2025年8月20日水曜日

 三人の名雑誌編集者

  時間はたっぷりあるのに単行本はおろか雑誌すら手にすることが稀になった。弁解をすれば出版界は花盛り(各社の経営状態は知らず)で、単行本や雑誌、特に後者が激増したこともある。

 私の学生時代には『週刊朝日』の扇谷正造、『文藝春秋』の池島進平、『暮しの手帖』の花森安治の三氏が名編集者の評判を得ていた。三人のうち池島進平は菊池寛が創刊した文芸誌を現在の総合雑誌に発展させた人物だが、私の出身大学の同じ西洋史学科の先輩であり、教授二人とほぼ同じ世代だったので年一回の学科のコンパに顔を出すこともあり、「西洋史など学んでどうするの」などと院生をからかったりしていた。同氏の言葉「作家は力士、評論家は行司、 編集者は呼び出し小鉄」は謙遜もむろんあっただろうが、大した覚悟もなくジャーナリズムに憧れても大成するとは限らないと言いたかったのではないか?

 氏は三人の仲間のうち花森安治が一番偉いと語っていた。他の二人は既存の雑誌を大きくしたり、新方向に向けたりしただけだが、花森氏は商品テストを中心に新しい性格の雑誌を生んだからと高く評価した。同誌が高く評価した英国製の石油ストーブを長く愛用した我が家も花森氏の恩恵を受けたと言える!

 

2025年8月15日金曜日

訂正

  タラワ・マキンの守備隊の司令官は柴崎でI氏としたのは誤り。また、日本軍の玉砕の速い例だが、最初ではないかも。情けない!

 終戦記念日に思うこと

 朝日新聞が終戦記念日の特集の一つとしてカラー印刷で太平洋の激戦地の島々を図示しており、その東南端に近いギルバート諸島のタラワ・マキン両島(現キリバス)が私には忘れられない地名である。両島は海軍が守備していたが、太平洋の日本軍の玉砕の島々の多分第一号で、守備隊の司令官は私の同級生のI君の父だった。国葬だったかは確かではないが、それに準ずるI海軍少将(生前は大佐か中佐)の盛大な葬儀が営まれ、その葬列の先頭に常にI君がいた。

 そして、その前か後かに新聞社がI少将の遺児の写真を撮りに世田谷の某小学校を訪れた。ちょうどI君と私たち数人は校庭で遊んでいたので騎馬戦の写真を撮ることになり、I君と私が馬上で取っ組み合いを演ずることになった。ところが実際には最初から私がI君に組み敷かれる形で写真は撮られ、翌日の紙面を飾った。

 この日から私のマスコミ不信が始まったと言えばウソになる。それにしても一家の柱を失った一家は戦後の混乱期をどう過ごしたか。葬儀の一年ほど後に東京を離れた私は七年後に大学入学のために上京したが、再会できた旧友は二人だけだった。

2025年8月11日月曜日

 中国とロシアはお互い潜在的な敵?

  昨日の『朝日新聞』は1ページを費して『ニューヨーク・タイムズ』の記事を、「ロシア機関の秘密報告書が明かす中国への根深い警戒感」「潜在的な敵、 中ロ蜜月の裏で諜報合戦」との大見出しで紹介している。

 ロシアの「連邦保安局」(ソ連時代の悪名高い諜報保安機関ゲペウの後身) が見出しのような活動に励んでいるとの情報は確かに衝撃的である。しかし、制度として諜報機関が存在し、その一部門として対中部門があるのは当然とも言え、それほど驚くべきことではない。

 しかし、そうばかりとも言えないのは清朝時代に中国が支配したチベットへの現中国の執拗な支配欲である。同じ清朝盛時の1689年のネルチンスク条約は現在の中露国境よりはるか北の外興安嶺(スタノボイ山脈)を露清国境と定めた(どんな高校世界史の教科書も言及)。とあれば、中国が現在の中露国境に満足しているとはとても思えない。ロシア同様、中国の諜報機関も調査研究に励んでいるだろう。『ニューヨーク・タイムズ』の記事は驚くに値しない。「国家にとって永遠の友も、永遠の敵もないのは常識なのだろう。

2025年8月9日土曜日

川崎徳次と沢村栄治

  今朝の『朝日新聞』に元巨人と西鉄の主戦投手だった川崎徳次氏が曾孫の佐賀北高校の川崎澪投手と二人、写真入りの記事となっている。何十年ぶりかで消息を知り懐かしい。

 戦後数年頃か?、川崎投手は戦後最初の日米野球で第一戦の投手を務めた。当時は熱烈な巨人ファンだった私は彼の力投を期待したが乱打され、がっかりさせられた(それほど当時の日米野球の実力差は大きかった)。川崎氏はその後の何年間か西鉄のエースついで監督として活躍した。しかしその後は84歳の死去までその後の消息はまったく報じられることはなかった。

 戦前の日米野球でベーブ・ルースらを抑えて対等の試合をした沢村栄治投手がいかに凄い投手だったかが分かる。その後かれは兵役にとられ、台湾海峡で戦死した。一方その後話題にならなかったとはいえ、川崎徳治氏は天寿をまっとうした。人は生きていた時代により、こうも人生を変えさせられるのか。あらためて両氏の冥福を祈る。

 訂正 前回のブログで、むかし訪れたアンダルシア地方の都市の冒頭にセルビアを挙げたが、セビリアの誤り。情けない!

2025年8月4日月曜日

 「観光公害」の時代

  その場に居合わせたことはないが、京都を始めとする国内観光地で外国人のいわゆる「オーバーツーリズム」が報ぜられて久しい。私など、何百万人の外国人が来日して料理までを含む日本文化に触れた上に外貨をもたらすとはこんな有難いことはないと大歓迎の気持ちだが、現地の迷惑は半端ではないようだ。

 外国でも事情は同じらしく、今朝の『朝日』に観光公害に苦しむスペインのバルセロナの記事が載っている。それによるとスペインは「世界第二の観光国」( 第1位はイタリア? フランス?) だとか。私もマドリードやトレドをはじめセルビア、コルドバ、 グラナダなどアンダルシア地方を訪ねて大満足だった。しかし、バルセロナはザグラダ.ファミリア教会が嫌いなので訪問しなかったと他人には説明しているが、旅行資金が尽きたのも事実!

 外国人スキー客の北海道来道のように季節が分散してくれれば良いが、どの国もやはり夏が旅のシーズンのようだ。南半球はむしろ逆に自国が冬の季節がベスト。 そのうち南極大陸も観光公害に見舞われるのか? 

 訂正 前回のブログで知人の芥川研究書が『日本文壇史』で言及されたと記したが、 刊行時期が合わないかも。知人の著書が現在手元にないので確認できないが、他の芥川研究書での引用だったかもしれない。

2025年8月2日土曜日

 花火

  花火大会は夏に限られないだろうが、最近もテレビでどこかの花火大会を紹介していた。わが多摩市でも半世紀近く前には多摩川の河原で花火大会が催されたが、数年で消滅した。現在では我が家からは立川の花火大会が見れるが、当然小さくしか見れない(それでも音は聞こえる)。

 芥川龍之介の短篇小説に『舞踏会』がある。若き日に鹿鳴館の舞踏会でフランス海軍の士官と花火を見た思い出を老婦人が青年小説家に語るというのが大筋だが、フランス人士官の名前を聞いた小説家がそれは別名で、のちに『お菊さん』を書いたピエール・ロテイだと気づきそう告げると、老婦人は頑固に否定する。なんとも一場の夢のような美しい作品で、江藤淳氏や三島由紀夫に高く評価されているとか。

 私宅の近所に歯科医の資格を持ちながらそれを職業にせず、地区の世話役をしながら芥川文学を熱愛し、研究書を一冊著した人がいた。私も芥川文学は好きなので発売後すぐに買った。その後、伊藤整の『日本文壇史』に自著が言及されたとの報告を聞き大いに祝福してあげたが、残念なことにその後間も無く亡くなり、自宅は「何とか企画」という名の事務所になっている。それでも芥川文学の研究者として名前を残した事は本懐に違いない。