先日、駅に向かって歩いていたらコンビニの駐輪スペース(僅かに上り傾斜)にスクーターが駐車しようとして苦労していたので手を貸した。白髪の老人の加勢に若者は恐縮してくれたが、わたしの現在の力で押してもスクーターは前進しなかった。現在のスクーターがそんなに重いとは知らなかったのである。
スクーターの起源はイタリアあたりか(『ローマの休日』)?。わが国では富士重工のラビットと三菱重工のピジョンがほぼ同時に登場した。まだ乗用車の本格的生産が始まる前でわたしは両社のスクーターが羨ましかった。どちらも日本を代表する航空機産業が米国に生産を禁止され、活路を先ずスクーター生産に求めたのである。やがてそれぞれが四輪車生産へと発展していった。
昨夜のNHKの『映像の世紀』は前大戦で活躍した三菱重工の零戦と中島飛行機の隼(はやぶさ)を製作した技術者たちが戦後、胃カメラやロケットや戦後最初の国産機のYS-11や新幹線などの開発に身を入れ、日本の工業発達に貢献した事実を紹介していた。科学技術に軍用と民間用を隔てる垣根は低いということだろう。インターネット技術は当初は軍用技術だったと聞く。
我が国の学術会議が軍事技術の研究者の参加を禁じていると聞く。しかし、国家の機関である学術会議が同じく国家機関である自衛隊向けの軍事技術研究を許さない理由がわたしにはよくわからない。
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