2020年11月28日土曜日

教員の多忙

 最近、学校教師の過重労働が再三指摘されている。しかし、半世紀以上前にわずか3年間 ( 私立受験有名校2年、都立高1年 ) 専任教員として勤務した経験のある私には信じられなかった。当時は「教員は長い夏休みがあって羨ましい」とよく言われた。それが世間の常識だったようだ。
 今日の朝日新聞の「声」欄に、「多忙な教員  もっと力になりたい」と題するスクール・サポート・スタッフ ( SSS  文部省が予算をつけた教員補助職 ) の投書が載っている。それによると、「授業がない時間は、生徒が生活の様子を書くノートにコメントしたり、検温報告に目を通したり、昼休みも給食指導に張り付き、教員室に戻られない先生もいる。習熟度別のクラスが設けられ、試験前の放課後には質問時間の設定や補習もある」とのこと。
 60年前、少なくとも高校や附属中には給食など無かったし、生徒の書く生活レポートも無かった。新米教師の私にはクラス担任は無かったが、担任を持つ教員もそれほど多忙では無かった (私の勤務校は両校とも授業と学校行事を除いては勤務時間のしばりは無かった ) 。
 なぜそれほど学校風景は変わったのか。私見だが、企業と異なり学校には経営的考慮は働かない (超過勤務手当もない )。その結果、「良いことならやるべきだ」との建前論が支配しがちだ。しかし、学校で生徒にとって最も重要なことは心に残る授業を受けることではなかろうか。そのために必要なことは教員の心の余裕だろう。本務以外で教員が疲れるようではそれを期待できない。時代が違うとの言い訳を許すべきではない。

2020年11月22日日曜日

来世での御夫君との再会を!

 まだ11月というのにもう数枚の年賀欠礼の葉書が届いている。その中に娘さんが84歳の母親の死を報ずる一枚があった。84歳なら早死とも言えないが、私の友人だった夫君は40歳前に亡くなっている。その後の長い人生を思い厳粛な気持ちとなった。
 友人のW君とは大学院で知り合った。一学年上の同君は他大学の卒業生で修士2年間の在学だったので、ごく短い交際期間だった。その後私が英国留学から帰り名古屋の私立大に復職すると間もなく電話連絡してくれた。同地の名門県立高の定時制の教員をしているとのこと。他に大学時代の友人はおらず、早速旧交を温め、わずか半年のうちに若狭湾の海水浴、伊吹山や木曽の御嶽山の登山 ( 後者で遭難しかけたことはこのブログにも書いた?)など楽しい小旅行をともにした。その後私が東京に移ると、ロシア ( ソ連 )史専攻の同君は米国に留学し、落馬して亡くなった。その間、同君の論文はソ連の専門誌に日本人として初めて掲載されたと聞いた。
 ご夫人は夫君の死後、高校教師をしながら4人?の子供を立派に育てられ、その後世界を旅された。ラサから遠いチベット西部の同国仏教の聖地カイラス山を訪ねられたと賀状で知った。ツアーに参加したということだろうが、万年雪をいただく独立峰のカイラス山は聖地の名にふさわしく私もいつか訪ねたいと憧れながら果たせなかったので、その行動力に驚いた。
 夫君の米国留学は私の留学に触発されたのではと、ときには慚愧の念を抱かないでもなかったが、見事な人生を全うされた夫人には尊敬の他ない。来世での夫君との再会を信じたい。その節は是非私も仲間に入れて欲しい。

2020年11月18日水曜日

学術会議への無関心?

 日本学術会議が推薦した6委員の任命拒否問題は野党の国会質疑もあり、政府の説明不足 ( と言うより説明回避?)がクローズアップされている。新聞各紙の世論調査でもその指摘は一致している。しかし、メディアの度重なる批判記事や批判番組にも拘らず、世論調査の結果は意外の一言のようだ。
 最も発表が早かった『毎日』( 11月8日 )の場合、任命拒否は「問題だ」が37%、「問題とは思わない」が44%、「どちらとも言えない」が18%。会議の在り方の見直し検討が、「適切」58%、「不適切」24%、「分からない」が18%となる。
 これに対し、調査発表が遅かった『朝日』( 11月17日 )の場合、任命拒否は「妥当だ」34%、「妥当でない」36%に割れた( 「どちらとも言えない」への言及無し)。
 任命拒否への批判派の一角を占めた『毎日』にとってもこの結果はショックだったのではないか。記事の末尾では「野党は『論点のすり替え』だと批判するが、学術会議の改革を求める声も強いことがうかがわれる」と結んでいる。
 私はこうした問題での世論調査の結果には「参考」以上の意味を付したくない。しかし、メディアでの批判の嵐 ( 反批判派メディアは反論よりも黙殺を選んでいる ) にも拘らず国民が乗ってこない事実は否めない。
 福沢諭吉に倣えば私は二世 ( ふたよ )、天皇主権と軍国主義の世と国民主権の世を経験した。その一人として戦前回帰への警戒をすぐに持ち出す人には賛同しない。戦前にはどのような合理的な思考も「天皇に不忠である」との一言に勝てなかった。滝川教授事件も美濃部達吉教授の天皇機関説もしかり。戦前と戦後の本質的な違いをわきまえず、すぐに戦前の言論弾圧を持ち出すのは軽率ではなかろうか。

2020年11月15日日曜日

今も残る山村の生活

 日曜朝のNHKの『小さな旅』は毎回見ているわけではないが、落ちついた地方紹介番組で、最近はマンネリ化がいちじるしい民放の旅番組と比べて良質だと思う。今朝は宮崎県北部の五ヶ瀬川沿いの日之影村 ( 観光地の高千穂峡の少し下流 ) を山田敦子アナが訪ねた。
 ここで最初に紹介されたのは五ヶ瀬川でモクズカニ ( 稀にウナギも ) を獲る老人。都会で売っているワタリガニの一種?だが、かなり大きくズワイガニに近かった。数人の老人仲間との飲み会はおかげで楽しさ倍増である。
 村には平地は殆どなく、住居も棚田も先祖が築いた堅牢な石垣の上に存在する。現在は小型トラクターで稲刈りをしていたが、これまでの苦労は相当のものだったろう。
 老漁師はまた数カ所の草むらに日本ミツバチの巣を持っており、その蜜を採取している。それは何ら驚くに当たらないが、仲間と数匹のオオスズメバチを捕らえて白い糸をくくりつけて離し、望遠鏡でその行方を追う。そしてその巣から大量のハチの成虫を採取する。それはハチ入りの五目飯を作るためだった。
 最近は知らないが、昔は信州などではハチの子は好んで食された。貴重なタンパク源だったと聞く。戦争末期の農村の小学校では生徒たちに半日イナゴを捕まえさせた。バッタを食べる気にはなれないが、何の違いもないイナゴは何とか食べられた。その傍らで先生がヘビを割いていた!

2020年11月11日水曜日

熊本水害の報道

今朝の毎日新聞の第一面のトップ記事は「川辺川ダム容認へ転換 熊本県 治水代替策困難」との見出しで、人吉盆地を中心に今夏大きな人的物的被害を生んだ球磨川の水害を繰り返さぬため、一度は否定された支流の川辺川ダムの建設を県が容認に転じたと報じている。
民主党政権当時の脱ダムの風潮を私は一概に誤りだとは言いたくない。さらに球磨川の場合、地元が「日本一の清流」(当時そう呼ばれもした)を守りたかったおのも理解できる。しかし、建設中止前の三年間続いた水害にも拘らず、中止を命じた知事の責任はどうなるのかと本ブログ(8月6日)に書いた。ただ、今朝の記事によるとダム建設に人吉市長も反対だったとのこと。そうした場合、知事だけを責められない。厳しい言い方になるが水害被害の拡大は住民自身が招いたと言うべきだろう。
それにしても他紙とくに『朝日』が球磨川水害の続報を怠っているのは不可解である。同紙が当時の脱ダムの風潮に同調したことを厳しく評価したくはないが、多数の人的物的被害を生んだダム建設中止への反省は必要ではないか。

2020年11月9日月曜日

米国大統領選の結果

 この数日間、世界のニュース番組を席巻?してきた米国大統領選の話題にひとまず決着がついたようだ。トランプ大統領は決着とは認めていないし、連邦国家の米国には権力分立の仕組みが複雑に存在し、逆転の可能性さえあり得ると聞く。したがってまだ安心できないが、トランプの陣営からももうついて行けないという離反者が続出するのではないか? 最近、共和党色で固めたと言われる最高裁とても、トランプの今回の無軌道ぶりまで追認するだろうか? 
 それでも今回の大統領選は稀に見る接戦だった。コロナ禍が無かったら結果は逆だったかも。7100万票と前回よりも得票数が増したトランプ票 ( 投票者数の増加を考慮する必要はあるが ) にはそれなりの理由があると考えるべきだろう。
 例えば不法入国の防止。壁の構築の是非はともかく、新たな不法入国の阻止は主権国家の権利だろう。グアテマラ、ホンジュラス、エル・サルバドル三國におけるギャングの跳梁が国民の生命を脅かすほどならば ( そのようだ ) 、国連なり旧宗主国の介入で解決すべきであり、米国への非難は不当である。事実、アフリカの旧フランス領の「失敗国家」はフランス軍の派遣により支えられているのが実情である。
  米国ではこれまで「法と秩序」のスローガンは共和党系の専用だったが、今回略奪を恐れる商店が合板でショウウインドウを守る有様は先進国では異様というほかない。もし略奪者の大半がマイノリティ・グループに属する人たちならば民主党政権も当然に彼らへの批判を惜しむべきではない。
 それにしても新しい副大統領がマイノリティの女性となることは大きな進歩である。新しい政権チームは世界の祝福を受けるだろう。その順調な門出を願う。