2023年1月31日火曜日

 人智の結集による脱炭素を!

 自動車の世界販売台数でトヨタグループが3年連続首位となった。最近は半導体の供給が不足して自動車業界の生産にブレーキがかかっているとの報道がもっぱらだったので奇異に感じるが、同社の場合も国内生産台数の数%の減少を海外生産で補って0.1%にとどめているとか。第二位のフォルクスワーゲングループが前年比7.0%なのは同社が強い中国での生産減少のせいなのか。

 しかし、目下の世界自動車業界の最大の関心事はむろんCO2排出量の減少で、その対策の中心はEVとされ、トヨタを含む日本メーカーは欧米に後れを取っている。しかしこのブログに以前も書いたと記憶するが、EVが積載する重く大きなリチューム電池 の耐用年数が何年かも計算に入れない限りなんとも言えない。

 欧米は日本が得意なハイブリッド車(HV,PHV)の将来の輸入を禁止するという。しかし少し古いがある新聞報道(『毎日』11月7日)によると、国際エネルギー機関 (IEA)の調査では、製造過程までも含めた一台当たりCO2排出量(年間?)は、ガソリン車34トン、EVとHV28トン、PHVは24.5トンとのこと。EUが35年までにガソリン車全廃というのはEUで「世界の覇権を握る狙い」(同紙)と勘ぐりたくなる。

 やはり自分達が発明し発展させてきた商品には特別の愛着があるのは自然である。しかし寿命が尽きた時のバッテリーの処分(や資源としての再利用)の問題の解決までは複数路線で行くのが賢明ではないか?  最近はエンジンの燃料として水素ガスだけでなくアンモニアの燃料利用まで候補になっているとか。

2023年1月24日火曜日

科学技術の汎用性

  先日、駅に向かって歩いていたらコンビニの駐輪スペース(僅かに上り傾斜)にスクーターが駐車しようとして苦労していたので手を貸した。白髪の老人の加勢に若者は恐縮してくれたが、わたしの現在の力で押してもスクーターは前進しなかった。現在のスクーターがそんなに重いとは知らなかったのである。

 スクーターの起源はイタリアあたりか(『ローマの休日』)?。わが国では富士重工のラビットと三菱重工のピジョンがほぼ同時に登場した。まだ乗用車の本格的生産が始まる前でわたしは両社のスクーターが羨ましかった。どちらも日本を代表する航空機産業が米国に生産を禁止され、活路を先ずスクーター生産に求めたのである。やがてそれぞれが四輪車生産へと発展していった。

 昨夜のNHKの『映像の世紀』は前大戦で活躍した三菱重工の零戦と中島飛行機の隼(はやぶさ)を製作した技術者たちが戦後、胃カメラやロケットや戦後最初の国産機のYS-11や新幹線などの開発に身を入れ、日本の工業発達に貢献した事実を紹介していた。科学技術に軍用と民間用を隔てる垣根は低いということだろう。インターネット技術は当初は軍用技術だったと聞く。

 我が国の学術会議が軍事技術の研究者の参加を禁じていると聞く。しかし、国家の機関である学術会議が同じく国家機関である自衛隊向けの軍事技術研究を許さない理由がわたしにはよくわからない。

2023年1月19日木曜日

週刊誌の休刊

  今朝の各紙に『週刊朝日』が6月9日号をもって休刊になると報道された。昨年に創刊百年を迎えた我が国最古の週刊誌も最近の活字ジャーナリズムの不振と出版社系の週刊誌のセンセーショナリズムとの競争に勝てなかったのだろう。「悪貨は良貨を駆逐する」と言えるかは別とし、最盛期に150万部を超えていた(1958年)発行部数は最近は7万部となっていたという。最近同社の『アサヒカメラ』も休刊中だが、どちらも復刊は困難だろう。

 1950年代に『文藝春秋』の池島進平と『週刊朝日』の扇谷正造と『暮しの手帖』の花森安治の3人は名編集長の名をほしいままにしていた。わたしも学生時代から『週刊朝日』を毎号愛読し、英国留学時は読み古しを送ってもらっていた。吉永小百合が表紙写真の時はカレッジの食堂でわざとらしく広げて読んだりした。日本にも美女はいるんだぞ言いたかったのか。その後は彼女の進歩派的言動の連発にやや鼻白んでいるが!

 米国では同じように部数減少になやんだ『ニューヨーク・タイムズ』が、電子版の拡大で元気を取り戻したと聞くが、あくまで例外なのか?  新聞読みが楽しみの人間の未来は暗いのか!

2023年1月15日日曜日

ワシントンの日米協議

 ワシントンで日米首脳会談がおこなわれ、日本の「防衛強化をバイデン大統領が支持」した(『朝日』)。他紙の報道は予想通り『読売』と『産経』が批判を加えずに報じ、『朝日』と『毎日』と『東京』が批判的に報じた。後者の中でも『東京』の論調は、「日米軍事一体化 極まる」「平和外交 姿勢見えず」「力を誇示 一辺倒」と激しい。

 米中関係は両国の国交正常化以来、いわゆる「関与政策」を米国が採用し、遅まきながらでも進展を見せていた。中国が経済的に豊かになれば政治的にも寛容な国になるとの予想は、胡錦濤時代までは現実的で好ましいと思われた。ところが習近平時代に入り、「中華民族の偉大な復興」を対外政策の目標として掲げるに至り、その強硬姿勢が顕著になった。

他方、中国の国力の上昇に対し米国の国力は相対的に低下した。その結果米国は近年、NATO諸国に対しGDPの2%を軍事に当てるとの約束の厳守を求めるに至り、日本へも軍事費の増大を求めるに至った。しかし、「日米軍事一体化 極まる」は誇大にすぎる。米国は例えば核兵器管理への他国の口出しを認めるはずもない。

 同盟関係に give and takeは避けられない。日本と同じ敗戦国のドイツとイタリアは米国の要請に応じてアフガニスタンに派兵し、ともに100人単位の死者を出した。米国は独伊両国への中露の脅威を絶対に許さないだろう。我が国民が香港住民のようになるかは国民次第だろう。

2023年1月9日月曜日

旧植民地の文化財の返還

  1月3日のNHKのBS番組で『パンドラの箱が開くとき 文化財の返還』が放映され、興味深かった。先進国がかつて略奪的にか平和的にか獲得した植民地の文化財を現地政府から返還を迫られている問題である。いたと言うべきか。 もう半世紀近く前か、植民地大国( イギリス、フランス、ドイツ、ベルギーなど)が母国にもたらし博物館の重要な展示品となっている旧植民地の文化財が返還要求にさらされていると読んだことがあった。これに対し先進国側は、ヨーロッパの博物館に展示されるからこそ多くの人の目ににさらされると反対しているとのことだった。

 ところが今回の番組が取り上げたのは最近のヨーロッパ諸国が繰り広げている我がちの「文化財返還オリンピック」である。取得事情は義和団の乱の際の略奪に類するものから平和的な交渉によるものまで(とはいえガラス玉との不等価交換なども)とさまざまだろうが、先進国が一斉にこれまでの態度を改めた理由はやはり植民地主義批判を避けたいため(最近のブラック・ライブズ・マター運動の影響まで!)。

しかし受け入れ側の旧植民地側は展示内容にふさわしい収容施設を造らねばならない。これまでも貸したら無くなった例もあり、「私たちはパンドラの箱を開けてしまった」との先進国側の反省まであるという。

 私自身は旧植民地への文化財の返還は正しいと思っていた。しかし米国の攻撃によるフセイン体制の崩壊に際してバグダードの博物館が犯罪者の略奪の対象となったとの報道を知ったとき、一部の文化財を先進国に残すのもアリかと思った。少なくとも受け入れ態勢の完備は必要条件なのでは。

2023年1月5日木曜日

少子化対策と移民

  岸田首相が年頭の記者会見で「異次元の少子化対策への挑戦」を約束した。並みの対策では少子化を止められないことを認めたと言うことだろう。その認識に賛成を惜しまない。しかし難題ではある。それは社会の先進国化に伴うものだから。

 首相は少子化対策として児童手当を始めとする経済的支援を挙げた。考えられるのは出産費用援助の増額や保育園から大学までの学費などの支援だろう。それらは無論望ましい。しかし少子化の根本原因は先進国における女性の地位向上だろう。女性が「家」の圧力から解放され、家庭の外に出て自ら生計を立てるすべを知った以上、金銭的支援の効果は十全とは言えないだろう。

 そうとすれば、外国移民への期待は好悪を越えた必要となるだろう。無論反対はあるだろうし(過去の私)、移民送り出し国への配慮は欠かせない。最近は日本での経済移民の得る利点はかつてほどでないとも聞く。しかし、先進国に近づいている中国はともかく、東アジアでは我が国の治安の良さや国民の親切心などは未だ一定の評価を受けているのではないか。仮に将来帰国する者が多くても、日本への理解が深まることは期待できる。仮に日本滞在中はいろいろ不満を口にしても帰国すれば記憶の中で日本の美点が膨らむと私は確信する。これは小さなことではない。