今年がイラク戦争勃発20年ということで新聞各紙に回顧記事が載っている。そこではこの戦争への反省が圧倒的であるのは自然だが、それでは同じ過ちはもう起こらないと断言できるだろうか。
誘因となった米国同時多発テロ事件はやはり衝撃的であり、米国でイスラム教徒への報復感情が激発したのは無理からぬところがあった。しかし、事件は本来宗教過激派が起こしたものであり、フセイン支配下のイラクはスンニ派主体だったとはいえ、世俗主義国家ではあった。無論そこでのクルド族やシーア派への抑圧は甚だしいものがあった。当時在米のイラク人の「我々はイラクが他の中東諸国並みになってほしいだけなのだ」との訴えには私は深く心を動かされた。
しかし、フセイン打倒後のイラクは期待されたような人権尊重国家にはほど遠かった。国内が相譲らぬ二大宗派や複数民族に分かれている国家の場合、脱宗派的政治を期待することは難しい。米国の先見の明のなさは否定できない。しかし私は事後の知恵で米国を批判する人たちの列に加わりたくない。
先週、これまで激しく対立してきたスンニ派の大国サウジアラビアとシーア派の大国イランが話し合いを始めると発表された。両宗派のある限り中東に流血を伴う緊張は絶えなかった。両国はこの緊張緩和の機会を逃さぬよう英知を働かせてほしい。
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