2020年9月30日水曜日

それでも秋は来た

今日で9月が終わる。異常気象のせいか8月の延長のような9月だった。そのせいかどうか庭の百日紅も未だに花をつけている。悪くはないのだが、道に散り敷く花の屑を毎朝のように掃いていた家内には有難いばかりではなかった ( なぜ手伝わぬ!)。それもあと4日で植木屋が来て終わる。

隣家から栗を頂いた。我が家の柿の木と同様半世紀の間に栗の木も大きく成長したようだ ( 我が家からは見えない ) 。柿の木の方は今年は僅かしか実がついておらず、有難味はないのにすでに大量の落葉 ( まだ青いまま ) が始まった。

今日、庭に出たら金木犀の微かな香りに気付いた。これも小さな木ではないが花つきは良くない方で有難味に乏しいが、それでも存在を主張するかのように毎年咲く。

コロナ禍のため旅行も出来ずあまり楽しくない今年の夏だった。明日から東京も晴れてGO TO トラベルの仲間入りをするが、感染者数に目立った減少は見られない。長生きをすると思いもかけない経験をするということか。我が家に感染者が出なかったことが唯一の救いなのか.......。

2020年9月25日金曜日

時代の歌

伝説的シャンソン歌手のジュリエット・グレコが亡くなった。戦後間もなく活動し始めたので、えっ、まだ存命だったのという感じで、じじつ93歳で死去という。代表作として新聞各紙には「枯葉」と「パリの空の下」が挙げられている。前者は私にはイヴ・モンタンの印象が強いが、戦後のシャンソンの最大の名作ではないか。他方、「パリの空の下」は『望郷』や『地の果てを行く』などで戦前の洋画界を風靡したジュリアン・デヴュヴィエ監督の戦後の第1作?として期待して見た。もう内容はすっかり忘れたが、シャンソンとして今でも時々耳にするし、女性歌手が歌っていた事は覚えている。良いシャンソンだと思う。

グレコはわが国でも人気だったようで、計22回も来日公演したという。シャンソンではないが、イージーリスニング界の名門ポール・モーリア楽団は、わが国での人気は本国以上だったようで、毎年のように来日公演し、モーリアはフランスを訪れた日本人たちに気楽に会ってくれたと聞く。フランス人と日本人 ( 少なくとも私の世代の ) の音楽の好みは相性が良いのかも ( 知ったかぶり!)。

昨日は歌謡曲歌手の守屋浩の訃報が新聞に載っていた。一世を風靡した歌手ではないし、若い人は初めて聞く名前だろう。それでも代表作「僕は泣いちっち」を記憶する人は少なくないだろう。恋人に東京に去られた地方人の若者の嘆きをうたった歌詞は妙に心にしみた。恋人に限らず、息子や娘を大都会に見送った親たちの心境も似たようなものだったろう。井沢八郎の「あゝ 上野駅」とともに我が国のある時代を良く表現した歌だと思う。それを忘れたくない。


2020年9月22日火曜日

薩埵峠の富士

富士山に初雪が降った。しかしテレビや新聞で見る限り山頂にごく薄く降った程度で、積雪というほどの量ではなかった。

三、四年前、やはり富士に初雪が降ったとき、広重の『東海道五十三次』の「由比」に描かれて有名な薩埵峠を見る好機会と思って出かけた。その時も積雪量は僅かだったが、それでも東側の足柄あたりの高速道からは白雪と認められたが、清水インターあたりになると少ない積雪が前日の西風に吹き払われて白い砂糖を薄くまぶしたケーキ程度になっていた。それでも今さら引き返す気にはならず、薩埵峠に着いた。

最近は眼下の東名高速道路、国道一号線、JR東海道線を見下ろす写真を覚えている人が多いだろう。その通りの景色だったが幸い好天だったので、初めての薩埵峠からの富士に満足した。

三日ほど前だったか、NHKテレビで広重の『東海道五十三次』を紹介する番組があった。これ迄にも断片的には親しんでいたつもりだったが、丁寧な解説を聞きつつ見るとその偉大さに感じ入った。私自身、これまでどちらかと言えば北斎の『冨嶽三十六景』の方に惹かれていたことを反省させられた。

2020年9月14日月曜日

日米の政治文化の違い

このところ我が国のメディアは立憲民主党の代表選と自民党の総裁選の話題で持ちきりだった。どちらも選挙のかなり前から結果は容易に予想出来たので、新聞にもテレビにも全然関心が持てたかったし、自民党の総裁選では勝ち馬への露骨なすり寄りはほとんど見るに耐えなかった。それに比べれば今回の米大統領選はいちじるしく品位に欠けても、あくまで国民の直接投票で決まるので無関心ではいられない。

メディアの予想では民主党のバイデン候補と共和党のトランプ候補の差は以前より縮まっているとも聞く。トランプの米国ファーストの主張はたとえ国際社会では不評でも米国の大衆には耳に快く響く可能性はあるし、内政面での「法と秩序」の強調も同様である。

さらに外交での対中姿勢の硬化は与野党を超えた米国世論の変化らしいが、香港問題と並んで最近の中国の南シナ海の岩礁の基地化は、同国の約束は紙切れに等しいことを世界に示した。こうした問題ではより強硬な発言をする側が有利 ( ジンゴイズム ) となるのが通例だし、トランプがそれを知らないはずがない。私はトランプが再選されても驚かない。「カサンドラの予言」をしたくはないが.........。

2020年9月4日金曜日

驚きの世論調査結果

安倍首相の辞意表明から始まった自民党の後継総裁選びでは、有力候補とは事前に伝えられなかった菅官房長官の圧勝が予想され、有力派閥は軒並み勝ち馬支持に回った。節操も矜持もない離合集散にはうんざりである。

ところが、今朝の朝日新聞の世論調査の結果 ( 他紙は未だのようだ ) では、「次の首相  ふさわしいのは」への回答は菅氏38%、石破氏25%、岸田氏5%とあり驚いた。安倍路線の継承を掲げる菅氏へのこの支持の理由は何か。 岸田氏や石破氏のように有力政治家の家系に生まれ一流私大を卒業した両氏と異なり、働きながら法政大の夜間部に学んだ菅氏への庶民の「今太閤」的共感が理由なのか ( 私もその点では好意を抱く ) 。たった今配られた『朝日』の夕刊では、「戦後日本を代表する日本人は」との2015年の調査では吉田茂を抑えて田中角栄がトップである。明るい人柄やユーモアのせいもあろうが.........。

同じ朝日の世論調査でそれ以上に驚いたのは「安倍政権を『評価』71% 、不評価28%である。コロナ禍もあり、最近の各社の世論調査では内閣不支持が支持を上回っていたのに何故?  森友、加計、「桜を見る会」でメディアにあれほど叩かれていたのに.....。海外メディアでは首相はむしろ評価されたようだが、その影響とも考えられない。

私は安倍首相の外交には一定の評価をするし、森友、加計の両問題では真相は未だ十分明らかではない ( 森友 ) し、一校しか許可されないならあり得ること ( 加計 ) とブログに書いてきた。しかし、「桜を見る会」の私物化、野党の国会開催要求の三百代言的黙殺など、不誠実な行為は少なくない。他人の不幸 ( 病気 )に心ない言葉を並べたくはないが。

2020年9月1日火曜日

レバノンの爆発事故


先日、レバノンの首都ベイルートの倉庫に保管中の爆薬の原料がずさんな管理により爆発し、死者三百名以上、負傷者数千名の大惨事となった。人的被害もさることながら、中東のパリと称されたベイルートの街は大きな被害をこうむった。

東京新聞の『本音のコラム』( 8月29日 ) に師岡カリーマ氏が、「父さんがついているよ」と題する小文を書いている。タイトルは事故の2日後に以前の植民地( 委任統治領 ) の母国のフランスのマクロン大統領が来訪し、レバノン国民への同情と支援を表明した態度がまるで父親のような上から目線だったと評したもの。

しかし、カリーマが本当に訴えたかったのはむしろコラムの後半だろう。マクロン発言はレバノン人に「お前たちに自治は無理と言われたようなものだが、無能と縁故主義と私欲がはびこる自国の『指導者』たちに辟易していた国民の一部からは歓迎された」ばかりか、「委任統治復活を求める嘆願に数万人が署名した」とのこと。レバノン人だけでなく、「『欧州列強に占領されていた方がまだまし』と皮肉を言うアラブ人は結構いる」と書く。それほど彼らの絶望は深いのだろう。

古代ギリシア以前から繁栄し、ヨーロッパのアルファベットの元となった古代フェニキア文字の母国にしてしかり。まして1950年代から60年代の植民地独立の時流に乗って独立を果たした途上国の中にはその後も部族対立や宗教対立を克服できず、混迷している国は多い。西欧諸国が数百年かけて克服したそうした対立を数十年で克服することが容易でないことは察しがつく。同じ新興独立国と言ってもそれぞれの国民の苦悩はさまざまである。