきである。しかし、その一因として私は少子化があるのではと推測している。

 兄弟姉妹の関係は無論それぞれの家庭で一様ではないが、親子関係と異なりある種の生存競争の側面もあるのではないか? 私には姉妹はいないが、兄たちとは当然喧嘩もあったし、親の愛の奪い合いの側面も皆無ではなかったと思う。その意味で家族も極小の社会の側面を持つ。しかし、少子化によりそうした経験が稀な児童が就学すれば戸惑いは生まれるだろう。現在の少子化のもと1クラスの児童数は減少していても、教師の個別的対応には限度があろう。問題解決への道は簡単では無さそうだ。

訂正 前回、小津安二郎を康次郎としたのは誤りでした。恥ずかしい!

2023年9月12日火曜日

訂正

  前々回で「著者はエスペランチストで小説家の宮本百合子」とあるが、エスペランチストは『極光の陰に』の著者のことで、百合子がエスペランチストかは知らない。句読点を失念しました。

日本映画の国際性とは?

  今年のベネチア国際映画祭で濱口竜介監督の邦画『悪は存在しない』が銀獅子賞に選ばれた。その昔、黒澤明監督の『羅生門』が同映画祭の金獅子賞を得た時の日本人の驚きを覚えている者には、三大映画祭での日本映画の受賞がそれほど大きな話題とならない現在とは隔世の感がある。同じ黒澤明監督の『七人の侍』など、欧米の監督が敬意を込めつつ日本映画の焼き直しのような作品を作るようにもなった。

 黒澤監督の作品群のようなスケールの大きな作品とは正反対のような小津康次郎監督の作品群が欧米で高く評価されるとは当時は想像もできなかったのに、今では小津康次郎の評価が欧米で滅法高いのも私などの世代には驚きである。

 日本的であることが世界でマイナス評価とならない時代になったが、当時は黒澤明と並び称される人気だったものに木下恵介監督の作品群がある。日本最初のカラー映画の『カルメン故郷に帰る』や『二十四の瞳』や『喜びも悲しみも幾歳月』など当時は「国民的映画」とも呼ぶべき作品群が、こんにちそれほど顧みられていないのは大ファンだった私には不満である。それともいつか再評価される時代が来るのだろうか?

 

2023年9月6日水曜日

戦後左翼異聞

  今朝の『朝日新聞』にエッセイストの中野翠氏の連載コラムの第一回が、「世間知らずにあふれる正義感」との見出しで載っている。氏は私より13歳年下だが氏のこれまでのコラムはセンスにとみ面白く読むことが多かった。 氏は名門の浦和第一高女の「リベラルな左翼」の新聞部の顧問の影響を受けて図書室の『今日のソ連邦』という同国の宣伝誌の読者にもなり、その宣伝をそのまま信じていたという。 

 私が大学に入学した1952年はメーデー当日に警官隊とデモ隊が激しく衝突した「皇居前広場事件」の年で、大学は日本共産党に近い全学連が華やかな時代だった。 地方の高校出身の私が大学の学生寮に友人を訪ねたら「党が」「党が」と討論していて面食らった(党とは無論日本共産党のこと)。 その後は私も渋谷駅前の非合法集会?に参加して道玄坂の途中まで警官に追われた。

 しかし、私はそれ以上は左翼学生運動に参加しなかった。私の非実践的性格が一因だったのだろうが、入学後に高杉一郎氏の『極光のかげに シベリア俘虜記』(1950年 目黒書店。現在は岩波文庫)を読んでいたことも大きかった。著者はエスペランチストで小説家の宮本百合子(戦後出獄した宮本顕治の妻となる)ら「リベラルな左翼」のグループの仲間だった。

 しかし、戦後シベリアに抑留され、ソ連共産主義の実態を身をもって体験してそれを発表したのである。とうぜん既成左翼からの批判は激しかったようだ。のちの高杉氏によれば宮本百合子と旧交を温めていたら夫の賢治氏から「あゝゆうものを二度と書いたら許さないぞ」と宣告されたという。

 明日からの中野翠氏の連載が待たれる。

戦後左翼異聞