2022年12月31日土曜日

年賀状にさようなら

   来たる正月を最後に多年続けてきた年賀状交換を止めることにした。理由は老齢となり継続困難となったためである。最後まで宛先の住所と氏名を下手な手書きをしていたが、歳とともに減少した枚数でもしんどくなったのである。それにもう一つ、2004年以来、旅行などで撮った写真を利用してきたが、旅行も近距離以外は困難となり、写真入りを断念したこともある。

 これまで17年間の賀状の写真は少なくとも一部の方々からは好評を得ていたので、そのうちの十余枚を含んだ私家版の写真集『一期一会』を今秋出版した。それも賀状継続を断念した理由の一つである。出版の過程でかなりのミス( 記憶違いや校正ミス)があり、関係者の協力でなんとか訂正できた。高齢での出版の限度だったようだ。

 しかし、年賀状をやめても皆さんの厚誼に変わりはないことをお願いしたい。まさか来年にまた復活など無いはず........!

2022年12月23日金曜日

ウクライナ紛争への米国の責任は無いか?

  ウクライナのゼレンスキー大統領が渡米してバイデン米大統領と会談し、連邦議会の議員たちに演説した。議員たちは演説に対してほとんど絶え間なく拍手し、ときどき起立して拍手していた。

 大国ロシアの侵攻と闘っているウクライナへの支援強化が誤りだという気はない。しかし、大国の横暴に抵抗する小国といったステレオタイプの理解に留まって良いのだろうか。

 二、三日前のテレビ番組でレーガン米大統領とゴルバチョフ書記長のアイスランドのレイキャヴィークでの会談が放映されていた。政治家の笑顔をそのまま受け取ることは出来ないにせよ、両首脳の間には暖かい心の交流が感じられ、それが三年後のマルタ会談での冷戦終結の宣言に結実したと納得させるものがあった。

 しかし、その後、ゴルバチョフは国家指導者の地位を追われ、現在のロシアでの評価も最低に近いようだ。ソ連末期の経済的政治的混乱がその理由だろうが、米国に外交的に譲歩しすぎた「お人好し」との評価も一因だろう。冷戦後のNATOは縮小するどころか、15ヵ国から30ヵ国に拡大し、大国としてのロシアの自負心は徹底してないがしろにされた。私にはその結果が現在のウクライナ侵攻と思える。

2022年12月20日火曜日

モロッコ・サッカーの躍進の一因?

  サッカーのワールドカップ戦が終わった。オリンピックと同様に関係者はひたすら規模の拡大を目指すが、その結果開催誘致から大会終了までに多額の裏金が動いたり、戦争当事国や人権無視国の参加を認めるか否かなど政治絡みの問題が避けられなくなる。

 それらはさておき、今回のW杯ではモロッコの四強入りが大きな話題となった。中近東諸国には内戦状態の国や、それ程でなくとも国内対立を抱えた国が多い。モロッコチームの大活躍も国内の安定なくしては成し遂げられなかったろう。

 私が大学で受けた西洋中世史の講義で教授はヨーロッパ中世世界をローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝という二つの中心を持つ「楕円的世界」だったと説明された( うろ覚えだが)。ある意味で現在のモロッコも、イスラム教という教権と王権が併存する楕円的世界だろう。その結果として現在のイランやアフガニスタンのような教権の非妥協的(狂気のと言いたい)支配を免れているとも考えられる。一方に偏しないバランスの取れた思考が両国に回復することを切望する。両国とも過去に高い文化を生んだ国だったのだから。

2022年12月15日木曜日

訂正

 前回のダド・マリはダド・マリノの誤り。読みかえすのも無益ではない!

私的日本ボクシング史

 井上尚弥選手が世界ボクシング界の4団体の王座統一を成し遂げた。4団体の王座を独占したのは日本人初であり、アジア人初の快挙とのこと。写真でだがなかなかの好青年でもあり、日本人として嬉しい。

 わが国のボクシング界について戦前に関してはピストン堀口の名前を知る程度だが、戦後初めて世界チャンピオン(フライ級)になった白井義男のことはよく覚えている。アメリカ人のカーン博士に才能を見出され、従来の日本ボクシング界の「肉を切らせて骨を断つ」式の作戦とは違った科学的トレーニングを受けて前王者のダド・マリを破ったとき、メディア(といっても当時は新聞中心)の扱いも大きかった。何しろすべての面で米国に頭が上がらなかった当時のこと、白井は日本の英雄だった。

 しかし1960年代にタイ国にポーン・キングピッチが出現し、状況が変わった。カミソリパンチを謳われた海老原博幸や、試合の初めから終わりまで一刻も攻撃をやめない壮絶なファイティング原田はファンを沸かせたが、一度は王座に着いた2人ともリターンマッチでポーンに敗れ日本人ファンをガッカリさせた。

 その後も具志堅用高ら強いチャンピオンは出たが、世界のボクシング団体が倍増し、また重量別のクラスも倍増?したため自然とメディアの扱いも小さくなった。久しぶりの例外となった井上選手にはクラスを上げていつまでも活躍してほしい。

 

2022年12月12日月曜日

ごみ処理という難題

  以前にもこのブログに書いた気もするが、毎朝の新聞と広告紙の重さを痛感する。土曜日の朝が最大であり、通常400グラム、最大時450グラムだったが先週はついに470グラム。年末商戦の反映なのだろうが、戦争直後、表裏2ページの新聞を記憶する世代としては何と無駄なことをと言いたくなる。

 しかし、他の資源と比較すれば古紙の場合は回収して再資源化するルートが確立しているようで、最近の宅配サービスなどの拡大に伴う段ボール箱の需要の増大に応じているのだろう。それに対して菓子折など燃やす以外には考えられないものも多い。しかも二重三重の包装が最近は当たり前である。

 昔の家庭には燃えるゴミを家庭で始末する古い石油カンがあった。しかし現在はそうした処理は少なくとも都会では禁じられており、行政が処理するゴミの量は半端でないようだ。したがって処理工場の規模は拡大する。40年?ほど前、臨海部の区が他区のゴミの通過や受け入れに難色を示し、杉並区の清掃工場の新設が区民の反対で難航した。

 30年以上前、パリの1Kのマンション( ステュディオと呼ぶ)に半年住んだ。キッチンにゴミの投入口があり、ゴミの分別などあるはずも無く、上階の住民が捨てるビン類の衝突音が甲高い音を立てる(下では無論粉々だろう)。 管理人に日本では分別収集すると話したら不思議な顔をした。外国人も少なくないパリの住民には到底無理かも.............。

2022年12月7日水曜日

山村は無人の里!

 昨日、半年ぶりに長距離運転をした。コロナ禍で旅行を控えていた事が大きいが、夫婦ともますます少食になり、旅館の食事を半分近くも残すのが心苦しいことも一因だった。今回は用事のための日帰り旅。

 今秋私家版で出版した写真集『一期一会』の中の一枚に、秩父最奥の集落の栃本の旧関守の大村家に学生時代になんの前触れもなしに泊めていただいたと書いた。田部重治の『峠と高原』に同家で歓待されたことが書かれていたのがきっかけだが、高名な紀行文作家(高校の教科書で氏の「笛吹川を遡る」を読んだ)と一介の大学生の違いもわきまえず、夕刻同家を訪れた。断られたら野宿するしかない時刻だったが、一泊し食事もいただいた。

 今回、近年の栃本を写した一枚に同家への感謝を書き添えたので、ぜひ一冊進呈したいと昨日栃本を訪れた。ところが場所の記憶はないので関所跡の近くの数軒を正午ごろ訪ねたが全て不在。結局は持参した写真集を持ち帰る羽目になった。なかには屋内に洗濯物が干してある家も複数あったが、無住を隠すためではないかとも思った。

 『ポツンと一軒家』を毎週見ているので山村の実情を知らぬではなかったが、道路は全て舗装されガードレールはあってもしんと静まりかえった家々を見て、写真を撮った10年ほど前とも違った変貌の大きさを実感させられた。訪ねた時間が悪かったと思いたいが。

2022年12月1日木曜日

防衛費のGDP2%は「数字ありき」か

 最近わが国の防衛費のGDP2%目標をめぐって野党からは「数字ありき」との批判が出されている。しかし、全国紙の社説までそれに同調するとは.............。昨日の『毎日』の社説は「やはり『数字ありき』だった」「だが内容を詰めきれないまま規模を決めてしまうのは問題だ」と批判している。本当にそうだろうか?  慌てて細部を決めることが正しいだろうか。

 2%という数字はトランプ前大統領がNATO諸国の防衛費の基準厳守を要求し、バイデン大統領もその要求を受け継いでいることは周知の通り。何時までも我が国だけが1%の制限を守っていけるだろうか。

 今年になって英国が空母を太平洋に派遣し、ドイツが軍艦を派遣した。まだ太平洋に自国領を領有する英国はともかく、第一次大戦での敗北以来太平洋地区に全く領土を持たないドイツが軍艦を太平洋に派遣するとは本当に驚いた。同盟とはそういうもの。いくら同盟国でも自国の半分以下の軍事費しか負担しない(米国は3%とか)日本を米国がとことん守ってくれるとは思えない。

 最近の軍事技術の高度化は「極超高速ミサイル」のように攻撃側が有利になりつつある。効果が極めて疑わしくなった防衛兵器だけで国を守れるだろうか。

 最近の共同通信社の世論調査(『東京』11月28日)によると、我が国が「反撃能力を持つ」ことに賛成60.8%、反対35.0%とのこと。「数字ありき」というだけの野党は国民から見放されかねない。それで良いのだろうか。