2025年3月27日木曜日

戦後の学生運動の傍で

  NHKが「放送100年」と題して先週から夜のゴールデンアワーに、第一回は政治を含む世相の変転を、昨夜の第二回はオリンピックとプロ野球を中心に過去65年間?のテレビ放送の映像を再現していた。昨夜のスポーツ篇もオリンピックでの日本の選手たちやプロ野球の選手たちのの活躍の映像も懐かしかったが、第一回の世相篇も軽井沢の連合赤軍と警察の死闘(事実、警察側に死者が出た)を中心に当時の世相が再現され、私に強烈な印象を与えた。

 私が大学に入学した1950年代後半の頃は学生運動では日本共産党の影響が支配的だった。当時のキャンパス内の学生寮に級友を訪ねたら政治論議の最中で、双方がしきりに「党が」「党が」を口にしている有様。共産党の影もなかった田舎の高校を卒業した私は当惑するばかりだった。渋谷のハチ公前広場での無届け集会?に参加して警官隊に道玄坂の中ほどまで追われた時は本当に怖かった。

 その後の学生運動の「代々木派」と「反代々木派」の対立抗争は報道で知るのみだったが、「連合赤軍」の「山岳アジト」での仲間の処刑などの影響で少なくとも左翼学生運動は大衆には無縁のものとなった。それが大学紛争でふたたびクローズアップされた時には大きな話題になったが、大衆の理解と共感を得ることは少なかったと思う。大学人の末端にふたたび加わっていた私は今度は糾弾の対象となっていた! それも含めて私の世代はあの時代に無関心ではいられない。

2025年3月22日土曜日

産業公害が悪いのは自明だが...............

 今朝の朝日新聞のbe版に山田洋次監督の連載エッセー『夢をつくる』の第39回が載っている。私はトラさん映画はかなり見て楽しんだが、『夢をつくる』の愛読者ではない。今回は山田監督の出世作のひとつ?、ハナ肇主演の「馬鹿丸出し」の原作者藤原審爾の思い出が主だった。同氏の晩年の小説『我らが国のへそ曲がり』の映画化を勧められたが、実現しなかったとのエピソードだった。私は当の小説を読んでいないが、そのテーマが瀬戸内海沿岸の小さな街で、地域の工業化で自然が荒廃していくのに怒る話と知り、複雑な思いに駆られた。

 私の高校生時代の親友の1人K君は大学の工学部の製鉄科を卒業し父親と同じ製鉄会社に就職した。会社の主力工場が千葉だったころ、横浜港にクィーン・エリザベス2世号を一緒に見に行ったり、のちに倉敷市が主力工場の所在地になったころ、広島での学会出席の際や中国地方見物の際に倉敷に立ち寄り旧交を暖めた。そのおりに彼が製鉄所の廃棄物による公害に住民との板挟みで苦しんでいると知った。

 最近ではK君との連絡は絶え、お互いの年齢を考えればもはやこの世の人ではないと覚悟していた。ところが最近は倉敷の製鉄所の環境対策が進んで海中のプランクトンが減り、アサリが不作になったと聞いていた。直近ではこの辺りの瀬戸内海のシラス類の収穫減少が深刻だと聞く。誰を責めるということではないが、K君の苦悩は何だったのかと思うことはある。

 

2025年3月12日水曜日

西欧的基準を押し付けて良いのか!

  今朝の朝日新聞によると、ハーグの国際刑事裁判所(ICC)がフィリピンのドゥテルテ前大統領の「犯罪」を訴追すると決めた。それに激しく反発するドゥテルテ氏と娘のサラ・ドゥテルテ副大統領とマルコス現大統領の不和が深まっているという。

 ロドリゴ・ドゥテルテ前大統領がフィリピンの麻薬密売組織への厳しい取り締まり(むしろ戦争)の中で約6千人の死者を出したことは以前にも報じられていた。それでもマルコス氏は国民の間の宥和を図るため(と政略のため?)ドゥテルテ氏の娘を副大統領に選んだ。まことに賢明な選択だったが、ICCの前大統領逮捕要求への対応をめぐって正副大統領の間の不和が生じているという。

 麻薬取引に従事するギャング組織が中南米諸国で跳梁し、生命まで脅かされている国民が米国に大量に不法入国を計り、トランプ米大統領が彼らの入国拒否を訴えて大統領選に勝利したことは記憶に新しい。もともと私はトランプの不法移民拒否を非難する気にはなれなかったが、命を守るために不法入国せざるをない人たちへの同情に引き裂かれていた。

 ドゥテルテ前大統領の命令で麻薬関係者を処罰(むしろ処刑?)する中で多くの誤認による一般市民の死があったことは事実なのだろう。しかし、フィリピンが中南米諸国の轍を踏まなかった事実に前大統領の厳しい対策があったことも想像に難くない。もしそれが無かったなら東南アジア諸国にフィリピン人の「不法入国者」が押し寄せていた可能性は十分あった。私はICC(現所長は日本人)の立場も無論分からないではないが、ドゥテルテ前大統領の「犯罪追及」が既に正副大統領間の不和を生みつつあるだでなく、フィリピンの「中南米化」を産んではならないと考える。

訂正 前回のブログでcivilisatriceをcivili zatriceとしたは誤り。駿馬も老いれば駄馬に劣る。ああ(陰の声。駿馬の時期などあったの!)。

本編の中の下線は消せないだけ。ああ

2025年3月9日日曜日

フランスの植民地支配の論理

  今朝の朝日新聞に「80年前のフランス植民地軍による虐殺 真実が知りたい 旧宗主国との関係 見直すセネガル」との1ページ全面を使った記事が載っている。基本的にはNYタイムズ紙の 80years After Killing, Senegal Wants the Facts From  France の転載と言わぬまでも、記事に基づいているようだ。

 基本的事実は1944年12月1日にフランスでのドイツとの戦いから帰還した西アフリカの兵士たち35人(彼らは給料支払を求めていた)がセネガルのチャロイでフランス軍により虐殺された(一説には400人近く)。記事全体が米国メディアのフランス糾弾の色彩を感じさせないでもないが、昨年、マクロン大統領が虐殺と認めたのであれば、基本的事実は記事の通りなのだろう。

 フランス革命に際し世界で最初に人権宣言を発表したフランスがこのような不祥事をと驚く人が少なくないだろうが、逆の見方も不可能ではない。

 フランスではmission civilizatrice(文明化の使命)という言葉が帝国主義時代によく使われた。ヨーロッパ諸国によるアジアやアフリカなどでの植民地支配を美化したこの言葉の同類はヨーロッパの各国にあっただろうが、他国と違うところはフランス革命に始まる共和政が最高の統治形態だとの意識をフランスに生んでいた事だ。この現象がフランスによる植民地支配の正当化に他のヨーロッパ諸国以上に貢献したとは言えるだろう、

 パリの地下鉄の車内でフランス人警官が外国人(とくにアラブ人)に国籍を示す書類の提示を要求する事態を私も複数回見た。留学した英国でそのような振る舞いを見たことはなかった。人口中の他人種の比率もこうした事態の比率と無関係ではないだろうが.......。

2025年3月2日日曜日

トランプ・ゼレンスキー会談の破綻

2月28日に実現したトランプ米大統領とゼレンスキー・ウクライナ大統領の会談は文字通りの決裂となった。両者の立場の違いが大きい以上、この結果もやむを得なかったのだろう。あとは修復の早いことを願うばかり。

 米大統領の失礼な物言いは今更ではないが、今回はバンス副大統領の口出しが会談を一気に緊迫化させたようだ。私は以前のこのブログでバンスの要職就任に危惧を表明した。彼個人の性格への危惧も大きいが、私は例外は無論あるが一般論として芸術家と牧師の発言を重視しない。彼らはどちらも「絶対の探求」者でありがちで、相対性にとどまらざるを得ない政治の世界に不向きである。

 一方、トランプの発言で新しいのは、ゼレンスキーの主張が世界大戦の口火を切ることになりかねないがある。前にノーベル平和賞委員会が、日本の被団協にノーベル賞を与えた際に私が指摘したように、ロシアとウクライナが妥協を絶対的に拒否していれば、原水爆の使用もありうる。クリミア半島と東部諸州の帰属問題もロシアの主張には一定の根拠があり、NATOの東方への拡大には西側大国ももっと慎重であるべきだった。

 国益の対立も時が経つほどイデオロギー性が強まり、対立を不倶戴天の敵との戦いと化しかねない。冷静な計算も時には必要ではなかろうか?