2019年8月29日木曜日

セミの分布

数日前、自宅でツクツクボーシの声を聞いた。やはり秋は確実に近づいていると感じたら、また夏日の再来となり、ツクツクボーシも鳴かない。セミは温度に敏感なようだ。

今日の『朝日』の夕刊に「ミンミンゼミ  分布の謎 」という記事が載っている。関西出身の記者が「自然度」の高くない同地にミンミンゼミは「ほとんど見られない」と書いたら読者に、同じく「自然度」の高くない「東京では都心にミンミンゼミがいる」と指摘され、東京に転勤してそれが正しいと知った。「自然度」とは無関係だった。

関東産だがのちに名古屋地方に住んだことのある私は、子どもの時からツクツクボーシの声は馴染み深いが名古屋で聞いたことはなかった ( 私の記憶では ) 。したがって以前に名古屋より西の関西が舞台のテレビドラマでツクツクボーシの鳴き声が流れたので、製作チームは関西に無知な関東人たちだと思った ( 間違いならゴメンナサイ )。 

上記の夕刊によれば、セミの居住区については諸説あるが気温との関係は大きいようだ。最近の地球温暖化で関西では暑さに強いクマゼミがアブラゼミを駆逐して生息域を拡大し、関西よりは低温の関東では未だアブラゼミが主流?とのこと。

やはり一つの地方でミンミンゼミもツクツクボーシもアブラゼミも聴けるのが理想だが、温暖化の前には無駄な抵抗なのかも.........。

P.S.   前々回のブログで昭和天皇が自衛隊の「捧げ銃」を見て「ゾッとした」と書いたが、記憶が正確ではなかった。しかし「捧げ銃」のシーンを見てすぐまた「反省」を口にしたというのは旧軍に感じていた不快な思い出の故だろう。

2019年8月24日土曜日

いじめ防止には

8月も後半になり新学期が近づくと、いじめを苦にして自殺する小中高生が増加するということで自殺防止をテーマにした記事が目立つ。自殺者を出した学校や教育委員会は今後の課題として生命尊重の人権教育を強化するなどと表明するのが常だ。関係者たちは本当にその効果を信じているのだろうか。無難なお題目を唱えているだけではないのか。

いじめによる学校生徒の自殺が増加しているとすればその原因として少子化 ( 兄弟間での「揉まれる」経験の減少。兄弟間でもいじめは皆無ではない ) なども考えられるが、私には昨今の「子どもの権利」の主張に比例して教員の権威が低下した影響も小さくないと思えてならない。

子どもを天使のように純粋と考えるのは親の願望に過ぎず一面的である。逆に子どもは残酷であるとの認識も必要ではないか。教育 ( 広い意味での ) を受けるにつれて子どもは言って良いことと悪いことの区別を学ぶ。最近、外国人 ( とくに白人 ) とのハーフが芸能界やメディアで多く活躍している。子どもの頃はクラスで人気があったのではと想像したが、逆にいじめられたと答える人が多い。子どもは自分たちと異なる人間に対し無遠慮であったり不寛容であったりするのではないか。

子どもとは未完成な存在だろう。そうした子どもの世界で「子どもの権利」を言い立てれば教員の権威は確実に低下し、弱い子にとっては学校は地獄ともなるだろう。子どもだけではない。最近、精神的不適合や疾患による教員の休職が増えていると聞くが、教員の権威の低下と無関係だろうか。そうしたことから教員志望者の減少や質の低下を招くなら何より子どもの不幸である。

2019年8月20日火曜日

田島元宮内庁長官の『拝謁記』

田島道治元宮内庁長官は昭和天皇との5年間の詳細な対話録を残していた。今般、NHKがそれを入手し、NHKニュースで小出しに紹介するとともに、8月17日に「昭和天皇は何を語ったのか」との題で特集として一括放映した。 内容の相当部分はすでに『独白録』( 1991年 )などで知られていたが、後世の発言ではなく、当時書かれた「拝謁記」で後付けられたことの意義は大きい。

昭和天皇は既にマッカーサー司令官との会見で戦争の全責任を引き受けると語っていたが、同司令官の『回顧録』の記述だけでは断定は難しかった。しかし今回、天皇が講和条約成立に際しての談話に「反省」の一語を入れさせるべく1年間も固執したこと( 吉田首相の執拗な反対により反省表明は阻止されたが )が立証された。のちの記者会見で自身の戦争責任を問われて「そういう言葉のアヤについては」答えられないと答え責任回避との疑いを ( 私にも )抱かせたが、突然の質問に戸惑われたとともに政治的発言との批判を避けたかったのだろう。古川隆久氏の解説のようにこの問題については陛下は「腹ふくるる思いの連続」だっただろう。

東條陸相を首相に任命したことは外国にはいよいよ開戦を決意した人事と受け取られたろうが、当事者ともなれば陸軍も責任を自覚するのではないかとの期待からの窮余の策だったことは三笠宮崇仁親王の『オリエント史と私』でも強調されていた。今回それが天皇自身により確認された。天皇が南京虐殺を「まぼろし」などとは考えなかったことも自身の口から確認された。

戦後の再軍備に関してもその必要を説きつつも、「旧軍閥式の再台頭は絶対に嫌だ」と語っている。自衛隊の式典での「捧げ銃」にゾッとしたとの発言にもいかに軍部の専横を多年憎んでいたかがうかがわれる。

田島長官は天皇とのやりとりを記憶をもとに直後に手記にしたのだろうが、その記憶力には驚くほかない。願わくばもっと早く公開されていたら多くの誤解 ( 中傷も ) が正されていたろうにと思うばかりである。

2019年8月16日金曜日

慰安婦像の展示

「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」がSNSなどで激しい批判 ( というよりも脅迫 ) を浴び、当面中止となっているようだ。とくに韓国人作の慰安婦像の展示を中心に、中止の是非や展示自体の是非など批判や反批判が入り乱れているようだ。

芸術監督の津田大介氏の中止判断はやむを得なかったと私は思う。世の中には理不尽極まる行動をする人間が居り、警備にも限界はある。京都アニメーション襲撃事件の直後だけに観客や関係者の安全を優先したのは理解できる。

中止への口火を切った河村名古屋市長に対し大村愛知県知事が、中止は表現の自由を定める憲法に反すると市長を厳しく批判した。しかし、『読売オンライン』( 8月14日 ) によると知事は津田氏に慰安婦像展示を「本当にやるのか。展示はやめてもらえないか」、「実物ではなくパネルにしたらどうか」などと裏で働きかけていたという。津田氏の突然の辞意表明には判断の誤りへの同氏の後悔もあったのだろう。

一昨日の『朝日川柳』に、「芸術の衣をまとったプロパガンダ」との句が載っている。私も慰安婦像に関し川柳子と同意見である。しかし、表現の自由はプロパガンダ作品には及ばないとは言えない。ピカソの『ゲルニカ』は芸術であり、プロパガンダでもある。それでも、県や市が何億円もの助成金を支出したイベントに、国際法を無視して大使館の前に展示されている像の出品は妥当だろうか。脅迫など絶対に許されないが、純民間の催しに出品された場合とまったく同じように考えるのが当然とまでは思わない。

P.S.  前回のブログでガダルカナル島での日本軍の敗北を大本営は「撤退」と発表したと書いたが、実際は「転進」だったと思う。最近の物忘れは酷くとも昔のことは忘れていないと信じていたが........。

2019年8月13日火曜日

日本軍の玉砕戦

例年通り、あるいは今年は例年以上に8月に入りメディアの戦争回顧の番組や記事が多いと感ずる。8月11日夜のNHKスペシャルが取り上げたガダルカナル攻防戦は興味深かった。

日米両軍による同島の攻防戦は米軍の勝利に終わったばかりか、太平洋戦争全体の転換点になったことで知られる激戦だった。しかし、戦争中は同島での日本軍の全面敗北は「撤退」と糊塗された。ようやく戦後になって日本軍の兵士たちは兵站 ( 物資の補給 ) を絶たれて主に餓死したと知られ、同島は「餓島」とも呼ばれた。

日本軍内の陸軍と海軍の対立と兵站軽視はこれまでも指摘されてきたが、今回の番組ではガダルカナルでその両者が結びつき、陸軍と海軍の連携さえ極めて不十分だったことが大量の餓死者を生む原因だったという ( 私にはそれ以上に日米両軍の圧倒的な物量の差が印象的だったが ) 。

ガダルカナル奪回作戦の失敗以後、太平洋の島々では日本軍 ( 軍属や民間人も ) の玉砕戦が常道のようになった。そのひとつにギルバート諸島のタラワ・マキン両島 ( 現キリバス共和国 ) での海軍陸戦隊の玉砕戦があり、司令官の柴崎少将の死は新聞で「軍神」並みの派手な扱いとなり、東京で盛大な葬儀が営まれた。

当時は世田谷区の小学校の4年生?だった私は、柴崎少将の遺児の同級生だった。玉砕が公表されると、どの新聞かは記憶にないが遺児の写真を撮りに来た。たまたま校庭に同級生が数人いたので騎馬戦の写真を撮ることになり、柴崎君と私が騎乗役となった。ところが最初から私は劣位を強いられ、写真を撮られた。大人にとっては当然かもしれないが、小学生には納得できなかった。私のメディア不信はここに始まった??

2019年8月8日木曜日

『 アフター・ヒトラー 』を見て

NHKの「BS世界のドキュメンタリー」で2回にわたり『アフター・ヒトラー 』と題する放送があり (5月9日10日 )、遅まきながら録画で最近見たが、かなりのショックだった。

ナチスドイツの蛮行はこれまで数多く紹介されてきたが、『アフター・ヒトラー』は敗戦直後のドイツ人が経験した苦難を取り上げていた。その中心は占領ソ連軍下のベルリン市民の受難 ( 無法状態 l) と、中東欧諸国からのドイツ人追放である。

ドイツ軍は対ロシア作戦でおそるべき大殺戮を重ねた。ナチス占領下の西欧や北欧の住民もつらい日々を過ごしたが、ユダヤ人を除けばロシア住民の苦難とはレベルが違っていた。前者はナチスの人種理論に忠実な殺戮だった。

ナチスにとって最悪の敵だったドイツ共産党のテールマン書記長は終戦近くまで、ナチスの獄中ではあれ生存していたし、敗戦時のフランスの指導的政治家や軍人はドイツの強制収容所ではあれ特別待遇で終戦を迎えた。米英軍の捕虜も映画『 大脱走』に見るようにいちおう戦時捕虜の待遇を受けていた。ドイツは東と西で別の戦争を戦ったと言われるゆえんである。その意味ではソ連軍占領下でのドイツ住民の苦難は因果応報とも言えた。

他方、大戦中ドイツの占領下にあった中東欧諸国では戦後1300万人のドイツ系住民が追放され、苦難の末ドイツに帰国した。ドイツ支配時代彼らがどう振る舞ったにせよ、その大多数は何百年もそこで暮らしてきたドイツ系住民だった。その実態は「 民族浄化 」としか言いようがない ( 当時はそういう言葉は無かったが ) 。

「アフター・ヒトラー」が戦勝国の一員であったフランスのテレビ作品だった ( J. J. セルバンシュレベール製作 )ことがひとつの救いだった。


2019年8月5日月曜日

文在寅政権の本質

日韓関係は予想通り悪化の一途をたどっている。「カサンドラの予言」はしたくないが、やがて、8月現在の関係悪化もまだそれほどでは無かったと今後回想されるかもしれない。

紛争の発端の半導体製造上の必要物資の優遇措置の廃止について日本政府は安全保障上の措置であり、戦時中の徴用工問題などへの政治的報復措置ではないと説明した。韓国人ならずともその説明に納得する人は日本人でも少ないだろう。それに続く韓国へのホワイト国扱いの廃止に対して、TBS系のJNN世論調査では「妥当と思う」が64%、「妥当と思わない」が18%とのこと。日本国民も政治的報復と感じているから出る数字だろう。それにしても日本政府の措置が「盗人たけだけしい」との文大統領の発言は激しい。

我が国に対する文政権の非友好的と映る行動は、じつは同政権が革命政権であると考えれば理解できる ( 是認するではない ) 。たしかに文大統領は韓国民の自由な選挙の結果誕生した。その正統性は否定できない。しかし、それまでの国家間の約束を次々と無にして当然と考えるのは革命政権なら普通のことだろう。前大統領を犯罪人とするのもそれで納得される。

革命政権に対しては他国は、従来の特別待遇の存廃どころではなく、新政権を国家として承認するか否かを決める。しかし今回はどんなに激しい政争があったにしても韓国民が選挙で現政権を選んだ事実が本質を見えなくさせている。

日韓関係の悪化により我が国も少なからぬ経済的損失をこうむるだろう。しかし、韓国のこうむる損失はそれどころでは有るまい。革命政権はそれを意に介さないだろう。韓国民も同じかは分からない。