1ヶ月半ほど前にパリでクルマで停止命令を無視したアラブ少年が警官に射殺された事件があり、これに対する抗議の暴動があった。月刊誌『世界』の9月号に山下泰幸氏の「フランスの『郊外暴動』に終わりはあるのか」と題する論稿が載っている。それによると今回5954台のクルマが燃やされ、1092件の建造物破壊(うち108ヶ所の学校、39ヶ所の図書館)、723人の警官が負傷。逮捕者の平均年齢は17歳とのこと。日本では想像もできない激しさである。
フランスは1950〜60年代の経済成長期にアルジェリアやモロッコなどの植民地から労働者を受け入れた。さらにアルジェリアが武力闘争の末に独立すると、深い考えもなくフランス軍の一部として独立派と戦ったアルジェリア人十数万人は母国では死刑になりかねず、フランス本土に引き取られた(アルキと呼ばれる)。彼らアラブ人はパリなどの大都市の郊外の団地に住んだが、フランス語を理解できない彼らはフランス社会に統合されることはなく、そのため何年かごとに暴動を繰り返してきた。子弟たちはフランス語で教育を受け、フランスは「自由 平等 博愛」の国だと教えられたが、実態との乖離は甚しかった。
フランス政府が彼らを意図的に差別したわけではなく、社会党のミッテラン政権など融合に努めた。しかし、イスラム教をはじめとする文化的伝統の差に加えて生活習慣の違い(団地の中庭で羊を殺して解体するなど)も大きかった( 林瑞枝『フランスの異邦人 移民・難民・少数者の苦悩』 中公新書 1984年)。こうして移民の団地の治安にはフランス警察も容易に介入できないとなれば、せめて郊外団地外に治安悪化が拡大することは防止するというのが警察の本心なのではないか。そして移民以外のフランス国民の本心でもあろう。
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